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本編

11 狭まる距離感

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 喫茶店「猫茶丸ねこちゃまる」は俺のじいちゃんが亡くなったばあちゃんとヒッソリ始めた喫茶店だ。珈琲と猫好きの二人は、昔から一緒に喫茶店を開くのが夢だったとかで、もうけ目的でないのはそのためだ。そして、親父が母さんと出会った場所でもある。
 親父はその大切な店に、これまで築いてきたものを全て捨てて、俺のために帰ってきた。それだけでもう十分だって、どうやったら伝わるんだろうなぁ……

 とか、そんなことを考えながら、プチップチッと花びらを一枚一枚丁寧に抜いていく。
 今日も彼女は冷たい。冷たくない。冷たい。冷たくない。冷たい。冷たくない。冷たい。冷たくない。冷たい。冷たくない。……よし! 麗子さんは俺に冷たくな──ズゴッ

「イッてぇぇぇえ!」

 レジ奥からスッコーンと飛んできた長細い何かが、早朝、カウンター席で花占いに集中していた俺のデコを直撃した。

「まったく……さっきから人を題材にぶつぶつぶつぶつと……喧嘩中に何を能天気に花占いなんかやってんのよ」

 涙目で頭を抱えたそばから「随分ずいぶんと余裕じゃないの」と降ってきたあきれ声に顔を上げる。

「いや、別に能天気にしてた訳じゃ……」

 彼女は冷たくない。むしろ熱いし痛かった。
 親父に付き合ってることを話してしまったと彼女に告げて、あれから数日が経過していたが……以来、口をいてくれない麗子さんとどうしたら仲直りできるだろうかと、俺はきっかけを探していたのだが、

「あー、マジいてぇ……──って、ん?」

 ひたいさすりながらおもむろに床へ目をやり、そこにコロコロ転がってる表面ガサガサした凶器にギョッとする。

「は、何これ? フランスパン?」

 ……くっそ、油断した。この人、口も悪いが手も悪いのか!

「麗子さん振りかぶって何てもん投げてくれるんですかッ!」

 どうやら俺が爆弾発言した日は、俺が寝落ちして目が覚めた直後だったから手加減してくれてたらしい。それから数日、静かにしていた鬱憤うっぷんが今爆発したってところだろうか、

 それも彼女が投げつけてきたのは猫茶丸でお出しする焼きたてふわふわの猫印付きフランスパン。──ではなく、昨日売れ残ってカチカチに硬くなったヤツだからガチで痛い。脳天破裂するかと思ったぞ。
 一応廃棄予定のゴミ袋に入れといたヤツから取り出したらしいが、そんな気遣いいらんだろう。
 頭に刺さった軽い凶器──フランスパンを片手に涙目で抗議する俺を、麗子さんはふんっと鼻で笑う。

「アンタの言動並みに軽いから平気よ」

「なっ、……」と信用の足りてなさに絶句ぜっくする。
 ようやくマトモに口をいてくれたと思ったら……何だよそれは、

「あのですね、麗子さん。軽かろうが重かろうが硬すぎるフランスパンは凶器なんですよっ! いくら廃棄予定だからって、そんなん学校の黒板消しみたいにホイホイ投げないでくださいよっ!?」
「はっ、だからなんだってのよ。だいたいね、毎日毎日、朝っぱらから乙女なことやってんじゃないわよ」
「え、麗子さんもしかして、したことないんですか? 花占い」
「あるわよっ!」
「ふーんあるんだー」
「こぉんのッ!」

 わざとニヤニヤ笑って不敵に揚げ足とったら、またもレジ奥からスッコーンと飛んできたフランスパンがデコを直撃しそうになるところを、今度はギリギリける。
 ゴスッと鈍い乾燥した音を立てて壁に当たったその先端が、圧力に耐えかねて霧散むさんした。それから数秒後、床に落ちてカラカラと転がっているのを見て、思わずごくりと喉を鳴らす。
 何か凄い音したぞ……この人、手加減なしでやったな?

「──って、次から次に……」

 どっちもデコ直撃コースとか、コントロール良過ぎだろうが!
 いつの間にか喧嘩しながら互いの距離がせばまって、カウンター越しに間近で言い合うような格好になった。

「だいたい俺はそこまで軽かないですよっ!」
「うっさいッ! 普段から言動が軽い軽いとは思ってたけど、アンタがそこまで口軽い奴だとは思わなかったわ!」
「それは……──と、あっぶねー……」

 俺に言い返されて逆上した彼女の、秒遅れて振り上げられた手に違和感を覚えて反射でつかむ。予感的中。第三のフランスパンが握られていた。

「それにアンタがイカ投げるの見たりしなきゃ、私だって人に物投げようなんて思いもしなかったわよ! じゃなきゃこんなことになんないのよッ!」

 彼女の手をつかみながら驚愕きょうがくに目をく。あーまずったか、第三段は受けとかなきゃいけないヤツだった。
 これが男同士なら胸ぐらをつかみ合うような喧嘩だが、相手は女だ。そんなことできない。
 それにフランスパンを止められたことで、更にいきどおる彼女にこっちはされっぱなしだ。プライドもへったくれもない。

「俺がお手本って……ええっ!? これ全部俺のせいなの!? そんな無茶苦茶なっ……!」
「アンタのせいよー! あったり前でしょ! 他に誰がいるって……」
「──二人とも、喧嘩は余所よそでやりなさい。店の中では駄目だ」

 突然の介入にハッとして、二人同時に振り返る。店の奥から顔を出した親父が、いつもの淡白な顔付きでこちらを見ていた。

「親父っ!」
「強一さん!」

 話の論点がズレてきたところで親父が止めに入ってよかった。でなけりゃちゃんと説明する前に、余計な喧嘩までする羽目はめになっていただろう。

「あぁ、それと二人とも、悪いがまた買い物を頼みたいんだが……」

 親父は怒ってはいない。年のこうか、腕を前に組んだ親父の淡々とした様相ようそうだけで、俺たちはいとも簡単にたしなめられてしまった。
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