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第三章

第66話 本題

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「……それで?何でお前はまだアレと連絡取ってるの?」


 食事の盆を持ってやってきた兄は扉を開けるや否や、眉間に深い皺を寄せた顔でそう言い放った。


「いや……まぁ、うん……そう、だね。」

「あのさ、カウンセリングの成果が出なくなるし、お互いの為にもなるべく接触しないようにって、そう言ったよね?……お前、このままいつまでも執着され続けてもいいわけ?」


 兄は呆れたような口調でそう言いながら、ローテーブルにテキパキと食事を並べて行く。


「ごめん……でも俺からは連絡してないよ。今回だってメッセージを既読にして寝落ちしたら、鬼のような未読メッセージでさ……つい、返信したら、速攻着信が……ね。」


 俺が麦茶を注ぎながらそう言うと、言い終わるとほぼ同時に兄はくわっと目を見開き鬼の形相でお盆をダン!と床に叩きつけた。


「はぁ?お前、返信してんじゃねぇよ!大体それ、アレの常套手段だろうに…何回同じ手に引っかかってんだよ……」

「ははは……」

「ははは、じゃねぇわ!!!少しは反省しろ!!!」

「はい、すいません……」


 いつもは丁寧な口調の兄が口汚く罵るなんて…
 これは相当怒ってるなと流石に鈍い俺でも理解出来て、素直に申し訳ないと思い、顔を伏せた。

 悄気返しょげかえる俺を見て兄は、深く長い溜息をひとつ吐くと、注がれた麦茶を一気に煽って言う。


「わかったらとりあえずメシ食え!話はそれからだ。」

「は、はい!いただきます!!!」


 おかわりの麦茶を注ぐ兄に促されて、俺は弾かれたように慌てて目の前の箸と味噌汁のお椀を手に取ると、そのまま口に運ぶ。

 ほこほこと湯気が立つ味噌汁は、熱過ぎずぬるくもないちょうど良い温度で、そこに兄の気遣いを感じると、鼻の奥がツンとして涙が零れそうになった。
  
 俺はそれを誤魔化すように鼻を啜りながら、一心不乱に目の前の食事を掻きこんでいった。

 いつもの味付けに、ちょっぴり涙と鼻水の塩分がプラスされたが、そんな事が気にならない程美味しかった。

 よく食べる俺に合わせて大盛り丼で持ってきて貰った食事も、正味10分位であっという間に食べ終わってしまう頃には、涙はすっかり引っ込んでいた。


「…ふぅ。ご馳走様でした。」


 夢中で掻き込んでいたら、気が付いた時には目の前に空の食器が並んでいた。箸を置きいつも通りの挨拶をすると、俺が食べ終わるのを黙ってじっと見つめていた兄が口を開いた。


「おかわりは?」

「いや、大丈夫。」


 俺がそう言うと兄は徐に立ちあがり、目の前の食器をテキパキと盆に載せていく。


「そうか、じゃあ話しながら食べるお菓子を持ってくるついでに、この食器下げてきちゃうから、少し待ってて。」


 兄そう言うと食事を持って部屋を出て行き、数分後に両手いっぱいにスナック菓子を抱えて戻ってくると、テーブルに無造作にドサッと置いた。


「さぁて、ここからが本題。お前、アレとどんな話したの?」


 兄はポテトチップスの袋を開けながらそう訊ねると、開けた袋を煽ってポテトチップスをザラザラと口に放り込み、バリバリと咀嚼し始めた。

 些か乱暴な仕草に、兄が感じている怒りがヒシヒシと伝わってくる。

 しかも、"アレ"って……

 兄はあの事件の後から、穂乃果の事を名前で呼ばず"アレ"と呼んでいる。
 兄の中では穂乃果は最早家族として見れないのだそうだ。

 というのも、兄は幼い頃から穂乃果の人間性に気が付いていたらしく、事ある事に穂乃果を諌めてきていたらしい。
 そしてある時を境にぱったりと穂乃果の異常性がなりを潜めた事で、落ち着いたと誤認して安心していたとの事。

 しかし、俺の記憶違いが発覚した辺りの穂乃果の様子から、異常性は落ち着いたどころか、更に増幅していることを理解して、それからずっと警戒していたそうだが……

 あの日、崖っぷちに立たされた穂乃果が、執着や異常性を全く隠しもせず、全てをぶちまけるとは露ほども思ってもいなかったようで、警戒していたのに防げなかったと酷く自分を責めていた。

