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89 《番外編》悪女も天使に恋をする?①

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 同じクラスのジェレミー・デュドヴァンは、いつも人の輪の中心で、ニコニコと人懐っこい微笑みを浮かべている人物だった。
 美しい容姿もさることながら、その振る舞いはとても紳士的で、誰にでも優しく、彼を嫌う人はほとんどいない。

 ………だが、実は、ごく一部の人間にしか心を開いていない。
 よく観察してみれば、皆んなに平等に振り撒いている彼の微笑みには、何の感情も含まれていない事が分かる。

 エリザベートは、ジェレミーの事をそんな風に評していた。

 だから、まさか、その彼が自分に求婚するなんて、夢にも思わなかったのだ。



『貴女に求婚する許可を頂けませんか?』

 突然訪れた物語の様な状況に、ときめかなかったと言えば嘘になる。

 それでも最初は彼の本当の目的が何なのか分からなかったので、エリザベートは警戒した。

(もしも今迄の求婚者と同じ様に、公爵家との繋がりを求めているのならば……)

 期待と不安を混ぜ合わせた様な彼の青の瞳が失望の色に変わるのを、彼女は見たくなかったのだ。

 だが、彼は公爵家との縁は必要無いと言った。
 求婚したのは、エリザベートを好ましく思っているからだと───。



 エリザベートの母は、生まれつき心臓が少し弱かった。

 聖女が扱う光魔法の治癒は万能では無い。
 先天的な疾患や、老衰などには殆ど効果が無いと言われているのだ。
 実際、エリザベートの母も、定期的に治癒を受けていたにも関わらず、若くして亡くなった。

 両親は政略結婚だったが、母が生きている頃は、それなりに仲が良い様に見えていた。
 だからこそ、自分と一つしか年齢の変わらない父の婚外子を連れた義母が、公爵邸にやって来た時は、とても驚いたしショックだった。
 今思えば、母の余命が短いと分かっていたからこそ、愛が無くても父は母に優しく接する事が出来ていたのだろう。

『貴族の婚姻なんて、そんなもんだ』

 当時、既に冷めた性格だった兄は、そう言い捨てて家族との関わりを最小限にした。
 その『家族』の中には義母達だけで無く、幼いエリザベートも含まれている。
 元々兄との仲は、良くも悪くも無かった。
 嫌っている訳では無いが愛情を持っている訳でも無く、お互いに無関心だったのだが、母の死を境に余計に二人の心の距離は大きく開いた。

 程無くして、義母は先妻に似た容姿を持つエリザベートを虐げる様になる。
 父は当然の様に、長年妾として密かに囲っていた義母の肩を持った。
 兄は公爵家の新たな権力者となった義母におもねる事もしなかったが、エリザベートに対する仕打ちを諌める事もしなかった。

 孤立無縁のエリザベートは、いつかこの家を逃げ出したいとは思っていたが、ここ数年は両親の監視の目が厳しくなり、思う様に動けなくなった。
 学園内では監視がされていない為、エリザベートに自由が許されるのは、学園の中の狭い世界だけになった。

 自分が持っているのは強い矜持だけで、金も足りなければ後ろ楯も無い。
 逃げるのはほぼ不可能だと、諦めかけていた。

 そんな日々の中で、エリザベートはジェレミーに告白されたのだ。

 その時点では、エリザベートはジェレミーの事を何とも思っていなかったし、いくら地獄から抜け出す為でも、新たな地獄が待っているかもしれない提案に軽々に乗る事は憚られた。

 だが、ジェレミーはエリザベートに好意を持った切っ掛けが、あのガーデンパーティーだと言ったのだ。
 あの時のエリザベートは、お世辞にも男性に好まれる様な行いはしていない。
 今でも間違った事をしたとは思っていないが、その手法については少々極端であったと自覚している。


