片翅の火蝶 ▽お家存続のため蝋燭頭の旦那様と愛し合います▽

偽月

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二章 恋の病に薬なし

-37- 八重の誠意 太蝋の狙い

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 時折、会話を交わす穏やかな夕餉を過ごした後、二人は自室に通じる廊下を静かに歩いて行く。
 手元に灯りはなく、太蝋の頭の炎だけが周囲を照らしている。

 八重は太蝋の背中を見上げながら、今夜の行く末を思って胸を騒つかせた。
 八重が嫁いできてからと言うもの、太蝋が屋敷で夜を過ごしたのは二回しかない。
 初夜と帝都観光前夜だけ。帝都観光前夜に至っては、部屋を別にして過ごした。今夜で三回目なのだ。

 太蝋が屋敷に居なかった一ヶ月間は八重にとって苦しみの期間であった。
 頼る先が無いまま部屋に籠るように過ごし、用足しで部屋から出た時には使用人達からの冷たい視線を感じた。
 身体的な痛みにも独りで堪え続けるしかなかったのだ。
 頼る先が無い以上、夜にひっそりと動くことしか出来ず、赤い布を白に戻す作業にも涙を流した。

(また、お務めを……しないと……)

 初夜での成果を宿せなかった以上、同じことをしなければならない。
 太蝋が居る今夜を――機会を逃してはならない。

「だ、旦那様……っ」

 太蝋の部屋まで目と鼻の先の廊下で、八重は意を決して太蝋を呼び止めた。
「ん?」

 振り返った太蝋の目に、不安げに目を泳がせて口籠る八重の姿が映った。
 手をこまねいて、何やら言い淀んでいる八重を見下ろし、太蝋は首を傾げる。

「そ、の……お、お務め……を……」

 八重の言葉を聞いた瞬間、太蝋は何を言いたいかを察した。
 「あー……」と太蝋が言い淀む声が聞こえてきて、八重の胸がぎゅっと締め付けられる。
 元々、表情は分からない蝋燭ろうそく頭なのだが、どんな表情をしているのか想像するだに恐ろしい。

 顔を上げられずにいると、視界に手袋をはめた太蝋の手が映り込んだ。

「一先ず、私の部屋へおいで。そこで話そう」

 その手を取れと言われているように感じ、八重は怖ず怖ずと手を重ねた。
 きゅっと握られると、ゆっくりと部屋の方へ誘導されていく。

 久しぶりに太蝋の部屋に入ると、一組の布団が丁寧に敷かれていた。
 二人が夕餉を食べている間に、女中の誰かが太蝋の布団を敷いたのだろう。八重の分は敷かれていない。

 太蝋は部屋の真ん中に敷かれた布団の存在を無視して、二組の座布団を手に取り、縁側近くにぽんぽんと置いた。
 片方に胡座をかくと、すぐ傍に置いた座布団を手で叩いて八重を呼ぶ。
 用意された座布団に静々と八重が正座すると、太蝋は中庭に目を向けながら口を開いた。

「私は――初夜の時のような事は、もう、しない」
「えっ」

 気が付かない内に粗相をしてしまっていたのか。
 そんな不安が八重の頭を巡り、焦りを呼んだ。

 八重が果たすべきと思っている務めは、太蝋の協力無くして叶うものではない。
 そもそも、八重が火焚家に嫁いだのは、火蝶の本家の後を継ぐ者を産むため。これでは本末転倒だ。
 太蝋は続けて言った。

「情けなくも欲に負けて自分本位に動いてしまったことが悔しくてね。次は、八重をもっと知った上で抱きたいと思ってる」
「ふぇ……っ?」

 思わぬ言葉を聞き、八重は目を丸くさせて太蝋を見た。

 中庭に向けられていた筈の太蝋の視線が、八重を射抜く。
 大きく跳ねた心臓を抑え込むように、八重は左胸に手を添えながら「え、えっと……」と言って、顔を赤くさせて目を泳がせる。

 太蝋は赤くなった八重の頬に、そっと手を添えた。
 手袋越しに伝わる太蝋の体温が、八重の頬の赤みを増させていく。

「互いの人となりを知ること。触れ合うこと。それらに少し時間を掛けよう。子作りは、それからでも遅くない」

 諭すような優しい声色で言われたことに対し、八重は単純に喜ぶことはできなかった。
 互いに互いを知る時間を設けるのは悪いことではない。八重も太蝋を知りたいと思っていたのだから。

 だが、その結果、離別したいと思うほどの欠点を見つけられてしまったら――そんな不安が八重を襲った。
 改めて子作りしたいと思ってもらえるほどの何かが、自分にあるとは思えなかった。
 かと言って、太蝋の意見を拒否するほどの考えがある訳でもなく……。

「はい……。承知しました……」

 八重は目を伏せながら答えた。その顔色は、決して前向きなものではない。
 頬に添えた手はそのままに太蝋は不安の色が滲む八重の顔を覗き込んだ。

「快諾、と言った顔じゃないな」
「あ……そ、その……」
「言っておくが私の言う触れ合いとは、手繋ぎや抱擁と言った生温いものだけじゃないぞ」
「え……?」

 太蝋の言葉の意味が分からず、咄嗟に顔を上げると視界に映ったのは太蝋の喉仏だった。
 額に伝わった謎の感触と、視界いっぱいに広がっている太蝋の太い首。

 ちゅ……と言う水音が聞こえてから少しすると、再び太蝋の頭が目の前に映った。
 何事が起きたのか分からず、きょとんとしている八重を見つめ、太蝋は親指で八重の頬を撫でながら言う。

「額に口付けさせてもらった」
「…………えぇ……っ!?」

 太蝋が自分に何をしたのか理解した途端、八重は耳まで赤く染め上げて目を見張った。
 信じられないことが起きたと言わんばかりに動揺する八重。
 ウブ過ぎる反応に半ば呆れながら、太蝋は追い打ちをかけた。

「額だけじゃないぞ。その内に、口や首――身体中に口付けする。お前の頬を撫でてる手の行き先だって、ここだけに留まらない。手や、頭だけじゃないんだ。お前の身体中、何処にでも伸ばすつもりでいる」

 手の存在を意識させるために頬を手全体を使って撫でると、八重はびくりと肩を揺らした。
 更に太蝋は口の存在も知らしめるために、八重の耳元に口を寄せて囁いた。

「お前にも私に触れてもらわないとな。次に私がお前を暴く時に、悦び以外の涙を流さないように」

 誘惑する声が耳から身体の奥へ流し込まれて、さざなみが腰から背中へ掛けて押し寄せた。
 その影響が口から声となって出そうになるのを堪え、八重は息を飲む。
 顔の横に周囲を照らす熱源があり、羞恥で熱くなる頬を余計に熱くさせた。
 部屋の中に差し込む二つの人影がゆらりと動く。

「脅しはこれくらいにしておこう。部屋まで送るから立ちなさい」

 短くなった影を足下に携え、太蝋は八重を見下ろしながら言った。
 八重は困惑する頭のまま静かに「はい……」と答えて、立ち上がる。
 そして、太蝋の先導を受けつつ部屋を出た。

 部屋に入るまで太蝋に見守られた後、八重は寝支度を整えて、布団を広げて横たわる。
 そして、太蝋の数々の宣言を反芻しては顔を赤らめて、布団の中で身悶えた。

 火焚家の後継を産む為だけの〝務め〟ではなくなる予感を覚えながら。
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