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子爵令嬢マチルダと男

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 アニストン子爵令嬢マチルダは、ソファの柔らかさを尻に感じた時点で、すでに頭の中は「後悔」の二文字しかなかった。
 色素の薄いきめ細やかな肌は今や燃えるように真っ赤に色づき、耳朶がジンジンする。首筋に浮いた汗の粒が背中へと滑り落ち、じっとりとドレスの生地を湿らせた。
 マチルダを落ち着かなくさせているのは、目の前にいる優男のせいだ。
 驚くほどハンサム。
 舞台俳優、いや、それ以上だ。
 まさに、幼い頃に憧れた絵本の中の騎士そのものと言って良いくらいに。
 漆黒の髪はうなじあたりまで伸びて艶やかな輝きを放っている。
 すっきりした鼻筋、凛々しく引かれた薄めの唇、日焼けした健康そうな肌。仕立ての良いフロックコートに包まれていてもわかる、鍛え抜かれた逞しい筋肉。おそらく、格闘技を嗜んでいるのだろう。
 神話の男神を彷彿させる。
 注意深く男を観察していると、ふと目が合い、思わずマチルダの尻がソファから五ミリほど浮いた。
「で、どんな男を希望する? 」
 高価な大理石製のテーブルを挟んで、男は淡々と問いかけてきた。
「え? 」
 咄嗟に反応出来なかった。
 そんなマチルダに、男はイラついたように整えられた眉を斜めに吊り上げる。
「君の好みだよ」
「わ、私の好み? 」
「ああ。どんな男が良いんだ? 金髪か? それとも黒髪? 茶色? 赤? 」
「く、黒を」
 思わず、目の前の男の髪色を答えてしまった。
「野生的なタイプ? それとも学者風の生真面目なタイプ? 遊び人の軽々しいのもいるが? 」
「や、野生的なタイプを」
 またもや、目の前の人物をなぞってしまう。
 髪と同じ漆黒色の双眸は、獲物を見定める獣のごとく鋭く光り、マチルダの爪先から頭のてっぺんまでを容赦なく震え上がらせた。
 接客業でありながら、彼はニコリともしない。
 そればかりか、まるで品物を値踏みする骨董商のように、不躾なほどマチルダから視線を逸らさない。時折首の角度を変えては、あらゆる方面からマチルダに流し目を寄越してくる。
「あ、あの」
 堪らず、マチルダは前のめりになった。
「何だ? 」
 ギロリ、と男の視線がより一層険しくなった。
「不躾ではありませんか? 」
 睨みつけられたところで、挫けるもんか。マチルダは膝上で拳を作る。
「そ、そもそも客に対して、物の言い方がなっておりません! わ、私は客ですよ! そ、それなのに! その偉ぶった話し方! 露骨な視線! ふてぶてしい座り方! あなた、私を動物園の珍獣と勘違いなさってるんじゃなくて!? 」
 一気に捲し立ててやる。
 あんまり早口で舌を噛み切りそうになった。
 息継ぎもなく、相手に口を挟む余地さえ与えてやらない。
 そのせいで息苦しくなって、ゼイハアと荒々しい呼吸が止まらない。
 マチルダは額にびっしり浮かんだ汗を手の甲で拭った。
「へえ」
 そんなマチルダに対する男の態度といえば、珍獣を見る目つきそのまんまだ。
 前髪を掻き上げるや、一人がけのソファに深く身を沈ませる。長い脚を組み替えたと思うや、片膝に肘をついて、顔を傾けながらマチルダを見やった。
 その一連の動作がまるでお芝居のように滑らかで、さらにマチルダの額に筋を浮かせる。
「その弾丸のような喋り方。そうやって今まで男を遠ざけてきたのか」
 彼は抜け抜けと禁句を口にする。
「なっ! 」
 なんて失礼な男。
「反論するのか? 」
 挑発しているとしか思えない。
 ますますマチルダの額の血管が濃くなる。
「べ、別に遠ざけてなど」
「成程。自覚なしか」
 男の瞳が細くなった。
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