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第二章

第28話 境遇-前編-

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「航生坊っちゃまお帰りなさいませ。」


 航くんが私を玄関の中にエスコートしてくれていると、声を聞きつけて出迎えにきてくれた家政婦さん?らしき女性が私達を見て瞠目した。


「うん、ただいま、藤乃。ごめん、今日は大切な人を連れてきてるんだ。このまま部屋に行くからお茶の用意頼めるかな?」


 航くんの言葉に藤乃と呼ばれた女性は、心底嬉しそうに顔を綻ばせると綺麗で丁寧な挨拶してくれた。


「あらあら、まぁまぁ!この可愛らしいお嬢様が航生坊っちゃまの大切なお方なのですね?!初めまして、藤乃ふじのと申します。どうぞお見知り置きくださいませ。」

「あ、あ、はい!柏木 香乃果です!こちらこそよろしくお願いいたします!!!」


 藤乃さんの挨拶に弾かれるように私もぺこりと頭を下げると、藤乃さんはまた嬉しそうに笑顔を零したので、私もつられて笑顔になる。


「ふふふ、本当にお可愛らしいお嬢様ですね。それに、私のような者に丁寧にご挨拶くださるなんて、お優しい方のようで、藤乃はとても嬉しいです。どうぞ、これからも航生坊っちゃまの事よろしくお願いいたします。」

「あ、はい。」

 和やかな空気に包まれほっこりしていると、不意に蚊帳の外に置かれていた航くんが少し不貞腐れたようにポツリと呟く。


「…藤乃、もういいかな?お客さんを玄関先で立たせっぱなしじゃ可哀想だよ?」


 その航くんの言葉に、藤乃さんは一瞬目を瞬かせるとくすりと笑いスリッパを出してくれた。


「まぁ、これは気が利かず大変申し訳ございませんでした。香乃果さま、お履物はそのままで結構ですので、どうぞお上がりくださいませ。後ほどお茶の支度をしてお部屋にお持ちしますね。それではどうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。」


 藤乃さんは私達の靴を揃えると、にっこり会釈をして奥の方へ下がって行った。
 私はにっこりと物腰柔らかだった藤乃さんの背中を目で追いながら、ふと、航くんの物腰の柔らかさは藤乃さんからなのかな?という考えが過ぎった。


「それじゃ、いこっか。」


 航くんの声にハッとして、振り向くと航くんはにっこりとした笑顔を向け、私の方へ手を差し出していた。


「……お邪魔します。」


 差し出された手におずおずと手を重ねると、航くんは嬉しそうに破顔した。

 そのまま航くんに手を引かれて長い廊下を歩いて行くと、部屋の前に着く。


「ここが俺の部屋だよ。」


 そう言って航くんが扉を開けると、その部屋の広さに再び吃驚して立ち竦んだ。


「どうぞ、入って。」


 促されるように入った航くんのお部屋は居室と寝室の二間で、男の子の部屋らしくものが少なくこざっぱりしたお部屋だった。
 入口で固まっていると、くすくすと笑う航くんに手を引かれ居室のソファに座らされる。


「何?何か面白いものでもあった?」


 楽しそうに笑いながら航くんが私の向かいのソファに腰を掛けると、ちょうどのタイミングで藤乃さんがお茶を持って来てくれた。目の前に手際よくお茶とお菓子が並べられる様子を見ながら、私は先程の航くんの問いかけに答える。


「あ…いや、ていうか、お家だけじゃなくてお部屋も広くて……吃驚した。」

「そう?基本はここでひとりで過ごしてるからあんまり考えたこと無かったな。」


 キョロキョロと落ち着きなく部屋を見回している私の事を、目を細めて眺めながら航くんはティーカップのお茶を口に運ぶと、にっこりと綺麗な笑顔を向けた。


「ひとりで…?ご家族は……」


 こんな大豪邸にひとりきりで…?
 動揺して思わず思った事が口から零れたが、航くんは気にした様子もなく先程と変わらない涼しい顔で持っていたカップをソーサーに置いて言った。


「祖父と両親、それに一回り離れた兄が居るんだけど、みんな忙しくしてるんだよね。兄は独立してるし、両親もここ以外に別宅があるしで平日はまず帰ってこないから。」

「別宅……」

「そう。週末は戻ってきてるみたいだけど、なかなか顔を合わせないよね。」


 なんて事はなさそうにしれっと言う航くんの言葉に、何だかチリっと胸が痛んだ。


「そんな…ご両親は別宅を設けないといけないくらい忙しいの?おじい様も?」

「うーん、忙しいみたいだねぇ。父親はワーカホリックで母親は深夜にオンコールがあった時に駆けつけられるようにふたりして別宅に居るよ。じぃちゃんは一緒に住んでるけど……あまり合わないねぇ。」

「そうなんだ…ご家族はお仕事何されてるの?」

「母と兄は医者をやってるけど、うちは代々経営者なんだ。じぃちゃんが医療機器メーカーの会長やってて、父はその後を継いで社長やってるよ。」

「へ、へぇ……そうなんだ……全然知らなかった……」

「うん。だってこう言うのって無闇矢鱈に話す物でもないし、第一これは親達の事で俺の事じゃない。なんか嫌なんだよね、親の威光を傘にするみたいで。」

「そっか……」

「ていうか、逆にごめん。隠してた訳じゃないんだけど、吃驚させてしまって……」


 困ったように苦笑いをしながら航くんは言った。

 ていうか、今気が付いたけど……
 家族が会長に社長、お医者様って……
 航くん、正真正銘のお坊ちゃんじゃない?!

 そりゃそうだ……
 そうでなければこの豪邸の説明がつかない……

 初めて知った事実に理解が追いつくと乾いた笑いが漏れ遠い目になった。
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