 そしてあの後、俺抜きでの家族会議の場では終始「お姉ちゃんは狡い。自分は悪くない。」と言い、反省の色を見せないばかりか、香乃果の渡航前日に穂乃果は香乃果に俺との許嫁解消を迫り、香乃果に酷い言葉をぶつけ続けた事を聞いて、兄は穂乃果への情を捨て去ったとの事だ。


「流石に身内で…しかも自分の姉に対してぶつける言葉ではない。」

 だそうだ。詳細は聞いてないが、情の深い兄がここまでいうのだから、相当だった事が窺える。

 そして、取り急ぎ、心理学を専攻する兄の大学の准教授に穂乃果のカウンセリングを依頼し、その後、暫くはカウンセリングに通いながら様子を見ていたのだが、距離を置けば置くほど執着は余計に増し、俺への連絡や突撃は止む事はなく……

 穂乃果の執着を断つには執着の元から離れる必要があると言う事、また、おじさんの海外転勤が決まった事もあり、それを機に、引退して飛行機の距離の田舎へ移住した沙織ママの両親の所へ、穂乃果を連れて一時的に引越しする事を余儀なくされた。

 そして現在は、月に一度のカウンセリングの時だけ上京してくるという生活を送っているのだが、穂乃果からの連絡の内容から推測すると、今月の上京はクリスマスの前後なのだろう。

 パリパリとポテトチップスを摘んで食べながら答えを待つ兄をチラリと見て、俺もテーブルにあるお菓子に手を伸ばしつつ、どう説明しようか思案する。


「多分…今月のカウンセリングがクリスマス近辺なんだと思う。クリスマスに会いたいって……」


 思案した結果、まんま正直に話す事にした俺は、チョコレートでコーティングされたプレッツェルをポイポイと口に運び、バリバリと噛み砕きながら自分の憶測を混じえて答えた。
 すると、それを聞いた兄は呆れたように溜息を吐くと、食べ終わったポテトチップスの袋を忌々しそうにぐしゃっと握り潰して言った。


「はぁ?何だそれ。」

「だよなぁ。去年は一緒に過ごせなかったからとかなんとか言ってたけど、何で一緒に過ごせると思うのか……未だに許嫁だと思い込んでるところとか……もう謎過ぎて俺には全く理解出来ないわ。」


 俺は頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、兄は少し考えるような素振りをしながら、次のお菓子に手を伸ばした。


「アレの思考はぶっ飛んでるからね。准教授が言うには、カウンセリングの時はまともらしいから、もしかしたらわかっててやってる可能性あるよね。」


 お菓子の袋を開封するガサガサ音の後、頭の上から降ってきた思いもよらない兄の言葉に、ガバリと顔をあげると、同時に俺は絶望の声をあげた。


「マジかよ……それ、実質打つ手無し…ってコトだよな?」


 兄は少し考えると、やれやれと首を横に振り言う。


「う~ん……現状では無視する事しかできないかもね。ていうか、そもそもお前が甘ちゃんだからアレに付け込まれるんだよ。」

「いや…だって……穂乃果がおかしくなった原因は俺にある訳だし……」


 しょんぼりと項垂れてそう言う俺に、兄は丸めて固めた菓子の袋を投げつけてきた。


「…痛てっ……何すんだよ。」

「それが甘いんだよ。いい?悪いけど、アレは子供の頃からあのまま。自己中心的で独善的で。小さな頃はまだ可愛らしい我儘で済んだかもしれないけど、知恵がついてきたらそれがどんどん増長して。そして、個人の我儘の域を越えてしまった結果がコレ。だから、お前は悪くないよ。むしろ被害者の方でしょ。」


 グミを口いっぱいに放り込み、むぐむぐと咀嚼していた兄はそれをゴクリと飲み込むと、俺の胸ぐらを掴み怖いくらい真剣な顔でそう言った。


「でも……」

「でも、じゃない。お前も香乃果もアレに翻弄された可哀想な被害者。そこんところちゃんと自覚しよう。いい?」

「……わかった。」


 兄の剣幕に思わず首を縦に振ると、兄は満足そうににっこりと笑ってこう言った。


「わかればよろしい。だからね、そもそもアレに贖罪する必要はないんだよ。むしろ今までボランティアで付き合ってあげてたんだから、感謝して欲しいくらいに思っとけばいい。
 ていうか、渉さ、アレに心を割くよりも、それよりも今お前がしなきゃいけない事、ない?」

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