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二章 恋の病に薬なし
-38- 眠りに誘う音
しおりを挟む数日後の昼。
急遽発生した疫病災物・病鼠討伐作戦の事後処理を終えた太蝋は、雨鷺討伐作戦後から取る予定だった休暇に再び入ることになった。
以前なら三日程度の休暇でも持て余して、火焚家の当主である母の手伝いしたりすることで時間を潰していたものだが、今は違う。
屋敷へ戻った太蝋は自室――いや、八重の部屋の方へ足を向ける。
その道中で新人の女中を見つけ、声を掛けた。
「ヨネ」
「あっ、隊ちょ――旦那様ジャナイデスカ。オカエリナサイ」
口を滑らせかけた呼称と言い、全く尊敬の念が込められていない出迎えの挨拶と言い、主人である筈の太蝋に対して随分な対応だ。
太蝋は呆れた様子で溜息を吐き、腕を組んでヨネに言った。
「露骨な態度だな。恩人に対する態度とは思えん」
「恩着せがまし――」
「事実、命を救ってやったしな」
文句あり気に呟くヨネの言葉に太蝋が被せると、ヨネは腹を立てた様子で太蝋を睨み上げた。
しかし、太蝋は意にも返さない様子でヨネに訊ねる。
「八重は何処だ? 自室にいるか?」
「……奥様なら機織り部屋に居ます。絹糸が届いてから昼間はずっと機織り部屋に篭ってるんで」
「そうか、分かった」
ヨネから八重の居場所を聞き出した太蝋は行き先を機織り部屋に変更した。
颯爽とヨネの横を通り過ぎて、つかつかと廊下を歩いて行く。
機織り部屋の前に到着すると、確かに部屋の中から機織りする音が聞こえてくる。カタン、カタン……と、一定の調子で鳴る機織りの音が心地よく耳に響いた。
「八重」
部屋の外から呼び掛けるも返事が来ない。
障子の方へ駆けてくる足音も聞こえず、機織りの音が続いている。
よほど夢中になって絹を織っているのだろうと想像がついた。
太蝋は静かに障子を開け、中の様子を窺った。
竹林が見える窓の向こうから夏の光が射し込み、静かに絹を織っている八重の姿を煌びやかに見せていた。
着物の袖を襷掛けして動きやすい格好になっている。
真剣な眼差しで絹糸を織り込んでいく姿は筆舌では表し難いほど神秘的であった。
これまで見てきた、おどおどして恥ずかしがっている姿からは想像ができないほど凛としていて、声も出せずに見惚れてしまう。
規則的に鳴る機織りの音を聞いていると、不思議と眠くなってくる。
太蝋は機織り部屋に入ると、腕を組んで壁に背を預け、八重を見守り続けた。
災物対策の任務に追われる日々を送る太蝋にとって、何にも手を付けない時間は新鮮だった。
眠気に襲われて一瞬だけ目を伏せると、不意に八重の声が部屋に響く。
「えっ……だっ、旦那様……っ!?」
「……ん? あぁ……気が付いたか」
驚く八重の声に意識が引き戻されて顔を上げると、八重は慌てて機織り機から立ち上がろうとしていた。
太蝋は八重の傍まで歩いて行きながら言う。
「そのままで良い」
「で、でも……」
「お前の時間を取り上げたくて来たんじゃないんだ。少し、顔を見たかっただけで」
「え……あ……そ、そう、ですか……」
一切の照れを感じさせない平坦な声色で言われた言葉に八重は顔を赤くさせて戸惑った。
そうして恥ずかし気に目を伏せる八重の顔は、太蝋でも見覚えがあるものに変わっていた。
先ほどまで真剣な面持ちで絹を織っていた女と同一人物とは思えないほど、顔を赤らめて目を泳がせている。
知っている顔を見れたことに少しの安堵感を覚えながら、太蝋は織っている途中の絹に目をやりながら訊ねた。
「糸の量は充分か? 反物を織れるくらいでと、火縄の御父様にお願いしたんだが……」
「じゅ、充分過ぎるくらいの量です……。それに、こんなに質の良い絹糸だなんて――」
自分には過分な贈り物だと言いたげに目を伏せる八重を見て、太蝋は言葉の先を言わせまいと口を開く。
「火縄のお父上だって愛娘に良い物を贈りたかったんだろう」
「そんな……」
「私だってそうだ」
また八重が自虐の言葉を口にする前に、太蝋は八重の顔を覗き込んで強引に話を進めた。
「喜んでもらえたなら、私はそれで満足なんだが……困らせたか?」
「い、いえっ。う、嬉しいです……っ」
目の前に太蝋の顔があることに恥ずかしさを覚えながら、八重は慌てて首を振った。
贈り物自体よりも太蝋や当主の心遣いが嬉しかったのは事実だから。
八重の答えを聞いて、太蝋は満足そうに息を吐いて体勢を整えた。
「なら良い」
ゆったりと頭の炎を揺らめかせて嬉しそうな声色で言う太蝋を見上げ、八重は胸をときめかせた。
と同時に、自分の考えを伝えてみようと勇気が湧く。
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