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第三話

賽の目(2)

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 藤原兼家の屋敷は東三条に存在していた。立派な寝殿造の屋敷であり、かつては忠仁公ちゅうじんこうと呼ばれた藤原良房が住んでいたこともある屋敷だった。

 牛車に揺られながら晴明は、東の空に輝く星があったという道真の話を思い出していた。東の空。それは東三条を現しているのではないだろうか。そして、輝く星は兼家の子の誕生を指しているに違いない。晴明はそう読み解くと、はやくその子に会ってみたいものだと思っていた。

「おい、晴明を連れてきたぞ」
 兼家は屋敷に着くなり、そう家人たちに告げる。すると、兼家に仕えている女房たちが噂の陰陽師の姿をひと目見ようと、こそこそと柱の陰からこちらを覗いたりしはじめた。別に美男というわけでもなければ、若い男というわけでもない。ただ、よく当たる占いができる中年陰陽師なのだが、なぜか女房たちは羨望の眼差しでこちらを覗いていた。

 遠くの方から赤子の泣き声が聞こえてきた。元気の良い子のようだ。
 晴明はひと安心した。もし、病に罹っている子を占えなどと言われれば、責任は重大となる。病に対しては祈祷を行い、病の原因となっている鬼や物怪を祓うというのが陰陽師の仕事の一つでもあったが、晴明はこの祈祷があまり好きではなかった。
 なぜなら、流行り病などの病気は祈祷したところで治ることはないからだ。あれは一度罹ったら最後であり、どんなに祈祷したとしても無理なものは無理であった。

 しばらくして、晴明は奥の部屋へと通された。広い部屋であり、その部屋の中央には赤子を抱いた女性がおり、その周りを囲むように女房と思われる女性たちが大勢いる。
 兼家は嬉しそうな顔をしながら、赤子を抱いた女性に近づいていくと、晴明の方を見て言った。

「陰陽師の安倍晴明を連れて来たぞ。我が子について占ってもらう」
「まあ、陰陽師の方が」
「安倍晴明にございます」

 晴明は女性に頭を下げた。この女性は摂津守藤原中正の娘で、兼家の妻である時姫であった。すでに時姫は兼家との間に二人の男児と一人の女児を授かっており、この赤子が四人目の子であった。

「まあ、貴方がかの有名な晴明様なの」

 時姫がそう言うと晴明はにっこりと微笑んだ。様々なところに蒔いた種は、順調に芽を出しているようだ。
 しかし、その発言を聞いた兼家は面白くないといった顔をしている。なぜ自分よりも身分の低い者に対して付けをして呼ぶのだろうか。そう思っているに違いなかった。

 それを察した晴明は、咳ばらいをするとすぐに占いの準備に取り掛かった。陰陽師の占いというのは、筮竹ぜいちくと呼ばれる竹の棒を使って行うことが多いのだが、ちょうど晴明は仕事帰りに兼家から声を掛けられたということもあり道具を持ち合わせてはいなかった。しかし、道具が無くとも代用品はどこにでもあるのだ。晴明は普段から持ち歩いている巾着袋を水干の懐から取り出した。
 その様子を見た時姫と周りの女房たちは、興味津々といった表情で晴明の手元を覗き込む。
 晴明が巾着袋の中から取り出したのは、ふたつの賽子さいころだった。賽子は出た目を使って占いが出来るため、占いの道具の代用品として重宝している道具のひとつであった。

「では、お子様の性別からお聞きしてもよろしいでしょうかな」

 そう言って晴明は赤子の顔を覗き込んだ。赤子の顔を見ただけでは性別を判断するのは難しい。下手にそれを口にして外れてしまえば、占いの信用度も落ちてしまうというものだ。だったら、聞いておいた方が良いだろう。そう晴明は判断して、兼家に問いかけたのだった。

女子おなごだ。目がくりくりとして可愛いであろう。将来は時姫に似て美しくなるぞ」
「まあ、兼家様ったら」

 その様子を見て晴明は、なるほどと思った。藤原兼家という男は女性の扱い方に長けているようだ。たしか、他にも妻がいるはずだ。多くの妻を抱えられる財力もあるが、それ以上に女性を喜ばせる言葉などを熟知している。きっと若い頃から女性に人気があったに違いない。

 晴明は賽子を手に取ると、紙の上に何度か振って見せた。
 周りにいた人々は固唾をのんで、その様子を見つめている。しかし、その賽子の出た目が何を意味しているのかをわかっている人間は誰もいなかった。それどころか、晴明がいま何をやっているのかすらもわかる人間はいないのだ。

「では、お子様の名前を教えて下さい」
詮子あきこだ」

 兼家はそう答えると時姫からまだ首の座っていない赤子を受け取り、抱きかかえて晴明の前へと連れてきた。

 その赤子が目の前に現れた時、その場の空気が一変したように晴明は感じた。
 可愛らしい大きなまなこに、ふっくらとした頬。赤子は誰が見ても可愛く見えるものであるが、その赤子の顔を見た晴明は、驚きを隠せなかった。

 陰陽道には、易の他に人相を見て占うというものもある。目や鼻、口などの形を陰陽五行に合わせて読み解き、その人間の良いところや悪いところを占うのだが、その赤子の顔を見た時、晴明は驚きを隠せなかった。
 何なのだ、この赤子は。晴明は心の中で呟く。このような吉相を持った赤子などは、いままで一度も見たことはなかった。赤子の顔を見るまでは、東の空に輝く星の話を聞いたことによる先入観は確かにあったかもしれない。しかし、そんな話など関係なく、目の前にいる赤子には特別な吉相があるのだ。

 赤子は自分のことをじっと見ている晴明の顔を見て、不思議そうな表情を浮かべている。
 息を吸い込んだ晴明は、手に持ったふたつの賽子を敷いた紙の上に振った。
 ゾロ目だった。まさかと思い、もう一度賽子を振る。またゾロ目である。二度もゾロ目が出たことで、周りにいた人たちもざわつく。これは吉凶のどちらなのだと、晴明に聞きたそうにしている。しかし、晴明はその人々のことが見えないかのように、もう一度賽子を手に取ると紙の上に振った。三度目のゾロ目であった。
 晴明は、ぎゅっと目を瞑った。全身からじっとりとした汗が吹き出すのがわかる。このようなことが有り得るのだろうか。

「どうした、晴明。なにがわかったのだ」

 ついに我慢できなくなった兼家が晴明に問いかけてきた。
 初めての出来事だった。ゾロ目が続く。それは偶然起きることかもしれないが、三度振って、三度ともゾロ目が出るというのは、そうそうあることではない。
 もしかすると、この赤子は将来とんでもない人物になるやもしれん。晴明はそう思いながら、赤子の顔をじっと見つめた。

「どうしたのだ、晴明」

 何も答えない晴明に、兼家が再び聞く。

「失礼いたしました。詮子様についてですが、大変素晴らしい結果が出ております。大事に育ててくださいませ」

 口の中がからからに乾いていた。この吉相といい、ゾロ目の続きといい、一体この赤子は将来どのようになるというのだろうか。

「そうか、そうか」

 晴明の言葉を聞いた兼家は嬉しそうに言うと、上機嫌になった。
 別に兼家のご機嫌を取るために言ったわけではなかった。この赤子がとんでもない人物になると、占いの結果が示しているのだ。

 上機嫌の兼家は、晴明に高そうな酒を土産で持たせ、さらには牛車で屋敷まで送り届けてくれた。
 今後も兼家とは良い付き合いをしていく必要があるな。晴明はそんなことを思いながら、牛車に揺られていた。
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