240 / 247
楽園の涯
20 春宵の送り火 3
しおりを挟む
「だがこれで、私の心も決まった」
ブリクストが驚いた顔でノアに振り向く。
「父上には、なるべく早期に退位いただかなければならないだろう」
この言葉を、待っていたのだ――ブリクストは戦慄に体を震わせながら思った。
ジュニエスの戦いでリースベットを失い、それ以来ノアはどこか、感情の泉が涸れ切ってしまったような雰囲気をまとっていた。
ノアが何かについて考え、自らの行動を決定しようとするとき、その選択をリースベットはどう思うだろうか、という問いが常に彼の心のうちにあった。ノルドグレーンでの幽閉生活から戻ってから五年ほどの間、ほとんどの時間を離ればなれでいたが、リースベットはノアにとっての半身とも言える存在だったのだ。自身の半分を、生者という形においては永遠に失ったのであり、その欠落をノアはまだ埋められずにいる。
――だがその欠落が、ヴィルヘルムのような無気力やアウグスティンのような暴虐を誘発しない限り、私はこの方についてゆく。
「及ばずながら、粉骨砕身してご助力させていただきます」
「……頼む。私にはまだまだ力がなく、敵も多い」
ふとノアは表情を緩め、脚を組んだ。
「とはいえ、父にはまだ仕事をしてもらわねばならないがな。飾り馬車の上で座っているだけの仕事だが、果たしてそれすら任に耐えるか……」
「春宵の火祭りですか」
「ああ」
「民も楽しみにしております。これがなければ冬が終わらない、と」
「今年は開催さえ危ういかと思っていたが、なんとか例年通りにできそうだな」
春宵の火祭りは、リードホルムで四月の末日に開かれる行事だ。
リードホルムやノルドグレーンで広く信仰されている、ファンナ教以前の民間信仰に起源を持つと言われている。現在では、その伝承に従って死者を敬うよりも、春の到来を祝う祭りという性格が強い。宮廷内では政情不安から開催を危ぶむ声もあったが、民衆の声に押された民部省が和平記念式典と並行して準備を進め、なんとか期日通りの開催にこぎつけたのだった。
人員不足の中で準備を強行したためか、祝賀行列で国王が乗る巨大な飾り馬車が開催前日に火災に遭うなど、直前まで多少の混乱が見られた。多くの者が複数の仕事を掛け持ち、昼夜を問わずヘルストランド城の中庭をせわしなく走り回っている。倒れた篝火が馬車に燃え移っていることに気付くのが遅れたのだ。
「どうせ王族の数も減ったことだ。王子たち用の飾り馬車に国王を乗せてしまって問題あるまい」
馬車の管理責任者モーテンソンは忙しさのあまり、不敬とも取られかねない暴言を口にしたが、誰もそれを咎めようとはせず、それどころかモーテンソンの肚案をすぐさま実行に移した。彼らも他の国民と同様、春宵の火祭りを実行し、これまでと変わらぬ日常に戻りたかったのだ。
ブリクストが驚いた顔でノアに振り向く。
「父上には、なるべく早期に退位いただかなければならないだろう」
この言葉を、待っていたのだ――ブリクストは戦慄に体を震わせながら思った。
ジュニエスの戦いでリースベットを失い、それ以来ノアはどこか、感情の泉が涸れ切ってしまったような雰囲気をまとっていた。
ノアが何かについて考え、自らの行動を決定しようとするとき、その選択をリースベットはどう思うだろうか、という問いが常に彼の心のうちにあった。ノルドグレーンでの幽閉生活から戻ってから五年ほどの間、ほとんどの時間を離ればなれでいたが、リースベットはノアにとっての半身とも言える存在だったのだ。自身の半分を、生者という形においては永遠に失ったのであり、その欠落をノアはまだ埋められずにいる。
――だがその欠落が、ヴィルヘルムのような無気力やアウグスティンのような暴虐を誘発しない限り、私はこの方についてゆく。
「及ばずながら、粉骨砕身してご助力させていただきます」
「……頼む。私にはまだまだ力がなく、敵も多い」
ふとノアは表情を緩め、脚を組んだ。
「とはいえ、父にはまだ仕事をしてもらわねばならないがな。飾り馬車の上で座っているだけの仕事だが、果たしてそれすら任に耐えるか……」
「春宵の火祭りですか」
「ああ」
「民も楽しみにしております。これがなければ冬が終わらない、と」
「今年は開催さえ危ういかと思っていたが、なんとか例年通りにできそうだな」
春宵の火祭りは、リードホルムで四月の末日に開かれる行事だ。
リードホルムやノルドグレーンで広く信仰されている、ファンナ教以前の民間信仰に起源を持つと言われている。現在では、その伝承に従って死者を敬うよりも、春の到来を祝う祭りという性格が強い。宮廷内では政情不安から開催を危ぶむ声もあったが、民衆の声に押された民部省が和平記念式典と並行して準備を進め、なんとか期日通りの開催にこぎつけたのだった。
人員不足の中で準備を強行したためか、祝賀行列で国王が乗る巨大な飾り馬車が開催前日に火災に遭うなど、直前まで多少の混乱が見られた。多くの者が複数の仕事を掛け持ち、昼夜を問わずヘルストランド城の中庭をせわしなく走り回っている。倒れた篝火が馬車に燃え移っていることに気付くのが遅れたのだ。
「どうせ王族の数も減ったことだ。王子たち用の飾り馬車に国王を乗せてしまって問題あるまい」
馬車の管理責任者モーテンソンは忙しさのあまり、不敬とも取られかねない暴言を口にしたが、誰もそれを咎めようとはせず、それどころかモーテンソンの肚案をすぐさま実行に移した。彼らも他の国民と同様、春宵の火祭りを実行し、これまでと変わらぬ日常に戻りたかったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。
食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる