禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら

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第一章 劈頭編

4話目 依頼人

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 久保はここ最近の出来事を思い出しながら、見藤を手伝いに向かう。すると、見藤が振り返る。

「なぁ、久保くん」
「はい?」

「ごめんください」

 見藤の問いかけと、事務所の入り口から声がしたのはほぼ同時だった。久保と見藤が扉の方を振り返る。
 事務所の入り口に佇んでいたのは、小柄な女性だった。もうすぐ初夏が近づいてきているというのに、ベージュのトレンチコートを着ている。そして、黒髪は腰まで長さがあった。
 そして、何より特徴的なのは小顔に見合わず目を引く、大きな白いマスクだった。

「どうも、いらっしゃい」

 見藤は客人に声をかけ、応接スペースへ案内する。久保は茶盆を手に後へ続いた。
 彼女がソファーに腰を下ろしたタイミングで、見藤も座る。久保はお茶と、茶菓子であるべっこう飴を出した後、同席した。

「霧子さんから聞いてるよ。いい茶菓子がないもので、すまんね」
「大丈夫よ。お茶、頂くわ。それに、私。べっこう飴は好物なの」

 彼女は短く返事をし、慣れた手つきでマスクを外す。―― その顔を目にした久保は言葉にならない悲鳴を上げた。

「…………!!!? 痛っだい!!」
「あら、失礼ね。まぁ……その反応も、懐かしいわ」

 久保は驚いた拍子にソファーから反射的に立ち上がってしまった。だが、見藤が持つバインダーで頭を叩かれ、今度は反動でソファーに座る。痛みに悶える久保と相反するかのように、見藤は平然としている。

 マスクを外した彼女の両頬には大きく縫合された痕があり、抜糸されていない。まるで口が裂けた後、これ以上裂けないよう傷口を縫い合わせているかのようだ。皮膚の部分はただれており、痛々しい。
 見藤は怪異からの依頼を受けることがある、と話していた。と、するとこの女性は ――。久保は辿り着いた答えを口にした。

「口裂け女…………?」
「本当に失礼な子ね。その呼び方は好きじゃないのよ」

 女性はぶっきらぼうにそう返し、久保をきつく睨んだ。その迫力は凄まじい。その迫力に、久保は思わず体がすくんでしまった。
 久保の素直な反応に、見藤は彼女に謝罪を入れておく。

「いや、ほんと……うちのがすまんね」
「別にいいわ。でも、まぁ……まだ私のことを知っている人間もいるのね」

 そう呟くと、彼女は少し表情が柔らかくなったようだ。

 口裂け女は都市伝説における怪異の一種だ。怪談やオカルト話に興味をもつ頃合いの小学生時分、誰もが聞いたことがある有名な話だろう。

 口元を隠すほど大きなマスクをした若い女性が通りすがりの人間に声をかける。その女性は「私、綺麗?」と尋ねてくる。「きれいですよ」と答えると、「……これでも?」と、マスクを外す。すると、その口は耳元まで大きく裂けている。驚いて逃げ出してしまったり、「きれいじゃない」と答えるとはさみで切り殺される、というものだ。
 当時は社会現象にまで発展したが、現在では口裂け女の怪談は噂にも聞かない。

 久保が口裂け女の都市伝説を思い出していると、見藤が説明を入れる。

「君が認知で怪異を視ることができるように、例えば ――。都市伝説に由来する怪異は人々の認知によって存在を左右される。この場合『認知』は大衆にどれだけ名前、その存在が知られているのか、だ。集団認知だな。よって時代と共に生まれる怪異もいれば、反対に消滅する怪異もいる」
「だから名は重要なんだぞ、新人」

 見藤の説明の後、もったいぶった様子で猫宮が会話に割って入ってきた。その話を聞いた久保は、故に猫宮が飼い猫のような名前で呼ばれることを嫌うのか、と腑に落ちた。
 そして、猫宮は久保を見据えながら、言葉を続ける。

「怪異が消滅することは人間でいう死ぬことと同じだな。ただ、その肉体は遺らないし名前も、存在も忘れ去られていく。そうなる前に、見藤に助力を求め、ここへやって来る怪異は少なくない。他には怪異から人間と関わりを持ち、個人の認知に依存して、人間社会に溶け込んで生活する奴もいるけどな。まァ、それか躍起になって問題を起こす奴らもいる。事件を起こせば噂が噂を呼んで、認知は勝手に広まる」

