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第一章 劈頭編
3話目 奇妙なアルバイト
しおりを挟む迷い家に遭遇した久保だったが、日常は変わりなく訪れる。奇妙な体験をしたのだ。疲弊した体と頭を引きずりながら学生の本分をこなしていた。
大学へ行けば、いつもの友人が出迎える。久保は友人の変わりない様子に安堵した。講義がある教室まで二人は足を進めていく。
すると、友人は訝しむ様子で久保に尋ねた。
「にしても、昨日 ――。何で急に帰ったんや?」
「あぁ……いや、そんなつもりは……なかったんだけど」
友人の言葉に首を傾げる久保。どうやら迷い家に誘われた久保は友人からすれば、そう見えたらしい。
久保は気まずさから頬を掻くと、視線の先に捉えた物があった。疑問に思い、床に落ちていた物を拾った。久保が手にした物をのぞき込む友人。
「なんや? 落し物?」
「そうみたいだけど……。お守りだ」
久保が拾ったのは古びたお守りだった。久保はじっとお守りを見つめる。迷い家に誘われるという奇妙な体験をした ――、お守りを拾ったことが意味深に思えてくるのは致し方ない。だが、久保の脳裏に思い浮かんだのはこのお守りの持ち主のことだった。
「持ち主に返してあげた方がいいよな」
久保は辺りを見渡す。だが、構内は人の往来が多く、お守りの持ち主を探すには些か困難だろう。どうしたものかと首を捻る久保に、友人が声を掛けた。
「えぇ~。なんかそのお守り、気味悪いわ……。はよ、落し物ですよ~言うて学生支援にでも届け ――」
友人は途端、そこで言葉を切った。久保はどうしたのかと、友人を見やる。すると、視線の先にいたのは二人を見つめる、明るい髪色をした女学生だった。彼女は少し気まずそうに口を開く。どうやら、先程の会話を聞いていたようだ。
「あの、すみません。そのお守り……私のなんです、落としたみたいで」
「よかった。持ち主が見つかって」
「ありがとうございました」
彼女は久保に礼を言った。互いにぎこちなくではあるものの、軽く言葉を交わし、久保は彼女にお守りを手渡した。お守りを受け取った彼女は、しきりに久保を気に掛ける様子で去って行った。
そんな彼女の様子と偶然、拾ったお守り。久保の中にひとつの疑問が湧き上がる。
(……まさか、視える人だったのかな)
それは、奇絶怪絶な体験をした久保だからこそ感じたことだろう。
◇
久保はきっかけとなった見藤の元へ通うことを望んだ。それは、未知なる世界への興味と。加えて、少なからず見藤に恩義を感じてのことだった。―― そう、久保がいなければ見藤の書類仕事は溜まる一方だ。
「こんにちは」
「お、いらっしゃい」
軽快に挨拶をした久保を見藤が出迎えた。久保は大学の講義が午前中で終わった日などに、こうして昼から事務所に顔を出している。
「見藤さん。機器類、壊していませんか?」
「大丈夫だ、…………多分な」
迷い家の一件から、こうして久保と見藤は軽口を叩く程度には距離が縮まった。やはり、共通するカテゴリーの中に居れば自ずと距離は縮まるものである。
そして ――。
「新人のくせに生意気だな!」
「又八~」
「そんな適当につけた名で俺を呼ぶな!」
「又八の方が猫っぽくていいだろ」
「シャーっ!」
又八、もとい猫宮は事務所に住みついた妖怪らしい。猫宮が本当の名前らしいが久保が事務所へ通うようになり、まだ日が浅い時期。久保に猫の名前を聞かれ、見藤が咄嗟につけた猫らしい名前が又八だったのだ。そのことを、猫宮は根に持っている。―― なんでも、猫が苗字のような名では怪しまれるかと思った、らしい。久保にはその見藤の考えがよく分からなかったが、適当に返事をしておいた。
「妖怪や怪異にとって、名は重要なんだぞ!」
猫宮は喚き散らしながら、事務机から戸棚へ登り、そこから一呼吸おいて床に着地した。せわしない猫だ。小太りな体に短い脚をしているにも関わらず、意外と俊敏な動きができるものである。
すると、久保は猫宮が口に何か咥えているように視えた。それを捕まえていたのかと、よく視ようと目を凝らす。だが、久保には靄がかかりはっきりと視えない。
「あぁ。猫宮はうちに入ってきた、認知が浅い怪異の成りそこないを喰ってる。猫宮は猫又だ。尻尾が二股に分かれている」