『弱きを助け強きを挫くのが、人の上に立つ身分の者の努めです』

『周囲に何と言われようと、後悔しない様に自分の信じた道を進めば良い』

『辛い時こそ、凛とした態度を貫きなさい』

 死期を悟った母が、エリザベートに残した手紙に書かれていた言葉だ。
 受け取った当時、まだ幼かった彼女には、その意味がよく分からなかったけれど、今ではその手紙がエリザベートの行動理念になっている。

 あの時だって、母の教えに従い行動したつもりだ。
 そこに惹かれたと言われたのは、エリザベートにとっては嬉しい驚きだった。
 だから彼女は、ジェレミーの手を取ったのだ。

『リズが苛烈なのは認めるが、それも僕は気に入ってるし、彼女は自分勝手では無いだろ。
 入学以来、ずっと同じクラスにいるが、彼女が自分の事で腹を立てている所など見た事が無い。
 彼女が怒るのは、いつも他者の為だよ』

 あんな風に自分を理解してくれる人が現れるとは思っていなかった。
 しかも、自分がその彼の妻になるだなんて───。

 ジェレミーの言葉を思い出したエリザベートは、熱を持った頬を両手で隠した。


「リズ、どうしたの?」

 隣に座っていたジェレミーが、急に頬を染めたエリザベートの顔を覗き込む。

「……何でもありません」

「何でもなく無いでしょ? 顔真っ赤だよ。
 ……僕の妻は、一体誰のことを考えていたのかな?」

「誰って……、ジェレミーの事に決まってるじゃ無いですかっ!!」

 微かに眉根を寄せたジェレミーに、思わず本当の事を口走ったエリザベートだったが……。

「えっ、ウソッ? マジで?」

 ジェレミーが余りにも嬉しそうに笑ったので、余計に頬が熱くなった。


 二人は馬車に乗って王宮へ向かう途中である。

 エリザベートの父であるラマディエ公爵は、王宮の地下牢に入れられているらしい。
 彼女が父に会いたいと頼んで直ぐに、ジェレミーは伝手を使って面会を手配した。
 通常は取り調べ中の容疑者に家族との面会は許可されないのだが、何にでも例外というのがある物で……。

 地下牢の檻越しで短時間ならばと、許可が降りたのは、ランベール陛下のお陰である。
 陛下はジェレミーがこの件に何らかの関与をしている事には気付いているが、ラマディエ公爵を叩く名分が出来た事に、寧ろ感謝しているのだ。


 王宮に着くと、既に話が通っていたらしく、警備の騎士が地下牢へと直ぐに案内してくれた。

「滑りやすそうだから、足元に気を付けて」

「はい」

 差し出されたジェレミーの手を握り、地下への階段に一歩を踏み出した。

 蝋燭の微かな灯りに照らされた、薄暗い石段を降りるごとに、湿気を含んだ冷んやりとした空気が色濃くなっていく。
 壁から水が染み出しているのか、何処からかポタリポタリと水滴が垂れる音が聞こえた。

 階段を降り切った所で、案内役の騎士はピタリと足を止める。

「陛下のご指示で、私はこちらで待機させて頂きます。
 この先へは、お二人でどうぞ。
 三つ目の扉を開けて、中にお入り下さい」

「分かった。ありがとう」

 エリザベートの手を引いて三番目の扉の前へと向かったジェレミーは、ガラスの小窓がついた重そうな鉄製の扉を開いた。
 ギイイィィと、金属が軋む嫌な音が、静まり返った空間に響く。
 扉は念の為、開けたままにしておいた。
 防音の魔道具を持って来たので、会話が外に漏れる心配は無い。

 扉の向こうは石造りの小部屋になっていて、鉄格子によって、あちらとこちらに仕切られている。
 あちら側は容疑者を閉じ込める牢となっており、石が剥き出しの硬い床の隅に、一人の窶れた男が蹲っていた。

「ラマディエ公爵」

 エリザベートが自分の父に家名で呼び掛けると、蹲っていた男はゆっくりと顔を上げた。

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