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二章 恋の病に薬なし
-26- 旋風は突然に
しおりを挟む「苦労知らずのお嬢さまが、こんなとこに何の用!? 貧乏人の暮らしを見るのが、そんなに楽しい!? 綺麗な着物を見せびらかしにでも来たの!? とっとと帰んなさいよ!! 邪魔!!」
矢継ぎ早に強い言葉を投げられて、八重は目の前が真っ白になりそうなほどの衝撃を受けた。
何の言葉も返せず、目を見張って硬直している間に、少女は鼻緒が切れた草履を片手に握って走り去っていく。
「……」
何事が起きたのか理解するのに数分の時間を要し、理解した頃には八重の胸にずっしりと重い石が積み重なった。
小さい旋風かと思い手を伸ばした結果、かまいたちに細かい傷を付けられたかのようだ。
気分が暗く沈み込んで何かを思う考えすら浮かんでこない。ただただ悲しかった。
すると。
「八重! どうした!?」
「きゃっ……!?」
突然、太蝋が両肩を掴んできた……!
しゃがみ込んだまま落ち込んでいたせいで人の足音が耳に入っていなかったらしく、前触れもなしに太蝋が現れたように感じ、八重は心底から驚いた。
太蝋は八重の首に手を当てがいながら真剣な声色で訊ねる。
「何処か具合が悪いのか?」
「い、いえっ。ど、何処も悪くありません」
「本当か? 熱はないか?」
「あ、ありません」
眼前にある太蝋の顔。表情がない蝋燭頭なのに息遣いが聞こえるせいか、妙に緊張する。
陽だまりのような香りが、風に乗って八重の鼻をくすぐってきて、それが太蝋の匂いだと分かると更に緊張した。
顔に熱が灯るのを感じて、八重は恥ずかしさに目を泳がせる。
「顔が赤い」
「あ、こ、これは……っ」
「熱があるんじゃないか?」
そう言って太蝋は八重の額に手を当てた。
少しの間、熱を測る為に手を置いていたのだが、太蝋は「むう……」と小さく唸って手を離す。
「やはり、私に熱は測れないか。とにかく、ここを離れて屋敷へ戻ろう」
太蝋は八重の前で両腕を広げる。
「抱えて運ぶから――」
「っ!? ほっ、本当に何でもないですから……っ!」
「こんなに顔を赤くさせておいて何を――」
「だっ、旦那様が、近いからです……っ!」
「え?」
八重の必死な訴えを聞き、太蝋は疑問符を浮かべた。
「顔が赤いのは、旦那様が近いからで……っ。具合が悪いのではなく、き、緊張してしまって……っ。ご、ごめんなさぃ……っ!」
そう言って、八重は抱えた膝に顔を埋めた。
小刻みに震える肩を見下ろし、太蝋は言葉を失う。
ドッ……と心臓が脈打つ音が耳奥で聞こえ、自分まで身を丸くしてしまいそうになった。
「謝る必要は。いや、なに……そうか。なら良い。うん……」
思いの外に動揺してしまっていることを自覚し、太蝋は言葉を詰まらせながら立ち上がる。
直前に病雀を発見していたこともあり、その影響が八重にも及んだのかもしれないと肝が冷えた。
よくよく考えれば、霊力が高い火蝶の血筋である八重は災物からの影響が少ない筈だと分かるのだが、しゃがみ込んで小さくなっていた姿が消えてしまいそうなほどに頼りなくて、つい取り乱してしまった。
今は妻の赤面顔を見て動揺している場合ではないと言うのに。
「……八重。私は急いで家に帰らなければならなくなった」
太蝋が病雀を発見した長屋の方向に目を向けながら言うと、八重は先ほど太蝋が言っていた急用が終わっていないのだと察した。
「そうなのですね。分かりました」
すっと立ち上がり、背筋を伸ばして帰り道の方へ身体を向ける八重。
憂いや怒りは感じず、ただ太蝋が言うなら急がなければ……と思っていそうな真面目な顔をしている。
残念がる素振りを見せてくれないのは少し寂しい気もしたが、太蝋の立場を気遣ってのことだと思えば、物分かりの良い妻である。
「すまないな。急ぎとは言え、走ることはない。人通りの少ない道を行けば、そう時間も掛からない筈だから」
そう言って歩き出した太蝋の後ろをついて行きながら、八重は自身の歩幅の狭さを考えて太蝋に言う。
「先に帰って頂いても――」
「それは駄目だ。私を女房殿を置いていくような男に仕立て上げないでくれ」
思わぬ言葉が返ってきて八重は目を見張った。
少し前に太蝋に置いていかれるかもしれないと考えた思いごと否定されたようで、心に掛かっていたモヤが晴れていく。
同時に太蝋に対して、そんな風に考えてしまったことが申し訳なくなる。
「申し訳――」
「いや、責めてるんじゃない。慣れない町に八重を置いて行ったら、それが気掛かりになって用事に手を付けられなくなる。私の為だから気にしないように」
「…………はい……」
一切振り向くことなく平坦な声で言う太蝋の背中を見上げ、八重は締め付けられる胸を抑えながら、少しだけ早めに歩いていった。
川辺に沿って下流の方に向かい歩いていくと、人通りが多い場所が見え始めた。
このまま歩いていけば、途中に雀通りとぶつかる分かれ道に出る。
だが、帰りはそちらへは行かない。火焚の屋敷がある東方向を目指しながら、細かい道を辿って行く。
その道中、近くの長屋から人が言い争う声が聞こえてきた。
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