見藤は事務所で給湯室の役割を果たしている小さいシンクへ向かいながら、猫宮の尾を指差し、そう説明した。残念ながら、久保には猫宮の尾は分かれているようには視えない。
―― 怪異の成り損ないを喰らう。
それを聞いた久保の口から出た言葉は、なんとも率直な感想だった。
「……共食い?」
「違うわ! 一番効率がいいんだよ。こうすればここに妙な怪異も湧かない。怪異は集団認知から生まれるからなァ。その残滓を喰らうのが俺の仕事だ。……まぁ、もっと美味そうなのはいるけどなァ」
そう言うと猫宮は久保を見上げる。目が合った久保は思わず眉を顰めた。なんとも意味深に呟かれた猫宮の言葉が引っかかったのだ。
猫又と言えば、長寿の猫が怪異 ―― もとい妖怪に転じた存在でもあり、また人間を食らう妖怪としてもその伝承を多く残す。久保は子どもの頃に流行した妖怪物語を思い出したのだった。
「え、人間も食べるのか?」
「誰がお前みたいな貧相でまずそうな奴を喰うかよ」
ペっ、と悪態をつかれた。なんとも態度の悪い猫である。
一方、見藤はシンクで何やら準備をしている。来客でもあるのだろうかと、久保はそちらを見やった。
こうして久保は、見藤の仕事の一端を垣間見ることが増えた。見藤は「怪異を相手に仕事をしている」そう言っていた。大体は依頼を受け、内容をこなす。単純そうに聞こえるが、危険は伴うだろう。先の久保の体験からも想像に容易い。
久保はそれとなく、どのような依頼が持ち込まれるのかと尋ねたことがあった。見藤は少し考えて――。
「まぁ、そうだな……色々だ。俺はあまり、個人からの依頼は請け負いたくない。面倒だからな。君を迷い家から連れ戻したのは、君がうちのバイトくんだったからだ。顔も知らぬ他人だったのなら、放っておいたかもしれない。……普段はその手の関係者から割り振られた依頼をこなしている」
「えっ……」
「俺としては ――、怪異からの相談を請け負うつもりでこの事務所を始めたからな。なるべく、敵対はしたくない。灸を据えるくらいはあるだろうが……」
その時、久保はとてつもなく驚いた顔をしていた。申し訳なさそうに眉を下げた見藤の表情が、印象に残っている。
見藤はあまり自分のことを話そうとしない、しかし、彼に助けられた久保は「見藤は善人である」と信じて疑わなかった。それ故に、人に関心を寄せない彼の言葉は衝撃的だったのだ。―― 時に無関心ほど残酷なものはない。
そして、見藤は久保を迷い家から連れ戻したが、肝心の迷い家という怪異自体に何をする訳でもなかった。言わば、放置である。その理由は先程の言葉に繋がるのだろう。
そして見藤が言う、その手の関係者から割り振られた依頼というのは、怪異によって引き起こされる事件や事故を調査するものだ。その一端を見藤が担っているらしい。しかし、見藤の様子からしてみれば、その依頼は気が進まないようだ。依頼をこなさなければいけない理由でもあるのだろうか。その一方、怪異が見藤に依頼をする、というのは久保にとって、奇想天外な答えだった。
(だから、怪異相談事務所……? とても……安直だ)
などと、失礼なことを思った久保の考えはお見通しだったようで、見藤の鋭い眼光に睨まれたのだった。
見藤は言葉通り「怪異と共存する」という形を取っているように見える。まず、この事務所内がそうだ。猫宮の仕事でもある、浮遊する認知の残滓を捕まえやすいよう、綺麗に整理整頓されている。散らかされるよりも先手を打って整理しておけば、片付ける手間が省かれるというものだろう。
(この前、クリーニングから返ってきた見藤さんのスーツ。速攻で又八が踏んで、しわくちゃにしてたな)
猫宮も所詮は猫である。念入りに皺をたくわえたスーツを見て、深い溜息をついていた見藤の姿を思い出し、少し笑ってしまったのだった。どうやら見藤のスーツが皺だらけであるのは猫宮の仕業らしい。
また、依頼がなければ怪異と関わる必要はない、とも言い切れないようだ。久保のときのように偶然、怪異と遭遇し襲われることもある。
あの時は ――。
「久保くんが時間になっても事務所に来なかったからな。まぁ、変だとは思ってた。それで、うちの近所のコンビニへ寄ったついでに、どうにも気になって裏路地を視たら、例の迷い家があってな。はは、運が良かったな。久保くん」
見藤は本当にコンビニの帰りだったようだ。その偶然が久保を救ったのだろうか。
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