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二章 恋の病に薬なし
-20- 都会の人並み
しおりを挟む軒下の影のお蔭で随分と涼しく感じる。
隣り合って立つと、太蝋は人混みに目を向けながら再び訊ねた。
「それで? どんな人を見てたんだ?」
「え、えっと……誰かを見てた訳ではなく……」
「ん? じゃあ、この人混みそのものを見てたと?」
「は、はい……」
「どうして?」
「その……」
平坦な声で矢継ぎ早に質問を重ねられ八重は口篭った。
人混みで立ち止まったことを責め立てられているような気がしてくる。
俯いているのに太蝋に見られているのが分かる。
答えを急かされているような錯覚に陥る。
八重は俯いたまま手を拱いて、辿々しく答えた。
「い、田舎だと、よく見られていたもので……。ここでは、誰も私を見ないことが新鮮で……」
八重の答えに対する太蝋の返事はすぐには戻ってこなかった。
待っている間に八重の額に冷や汗が伝う。
「……なるほど。なら、ここでは存分に人間観察すると良い」
「……え?」
太蝋の言葉を聞き、八重は驚いて顔を上げた。太蝋は人混みの中を歩いている誰かを指して言う。
「例えば……あの男は田舎から出てきたばかりのお上りさん。足元の泥汚れから察するに、ここまで歩いて来たようだね。かなりの健脚だ。向こうのヤカン頭の男は人を待ってる。随分と頭の蓋が忙しなく動いてるし相手は恋仲かな。あちらの婦人は異国文化が好きな金持ちのようだから洋裁屋に行くんじゃないかな。日傘も差していて、ご機嫌そうだ」
次から次へと人を指差して、それらしい見解を話していく太蝋の言葉に八重は思わず聞き入った。
どれもが正解のような気がしてくる。
「凄い……。よく、お分かりですね……」
「ただの想像だよ。最初の男は夕陽町の農夫かもしれないし、ヤカン男が待ってるのは金貸しかもしれない。洋装の婦人は異国から来たから、あの格好をしてるのかもしれないしね」
後から聞かされた別の解釈で指された三人への見方が、がらりと変わる。
そのことに驚いた八重が目を見張って人混みを見ていると……。
「こうやって観察でもしない限り、通りすがりの他人のことなんて気にしやしないよ」
さらりと平坦な声で太蝋が言った。
他人に興味を持つことがないと取れる冷たい言葉に聞こえたが、その前の言葉から繋げて考えると「だから、人の目を気にすることはない」と言う意味が篭った、気遣いの言葉にも聞こえる。
疎む目を向けられ続けてきた八重には、ただただ歩いていく人混みの光景が居心地良く思えた。
何より、太蝋が自分の言葉を嘲たり、否定せずに聞き入れてくれたことが嬉しかった。
「暑くないか?」
こうした問いも自分を気遣ってのことだと思うと、火焚の屋敷を出る前に言われた言葉も嫌味ではなかったのかもしれないと思えてくる。
あまりにも卑屈になりすぎていたのではないかと思えるのだ。
「大丈夫です」
八重は淀みない声で答えた。その声を聞いて太蝋は少し驚いた様子で頭の炎を揺らめかせ、八重を見下ろす。
八重の視線は真っすぐと人混みに向けられている。
萎縮して丸まっていた背が、しゃんと伸びていた。
その姿をじっと見つめ、太蝋はこれを機に気になっていたことを聞いてみようと思い立つ。
「八重は〝あつい〟のは、どれくらい平気なんだ?」
「夏の暑さで困ったことはないです。平熱が高いからかと……」
「ふむ……じゃあ、湯の熱さなら、どれくらい?」
「五十度ほどでしたら問題なく触れます。火蝶の力を使えば沸騰したお湯でも大丈夫です」
「そうか……。だから――」
言葉の途中で太蝋は口を噤んだ。
八重の熱耐性が、どれほどのものかと気になった切っ掛けが、初夜での出来事からだとは流石に口にできなかった。
太蝋は「ごほん」と咳払いして誤魔化すように言う。
「私は体温が五十度ほどあるものだから、うっかり人が触れても大丈夫なように布で肌を覆うようにしててね。それでも「熱い」と文句を言われることもあるから、普段は霊力で抑えるようにしてるけどね」
そう言った後、太蝋は自身の頭に灯っている炎を指差し「こっちもね」と言う。
霊力で熱さを抑えているとは言え、蝋燭に灯った火が熱くない訳はない。迂闊に触ろうとは、とてもじゃないが思えない。
いつも太蝋が服を着込んでいる理由が分かり、八重は合点がいった様子で「そうだったのですね……」と呟いた。
と同時に太蝋に触られた時の熱さを一ヶ月ぶりに思い出してしまい顔が熱くなる。
(あ……だから、旦那様は何度も私に「熱くないか?」と訊ねられたのね……)
あれも太蝋の気遣いだったのだと気が付いた瞬間、苦い経験となった初夜の思い出が少しだけ苦くなくなった。
太蝋が肌を晒さなかった理由も八重に火傷させない為の配慮だったと考えれば、優しさだったと分かる。
(と言うことは……やっぱり、三々九度にも何か訳があったりしたのかしら……?)
神酒ではなく水で交わした三の盃が八重の頭に過ぎる。けど、それを太蝋に聞く勇気は無い。
心に靄は掛かるも、謎にしておいた方が良い話だってあるのだから。
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