君の手は、人生をつなぐ羅針盤

薄影メガネ

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本編

10 父子二人

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 爆弾を落とした俺に、麗子さんがこれでもかというくらい、その黒目勝くろめがちな目を丸くしている。

「いや、実はさーって、あの、麗子さんっ!?」

 話途中で麗子さんは立ち上がり、たたみの休憩室から下りてくつく。その足元に、いつの間にかやってきていた猫茶丸がまとわり付くが、俺のところへ行けと麗子さんが猫茶丸を畳の上に乗っけた。

「猫茶丸置いてくから、あんたはしっかりそこで休んでなさい」
「え、俺もう平気だけ、ど……」

 たじろぐ俺に麗子さんはいつも通りの年上感で有無を言わせず口調だが、何となく片言かたことで不満を言うと、振り向きざま、俺を見た麗子さんの冷たい視線に凍りつく。
 それからスタスタ歩いて麗子さんが休憩室を出ていくのと、親父が入ってくるのは同時だった。

「強一さん。私はあと少し仕事を片付けたら上がりますね。はじめ君のこと、お願いします」
「ああ、ご苦労様」

 すれ違いざま互いに挨拶あいさつをする二人をよそに、モフモフのかたまりが俺のところへトコトコやって来た──と思ったら、「にゃーん」と遠慮なく乗っかられる。
 うわっ!? と猫に押し倒されて、再び休憩室の天井をあおぐ。

「猫茶丸重い……」
「にゃーん」
「…………」

 コイツ、普通の猫よりでかいからな。なんなら小さな子供くらいの体重あるし、いつもなら人の腹なんかに乗ったりしないのに……
 分かってやってんな? コイツ。





 閉店後、店内の後片付けも済んだ後の喫茶店「猫茶丸」。その店と同名の、太ってはいないが単にでかいだけの巨大猫に、「お前、漬け物石みたいだな」と皮肉っても、梃子てこでも腹の上から退かなかったのがようやく下りた頃には、麗子さんも三太も帰っていた。
 一日の業務が終わって、時刻は午後二十一時を回ったころ。静かな店内にいるのは俺と親父の二人だけ。それも、息子の方はかなりしょげていた。

「あーやり方間違えたな俺……」

 カップにコポコポつがれる珈琲を眺めながら、俺は腕を組んでカウンター席に突っ伏していた。
 言い方を明らかに間違えた自覚はある。
 麗子さんは親父に話したこと、怒ってた。はぁ……結局弁明する余地もなく、麗子さん帰っちゃったしなぁー。「実は店内の監視カメラを疑似ぎじから本物に取り替えたとき、そうと知らずに俺たちが店内で手をつないでるところがバッチリとられてて。俺たちが付き合ってること、親父は最初から知ってたんだ」って、切り出すタイミングを完全に見誤った。

「昔から本命には弱いからな、お前は」

 落ち込んでダベってる俺の話を、親父は客を相手にするみたいにカウンター内で淡々と聞きながら、要領よく作業の手を動かす。

「親父……俺、麗子さんと付き合ってるの」
「そうか」
「だから俺、もうちょい格好良くなりたい」
「そうか」
「あと、身長がなぁー」

 コトン。親父が俺の前にカップを置いた。れたての珈琲の匂いが鼻をつく。俺は顔を上げた。

「顔は母親似だが身長は俺譲りだからな、お前は」
「だろっ? 俺、身長は親父似なんだよなぁ」

 喫茶店で働いてるのに、実は珈琲をストレートで飲めない俺に、親父がカウンター下の冷蔵庫から取り出したミルクピッチャーを置いた。
 昔から珈琲との相性が悪くて、ストレートで飲むと腹を壊す。多少薄めて飲む分には問題ない。でも、閉店後に珈琲をストレートで飲んで一息ついてる麗子さんを見ると、大人で格好いいと思う。それにやっぱり美人だしなぁー。

 ちなみにうちの両親は俺と麗子さんと同じ、女性の方が身長の高い逆身長差カップルだ。 
 俺と麗子さんは歳が四つ違いで麗子さんの方が年上だけど、親父と母さんの年齢は同い年。でもってこの病気は母さんから譲り受けたもの。

