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楽園の涯
20 春宵の送り火 3
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「だがこれで、私の心も決まった」
ブリクストが驚いた顔でノアに振り向く。
「父上には、なるべく早期に退位いただかなければならないだろう」
この言葉を、待っていたのだ――ブリクストは戦慄に体を震わせながら思った。
ジュニエスの戦いでリースベットを失い、それ以来ノアはどこか、感情の泉が涸れ切ってしまったような雰囲気をまとっていた。
ノアが何かについて考え、自らの行動を決定しようとするとき、その選択をリースベットはどう思うだろうか、という問いが常に彼の心のうちにあった。ノルドグレーンでの幽閉生活から戻ってから五年ほどの間、ほとんどの時間を離ればなれでいたが、リースベットはノアにとっての半身とも言える存在だったのだ。自身の半分を、生者という形においては永遠に失ったのであり、その欠落をノアはまだ埋められずにいる。
――だがその欠落が、ヴィルヘルムのような無気力やアウグスティンのような暴虐を誘発しない限り、私はこの方についてゆく。
「及ばずながら、粉骨砕身してご助力させていただきます」
「……頼む。私にはまだまだ力がなく、敵も多い」
ふとノアは表情を緩め、脚を組んだ。
「とはいえ、父にはまだ仕事をしてもらわねばならないがな。飾り馬車の上で座っているだけの仕事だが、果たしてそれすら任に耐えるか……」
「春宵の火祭りですか」
「ああ」
「民も楽しみにしております。これがなければ冬が終わらない、と」
「今年は開催さえ危ういかと思っていたが、なんとか例年通りにできそうだな」
春宵の火祭りは、リードホルムで四月の末日に開かれる行事だ。
リードホルムやノルドグレーンで広く信仰されている、ファンナ教以前の民間信仰に起源を持つと言われている。現在では、その伝承に従って死者を敬うよりも、春の到来を祝う祭りという性格が強い。宮廷内では政情不安から開催を危ぶむ声もあったが、民衆の声に押された民部省が和平記念式典と並行して準備を進め、なんとか期日通りの開催にこぎつけたのだった。
人員不足の中で準備を強行したためか、祝賀行列で国王が乗る巨大な飾り馬車が開催前日に火災に遭うなど、直前まで多少の混乱が見られた。多くの者が複数の仕事を掛け持ち、昼夜を問わずヘルストランド城の中庭をせわしなく走り回っている。倒れた篝火が馬車に燃え移っていることに気付くのが遅れたのだ。
「どうせ王族の数も減ったことだ。王子たち用の飾り馬車に国王を乗せてしまって問題あるまい」
馬車の管理責任者モーテンソンは忙しさのあまり、不敬とも取られかねない暴言を口にしたが、誰もそれを咎めようとはせず、それどころかモーテンソンの肚案をすぐさま実行に移した。彼らも他の国民と同様、春宵の火祭りを実行し、これまでと変わらぬ日常に戻りたかったのだ。
ブリクストが驚いた顔でノアに振り向く。
「父上には、なるべく早期に退位いただかなければならないだろう」
この言葉を、待っていたのだ――ブリクストは戦慄に体を震わせながら思った。
ジュニエスの戦いでリースベットを失い、それ以来ノアはどこか、感情の泉が涸れ切ってしまったような雰囲気をまとっていた。
ノアが何かについて考え、自らの行動を決定しようとするとき、その選択をリースベットはどう思うだろうか、という問いが常に彼の心のうちにあった。ノルドグレーンでの幽閉生活から戻ってから五年ほどの間、ほとんどの時間を離ればなれでいたが、リースベットはノアにとっての半身とも言える存在だったのだ。自身の半分を、生者という形においては永遠に失ったのであり、その欠落をノアはまだ埋められずにいる。
――だがその欠落が、ヴィルヘルムのような無気力やアウグスティンのような暴虐を誘発しない限り、私はこの方についてゆく。
「及ばずながら、粉骨砕身してご助力させていただきます」
「……頼む。私にはまだまだ力がなく、敵も多い」
ふとノアは表情を緩め、脚を組んだ。
「とはいえ、父にはまだ仕事をしてもらわねばならないがな。飾り馬車の上で座っているだけの仕事だが、果たしてそれすら任に耐えるか……」
「春宵の火祭りですか」
「ああ」
「民も楽しみにしております。これがなければ冬が終わらない、と」
「今年は開催さえ危ういかと思っていたが、なんとか例年通りにできそうだな」
春宵の火祭りは、リードホルムで四月の末日に開かれる行事だ。
リードホルムやノルドグレーンで広く信仰されている、ファンナ教以前の民間信仰に起源を持つと言われている。現在では、その伝承に従って死者を敬うよりも、春の到来を祝う祭りという性格が強い。宮廷内では政情不安から開催を危ぶむ声もあったが、民衆の声に押された民部省が和平記念式典と並行して準備を進め、なんとか期日通りの開催にこぎつけたのだった。
人員不足の中で準備を強行したためか、祝賀行列で国王が乗る巨大な飾り馬車が開催前日に火災に遭うなど、直前まで多少の混乱が見られた。多くの者が複数の仕事を掛け持ち、昼夜を問わずヘルストランド城の中庭をせわしなく走り回っている。倒れた篝火が馬車に燃え移っていることに気付くのが遅れたのだ。
「どうせ王族の数も減ったことだ。王子たち用の飾り馬車に国王を乗せてしまって問題あるまい」
馬車の管理責任者モーテンソンは忙しさのあまり、不敬とも取られかねない暴言を口にしたが、誰もそれを咎めようとはせず、それどころかモーテンソンの肚案をすぐさま実行に移した。彼らも他の国民と同様、春宵の火祭りを実行し、これまでと変わらぬ日常に戻りたかったのだ。
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