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第三章
第67話 お誘い
しおりを挟む「わかればよろしい。だからね、そもそもアレに贖罪する必要はないんだよ。むしろ今までボランティアで付き合ってあげてたんだから、感謝して欲しいくらいに思っとけばいい。
ていうか、渉さ、アレに心を割くよりも、それよりも今お前がしなきゃいけない事、ない?」
兄はそう言うと、向かいに座る俺の目をじっと見据えた。
「……ある。香乃果の信頼と気持ちを取り戻す事……」
俺が俯きそう言うと、兄は固かった表情を和らげてふわりと微笑んだ。
俺がしなきゃいけない事……
優先してやらなきゃいけない事……
それは"穂乃果"の対応ではなくて、"香乃果"への対応だった。
兄に指摘されるまでは、穂乃果への贖罪ばかりに目が向いていて気が付かなかった。
何でこんな当たり前の事に気が付かなかったのか……
自分の馬鹿さ加減には嫌になる。
というか、指摘されなければ、きっと一生気が付かなかっただろう。
昔からそうなのだが、俺は思い込むとそれしか見えなくなるし、物事を一方からしか見る事が出来ない。そして、同時並行で事を成すことが出来ず、ひとつの事をするともう片方の事がおざなりになる。
この難儀な性格を何とかしたいと、常々自分でも思ってはいるのだが、長年この性格なので矯正するのはなかなかに難しくて、結果、今だって穂乃果の対応に追われて本来自分がやらなきゃいけない事が出来ていない訳で……
「でしょ?だったら、そっちをやんなきゃ。優先順位間違えたらいけないよ。むしろ、全力集中しなきゃじゃないの?」
兄にそう言われてハッとする。
そうか…俺は聖兄の言う通り、優先順位を間違えていたんだな……
兄の言葉に胸につかえていた何かがポロリと落ちた気がして、ストンと素直に言葉が出た。
「そう、だよね……俺、何やってたんだろ。」
「そうそう、アレの事は俺に任せて、お前は香乃果の事だけ考えてこれからは動きなよ。」
兄はニカッと笑いそう言うと、コップの麦茶をごくごくと飲み干した。
兄はいつも、俺の間違えに聡く気付き、優しく諭して元の道にやんわりと誘導してくれる。
俺はそんな兄の優しさに支えられてきたんだなと実感して、胸がいっぱいになると、じわじわと涙が滲んできた。
俺は滲んだ涙を誤魔化すように、麦茶を飲み干して誤魔化すと、深く深呼吸をして気持ちを言葉にした。
「聖兄……いつも…ありがとう。」
「ん?なんだよ、突然。」
俺からのありがとうが意外だったのか、兄は目を瞬かせた。
そんな兄に畳み掛けるように俺は普段照れくさくて言えない言葉を伝える。
「突然じゃない。いつも感謝してる…言葉に出てないだけで。本当にありがとうな。」
「ははは、なんかこそばゆいな。こういうの。でも……ま、どういたしまして?かな。」
兄は心底照れくさそうに笑ってそう言うと、誤魔化すようにテーブルの上のチョコレートを数粒口に放り込こむと、話題を戻した。
「それで、渉はこれからどうするの?」
「今からバイトして金貯めて、夏休みに一度会いに行こうと思ってる。まだそれだけしか方針は決まってない。」
「そか。で?連絡はとってるの?」
「ま…まぁ、2ヶ月に一度くらい……」
「は?何それ?!少なくない?!」
兄は驚きに目を見開くと、テーブルをバンと叩いて俺の方へ身を乗り出した。
その衝撃でパラパラとテーブルから零れ落ちるチョコレートやらスナックやらを拾いつつ、俺は嘆息しながら心情を吐露する。
「あー…やっぱり少ないよなぁ……だけど、これ以上嫌われるのが怖くてなかなか送れないというか……どうせ返信こないって心のどこかで思っちゃってる自分もいたりして……」
「お前はヘタレか!!!」
すかさず兄からの鋭いツッコミが入り、思わず俺は口篭る。
「ゔ……そう言われると…何も言えないけどさ……今の俺にはこれが精一杯なんだよねぇ。それに、返信ないのは地味に堪えるよ?」
「まぁ、それはちゃんとしてこなかった渉が悪いから仕方がないだろうな。て言うか、この先茨の道が決定してるのに、そんな事でいちいち傷付いてどうすんの?それで?最後にメール送ったのはいつ?」
「……昨日。それも、送るまで1週間近くかかった……」
「……マジかよ。はぁぁ……もう、それ何も言えないわ……」
呆れと若干のイラつきを顕にしていう兄の勢いに押され、俺は項垂れながらしどろもどろ答えると、頭の上から深い溜息が聞こえた。
「念の為に聞くけどさ、返信は……」
「……昼前の時点では……来てないね。」
項垂れてそう言うと、兄は腕を組んで、なるほど、という顔をして言う。
「だよねぇ…ってアッチとの時差、17時間だっけ?半日以上違うんだしもう少し待ってみたら?」
「そうだねぇ……待ってみようって毎回そう思うんだけどね。何回送っても一度も返信がこないからさ……なんか、半分諦めてるっていうか……」
そう自嘲気味に言うと、兄は深く溜息を吐いた。
「へぇ。諦めてるって、渉、香乃果の事、もういいんだ?」
「あ、いや、そう言う諦めじゃなくて……いや、香乃果の事は諦めてない。全然!」
パッと顔を上げて慌て兄の言葉を否定すると、怪訝な顔をしている兄に状況の説明をする。
「こない返信待つよりも、もう会いに行っちゃった方が早いかな……って。だから、進学も決まったし、すぐにでもバイト始めて夏休みまでに金貯めようって。」
「ふぅん。なるほどねぇ。でも、夏休みって結構先だねぇ。」
俺の説明を聞いた兄は腕を組み相変わらず怪訝な顔をして頻りに何かを考えているような素振りをしている。
「高校生のバイトなんてたかが知れてるし……大学行っても最初は忙しいだろうから……往復の航空券予約と滞在費考えたら30万円…今まで貯めた貯金が10万あるとしても……やっぱり夏休みになっちゃうよなぁ……」
溜息混じりにそう言うと、腕を組んで怪訝な顔をしていた兄が徐に口を開いた。
「なぁ、渉。俺さ、アレの件でシアトルのおじさんに用事あるんだよ。」
唐突な兄の言葉に意味が分からず目をぱちくりと瞬かせる俺を、兄は気にする様子もなく続ける。
「おじさんも休み調整してくれるって言ってるんだよね……3月くらいに。」
兄の言わんとする事がイマイチ掴めない俺を、兄は真剣な顔でじっと見据えると更に言葉を続けた。
「報告とか兼ねてるから、もちろん、旅費はおじさん持ちなんだけどね。」
そこまで言われて漸く兄の意図する事に気が付いて、パッと顔を上げて兄の顔を正面から見ると、兄はニヤリと片口角を上げて笑い、俺の意思を確認するように言った。
「なぁ、渉……一緒に行くか?」
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