 青夢病せいむびょうで唯一分かっていることは、遺伝性ってことだ。
 いつ発症するか分からないし、一生発症しないときもある。だから二人が結婚するってなったとき、資産家で昔気質かたぎの頑固者でもあるじいちゃんが止めたんだ。子供に遺伝したらどうするんだって。
 そしたら親父はこう答えたそうだ。「そのときは最後まで大切にします。責任を持って最後まで傍で見守る覚悟はできています」と、このときの親父の年齢は大学を卒業したばかりの二十二歳。
 命の責任なんて重い話をちゃんとしてから、俺が産まれたのはそれから三年後だった。

「お前も、もう十九になるんだな」
「そ、俺もう十九歳になったんだよ」

 来年で成人だよ? そう笑って言うと、親父がまぶしそうな顔をして、ふっと笑った。穏やかな人だと思う。

「お前の誕生日は母さんを思い出す」
「そなの?」
「ああ、お前が楽しそうにしているのを、母さんは見るのが好きだったからな。誕生日は特に……だからかな、俺もお前が楽しそうにしているのを見るのは好きだ。だから好きにすればいい」

 そういえば子供の頃に、誕生日ケーキをワンホール丸々小さな先割れスプーンで全部食べたいと俺に言われて、母さんは困ってて……──ん? その後結局どうなったんだっけ?

「親父さー。親バカだって自覚ある?」
「ないな。子供を見守るのは親としての当然の義務だ」
「そっかー、そうだよなー」

 親父ってこういう人だったなと、カラカラ笑って、それから改めて親父を見る。昔から全然女々めめしいとことか、弱々しいとことかなくて、昔気質むかしかたぎな親父を、俺はカッコいいと思っている。男気おとこぎのある親父は、ずっと俺の憧れだった。

「親父、俺さ親父の子供でよかったよ」
「何だ? 急に」

 木製カウンターの木目もくめを指先でなぞってうじうじしている息子に、親父がやぶからぼうにと怪訝けげんに眉をひそめる。

「昔からさ、沢山自由にやらせてくれるじゃん色んな事。俺が失敗しても嫌な顔一つしないでさ、そういうとこ尊敬する」

 カウンター席でうだうだ伏せっていた俺の頭に、ポンっと手を置いて、親父は無言で珈琲を作り始めた。さっきまで作っていたのはお子様でも平気なマイルド珈琲。今度は親父が自分用に作る。思いっきり苦味の強いエスプレッソ。
 珈琲豆をミルでく音を聞きながら、夢うつつにうつらうつらとし始めた。
 あ、やべ。これって俺、寝落ちする……
 慣れた手付きで親父がカウンター越しに枕を寄越した。それともう一つ──

「これ何?」
壬生みぶさんから貰った。昔の母さんの写真だ。持ってるといい」

 嘆息たんそくする息子を慰めるつもりなのか、親父から受け取った写真にうつる母さんを見て思い出した。お腹を壊すから全部はダメよ? って母さんに言われて……誕生日ケーキワンホール丸々、両親の目を盗んでこっそり端っこからちょびちょび食べ進めたけど、結局最後まで食べられなくて、真ん中の部分ガッツリ残したんだった。
 で、俺は食べ過ぎで腹壊したんだった。無残むざんなケーキと、先割れスプーンを持ったまま床でうなってた俺を発見した母さんが「キャーっ!?」って、大慌てで泣きそうな顔してたのと、母さんの悲鳴に駆け付けた親父が驚いた顔してたのと、あと……

「大切な相手になればなるほど、上手くいかないもんだ。気負わずお前なりにやればいい」
「そっか、ありがと親父。あとお休み~」
「……お休み」

 寝る前に一口だけ、親父がれてくれた珈琲を口にする。
 この喫茶店で働く前に、親父がじいちゃんとどんな話をしたのか、俺は知らない。でも──
 なぁ親父、俺知ってるんだ。本当はじいちゃんの会社で管理職だかやって海外を飛び回ってる人のはずなのに、親父は俺の余命を知ってからずっとこうして一緒にいて働いてくれてるんだよな。ごめんな。
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