山賊王女と楽園の涯(はて)

紺乃 安

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楽園の涯

19 春宵の送り火 2

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「確かにな。まあエイデシュテットのことなど、もはや瑣事さじに過ぎないが」
 ノアがこうした話題を口にする時、笑い方が変わった――ブリクストはジュニエスの戦い以後、そんな違和感を抱くようになっていた。今などエイデシュテットをあざわらっているのか、そう振る舞う自分自身を俯瞰ふかん的に冷笑しているのか判然としない、感性が摩耗まもうしてしまった虚無観きょむかんのようなものが垣間見かいまみえる。
 だがらといって自暴自棄じぼうじきになっているというわけでもなく、リードホルムを立て直すため政務に精励せいれいするさまは、以前と比べてもむしろ熱心なものになっていた。その言動の不均衡ふきんこうがかえって、ブリクストをはじめノアをよく知る者たちを不安にさせているのだが。
「しかしノア様、私のようなを同席させて、護衛のふりをさせるのもそろそろ無理があるかと……」
 ブリクストがぎこちなく右腕を回す。上腕が胸より後ろまで曲がらないようだ。
「そんなに悪いのか、その右肩は」
「はい。右腕がこのとおりです」
「そうか……」
「ジュニエスではついに死にぞこない、傷こそ見た目はえましたが……いよいよ引導を渡されたようです」
 ブリクストと特別奇襲隊は、ジュニエスの戦い後半からトールヴァルド・マイエルの部隊に同行し、最後まで激戦の中に身を置いたまま休戦を迎えた。
 部隊は三割以上の死者を出し、負傷者のうちで治療後に原隊げんたい復帰できなかった者も多数存在するため、総数は四十を割っている。隊長で部隊の発案者であるブリクストの復帰が難しいこともかんがみ、ミュルダール軍務省長官は部隊の再編を検討しているところだった。
 そうか、と再びつぶやきながら、ノアはブリクストの顔を見上げた。
「ブリクスト、軍務省の文官になる気はないか?」
「文官、ですか……」
「そうだ。けいの実績と知見は、戦場を離れても、後進の扶翼ふよくに足るものだと思うが」
 ブリクストは小さく溜息ためいきをつき、ノアの目を見返す。決意はすぐに固まったようだ。
「……私のような浅学せんがくの武人に、何ができるかは分かりません。ですが、必要とおっしゃられるのであれば、その意に沿えるよう奮励ふんれいする所存です」
「……よろしく頼む。追って、私からミュルダール長官には伝えておこう」
「引退しようとしていた身です。長官も厄介払やっかいばらいができると喜ぶことでしょう」
「文官に必要なのはその口振りだ。その調子で諫言かんげんを頼む」
「では、諫言ついでに伺いますが……エーギル様の存在、あのような場所でお披露目ひろめして、よろしかったので?」
「やはり難じる声は多いな。もっともなことだが」
 上機嫌の様子だったノアの表情が鋭さを取り戻した。とはいえ気分を害したのではなく、話題が真摯しんしさを要求しているのだ。
「……試したのだ。父にとって過去の亡霊とも言えるエーギル叔父おじを前にして、まだノルドグレーンの前で虚勢きょせいを張れる程度の矜持きょうじが、残っているのかどうか……」
「失礼いたしました。考えあってのことであれば、私などに容喙ようかいすべきよしはございません」
「あれでも、私の父だからな……」
 ノアは遠い目をして窓外を見やった。
「だがこれで、私の心も決まった」
 ブリクストが驚いた顔でノアに振り向く。
「父上には、なるべく早期に退位いただかなければならないだろう」
 この言葉を、待っていたのだ――ブリクストは戦慄せんりつに体を震わせながら思った。
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