上 下
25 / 48
第四章

妹の秘密

しおりを挟む
「何だと? 」
 思わず吉森は立ち上がりかけた。
 渡邊は香都子に目配せし、話の続きの了解を取る。
 香都子は顔を背けたものの、渡邊を制止はしなかった。
 渡邊は息を吸うと、思い切ったように口を開いた。
「大旦那様の筆跡を真似て、香都子さんが私を呼んだのです。くれぐれも内密に、うちに入り込んで調べてほしいと」
 仰け反ったのは、吉森だ。
 道理で渡邊は吉森の依頼に乗り気ではなかったはずだ。
 本来の依頼人は香都子だったのだ。
 それを知らずに、秘密を公にしてしまった。吉森は絶句した。
「じゃあ、何故、最初にとぼけたことを」
「あの時点では、本当に知らなかったのです」
 いけしゃあしゃあと、探偵は答える。
 そんな吉森の不安を払拭させるかのごとく、隣に座る森雪が机の下から指を絡ませてきた。
 驚くほど冷たい指の感触に、ハッとなる。大丈夫。そんなふうに森雪は頷いた。
 彼のこれまでの言動から、香都子が真の依頼者であったことは全てお見通しだったのかもと思い至る。
 根回しの良い森雪のことだから、吉森が隠し通すその点を巧く処理したのだろうか。
「ああ、何てこと」
 松子は眩暈を起こす。吉森とはまた違った思いを松子は胸に巡らせていた。
「わかりました。白状いたします」
 香都子は覚悟を決めたと前を見据えた。
 吉森にも森雪にも似ていない、揺らぐことのない芯のあるその眼差しは、キネマの女優に全く引けを取らない美貌の一つとして燦然としている。
「実は音助と私は、もう長いこと男女の関係にありました」
 話の内容が思ってもみなかったことに、吉森はさらに目を丸くした。松子も同様だ。しかし、森雪は顔色一つ変えない。とうに知っていたのは確かだ。
「ただ音助は本当に私と所帯を持つつもりなのか。他に女はいないのか。気になって、気になって」
 大河原は親子ほどの年の違いのある二人が関係を持っていたことまでは調べ上げていなかった模様で、空咳をして驚きを誤魔化している。
「そうこうしているうちに、父が渡邊さんへしたためた依頼状を仏壇の抽斗から見つけました。これ幸いと、内容を書き換えて、送ったのです。私、探偵に知り合いがおりませんので、どなたに依頼してよいものかと悩んでおりました。父の手紙は、渡りに舟だったのです」
「清右衛門殿が渡邊に依頼を?」
「内容は、お母様が使用人と姦通しているかも知れないとのことでした」
 ぎょっと目を剥いた松子は、途端に憤怒の表情にと変貌する。ヒステリックに眉を吊ると、机に手をついて伸び上がるなり、二つ先の娘に怒鳴りつける。
「何と愚かな!姦通など!私は、私は!」
「まあまあ、奥さん。潔白を信じたいから、清右衛門殿も依頼を躊躇ったのでしょう」
「躊躇うも何も、事実無根です!」
 宥める大河原にも怒鳴り散らし、まだ腹に据え兼ねるといったふうに、ぶすっとして居住まいを正した。
「ああ、香都子。よりによって、どうして音助なんかと」
 怒りの矛先は、娘から番頭へと向いていた。
 そんな母を、香都子は冷ややかに一瞥する。
「きっと、お母様はそう仰る。だから私は、あの日、音助と駆け落ちを企てたのです」
 京都に恩師の見舞いに行ったときの香都子の服装は、いつになく地味で、派手な色を好む彼女らしくはなかった。たとえ暗めの色を選ばざるを得ないにしても、装飾品に凝る。それが、あの日は、まるで別人を装うかのごとく、雰囲気を違わせていた。
「ああ……」
「松子様!」
 会話の内容にとうとう耐えられず、松子は眩暈を起こし、仰向けに体が倒れて行く。突然のことに俄かにざわめき対応が遅れる中、一番素早かったのは渡邊だった。音もなく立ち上がるなり松子の体を支える。
 そのとき、吉森は見逃さなかった。渡邊の左腕にチラリと覗いた青い筋を。刺青だ。一瞬のことだったので、それがただの痣なのか、彫り物なのか判別は出来なかった。
「結局、音助は来なかった。てっきり、怖気づいて雲隠れしたとものだとばかり。まさか……まさか、命を」
 香都子の唇が戦慄き、眦が潤んだかと思えば、どっと涙が頬を伝う。今の今まで、香都子は音助が自分を捨てたと歯噛みしていただろう。それが全くの筋違いであることに、受けた衝撃は計り知れない。
「自殺他殺の両面で当たっております」
「どちらにせよ、もうこの世に音助はいないのですね」
 たとえ自殺であろうとそうでなかろうと、最早、亡くなったことに変わりはない。焦燥感漂わせ、香都子は遠くを見つめながら呟いた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】紅く染まる夜の静寂に ~吸血鬼はハンターに溺愛される~

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
 吸血鬼を倒すハンターである青年は、美しい吸血鬼に魅せられ囚われる。  若きハンターは、己のルーツを求めて『吸血鬼の純血種』を探していた。たどり着いた古城で、美しい黒髪の青年と出会う。彼は自らを純血の吸血鬼王だと名乗るが……。  対峙するはずの吸血鬼に魅せられたハンターは、吸血鬼王に血と愛を捧げた。  ハンター×吸血鬼、R-15表現あり、BL、残酷描写・流血描写・吸血表現あり  ※印は性的表現あり 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう 全89話+外伝3話、2019/11/29完

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

あの店に彼がいるそうです

片桐瑠衣
BL
こちらはどこまでも玩具のパラレルワールドです 登場人物としましては NO.1 類沢雅 NO.2 紅乃木哲 チーフ 篠田春哉 … といった形です なんでもありな彼らをお見守りください 「知ってる?」 ―何が 「あの歌舞伎町NO.1ホストの話!」 ―歌舞伎町NO.1? 「そう! もう、超絶恰好良かったんだよ……」 ―行ったの? 「ごめんなさい」 ―俺も、そこに案内してくんない? 「え……瑞希を?」 ―どんな男か見てみたいから あの店に 彼がいるそうです

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【旧作】美貌の冒険者は、憧れの騎士の側にいたい

市川パナ
BL
優美な憧れの騎士のようになりたい。けれどいつも魔法が暴走してしまう。 魔法を制御する銀のペンダントを着けてもらったけれど、それでもコントロールできない。 そんな日々の中、勇者と名乗る少年が現れて――。 不器用な美貌の冒険者と、麗しい騎士から始まるお話。 旧タイトル「銀色ペンダントを離さない」です。 第3話から急展開していきます。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

偽物の僕は本物にはなれない。

15
BL
「僕は君を好きだけど、君は僕じゃない人が好きなんだね」 ネガティブ主人公。最後は分岐ルート有りのハピエン。

処理中です...