 猫宮は一旦そこで言葉を切ると、見藤の隣に寝そべった。猫宮の小太りな体は少し見藤を押しのけたが、彼はあまり気にしていない様子だ。

「それから ──」
「喋りすぎだ、猫宮」

 見藤は猫宮の言葉を遮った。解説を終えた猫宮は満足そうにソファーに寝転び直し、短い前脚で顔を洗っている。
 すると、猫宮の説明が終わるのを待っていたように、口裂け女は口を開いた。

「そうね、だから私。へ渡ろうと思うの。存在が消えてしまう前に。友達に会えなくなるのは寂しいけれど……消えてしまうよりいいもの」
「分かった、手配しよう。霧子さんには?」
「最後に会ってきたから大丈夫。優しいのね」

 会話から察するに霧子と口裂け女は知り合いなのだろうか、と久保は考える。口裂け女という怪異と知り合い、ということは霧子も見藤の同業者なのか ――?と、会話を聞いていた久保は疑問を抱く。だが、それは水を差すようで口にはできなかった。



 そうして、夕刻が近づいてきた頃。事務所に夕陽の光が差し込み、皆を照らす。すると、見藤はローテーブルへ一纏めにされた小冊子を置いた。そして彼女にペンを手渡す。

「それじゃ、ここに名前を」
「分かったわ。私の名前、預けるわね。夕子よ、よろしく頼むわ」

 口裂け女 ――、彼女の名は『夕子』と言った。彼女はそんな大切な名を、見藤に預けたのだった。
 怪異が望めば、常世とこよに移り住むことができる。常世は不変的な世界であるとされ、人の認知の力は及ばない。常世は現世から逃れた怪異達が行き着く場所である。―― そして、常世というのは人があの世とも呼ぶ場所だ。

 テーブルに置かれた小冊子へ、口裂け女は自らの名を書いてゆく。それは可愛らしい字だった。ふと、彼女の表情が柔らかくなる。

「この名前を貰ったときのことを思い出したわ。向こうに行けば、その人に会えるのかしら」
「さぁ……、探してみるのもいいかもしれない」
「そうね、ありがとう」

 彼女はそう言って柔和な笑みを浮かべていた。

 怪異は個を示す名を持たないのが定石だ。怪異は怪異としての名によって存在を表す。しかし極稀に、彼女のように怪異の中にも人と同じように名を持つものが存在する。
 それは『真名』、すなわち本当の名のことだ。その名は、人によって贈られることが多い。人と怪異、異なる存在が交流を持つことも稀にある。
―― 彼女には、親しい人がいたのだろう。こうして、柔らかな表情を浮かべる程の相手が。

 常世へ移るには真名を捨てなければならない。常世は不変的な世界であるために、人によって贈られたものは常世へ渡ることができない。これは常世の理だった。
 
 そうして彼女は名を書き終え、ペンを置いた。その様子を見守っていた久保と見藤。すると、久保は見藤が角印のようなものを手にしている事に気付く。

 見藤が書かれた名の上から角印を押す。すると、不思議なことにペンで書かれていたはずの名は消えてしまった。久保が驚き、目を見開いていると理解が追い付かぬまま、ことは進む。

「はい、確かに。猫宮」
「はいよ。送り届けて来るぞ」

 見藤に促され、猫宮がのそりと立ち上がる。怪異達が行き着く先、常世の入り口まで案内するのだ。それも猫宮の仕事なのだろう。
 口裂け女が事務所を後にしようと、立ち上がるが不意に見藤を見やる。

「ふふ、あの子があんなに話すから。全く、どんな奴にひっかけられたのかと思ったけど、悪くないわね」
「いや、寧ろ逆だな」
「それもそうね」

 二人の間にそんな会話がされていた。その内容は、久保には到底理解できなかった。
 見藤が事務所の入り口の扉を開け、口裂け女を見送る。彼女は軽く会釈をして一歩を踏み出した。その足元をのそのそ歩く小太りの猫。―― よって、ひとつ。都市伝説と怪異が研文から姿を消した。

 彼女を見送った見藤と久保は扉の前に佇む。姿が視えなくなると、見藤はそっと口を開いた。

「まぁ、これが本来の仕事だと思ってくれ」
「はぁ……、不思議ですね」
「ふっ、そうだな」

 久保はこうしてまたひとつ、奇妙な世界のことを知った。

 
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