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第一章 呪いを見つけてしまった話
第10話 変質した呪い
しおりを挟む茂みから現れた女性は、四つん這いで進みながら、日和達の前に現れた。
美梅が投げた簪が女性の太腿に刺さり、ジーンズに血が滲んでいる。
乱れた長い髪の間から覗く血走った目が、日和を睨んでいた。
恨みのこもった目に、日和は戦慄する。女性は明確な殺意を持って、日和を殺そうとしていた。
「やはり、術者は鬼降魔幸恵だったか」
茂みから現れた女性を見て、丈が呟く。
大きな音を立てて地面が揺れた。音がした方を振り返ると、幸恵が使役していた午を美梅の寅が地面に抑えてつけていた。
日和の注意が逸れたのを見て、幸恵が動く。動いた瞬間に、幸恵の手に銀色の棒が刺さり、痛ましい悲鳴が上がった。
「諦めろよ。みっともねえな」
数本の銀色の棒を指の間に挟んで構えた碧真が、冷めた目で幸恵を見ていた。
「うるさい! 私の邪魔をしないでよ!!」
幸恵は髪を振り乱しながら叫ぶと、手に刺さっていた銀色の棒を抜き取って、払うように思い切り手を振る。
幸恵の手から、血が飛び散る。地面に落ちた幸恵の血が、生き物のように動いて集まり、玉となってフルフルと揺れた。
血は一気に刃へ姿を変えると、美梅と日和に襲いかかる。
美梅は懐から扇子を取り出す。襲いかかってきた刃を、閉じた扇子で薙ぎ払った。弾かれた刃が、美梅と日和を避けるように地面に刺さって消えていく。
日和が安堵していると、幸恵が突然地面に倒れた。
「離せ! この巳が!」
碧真の加護の巳が、幸恵の体に巻きついて拘束しているようだ。碧真は日和の横を通り過ぎて、幸恵の前に立つ。
「おい、クソ女。何故、禁呪を使った?」
碧真の問いには答えず、幸恵は憎しみのこもった目で見上げた。
「自分の息子が妹の子供に何かされて、その復讐とか? それなら、お前の息子にも事情を聴く事になるが」
「息子は関係ない! あの子は何も知らない!!」
幸恵は目を血走らせて叫ぶ。碧真は冷たい目で幸恵を見下ろした。
「だったら、俺の質問に答えろ。答えない場合、大事な息子がどうなるかわかるよな?」
黒い笑みを浮かべて楽しそうに脅迫する碧真に恐怖を感じたのか、幸恵の顔が強張る。
「……妹の方が、私より幸せそうだったから」
幸恵は震える声で言葉を紡いだ。
「私は……子供の頃から、ずっと不幸な事ばかりで……。両親も妹だけを可愛がって、私は愛されなかった。結婚して幸せになれると思ったのに、夫に愛されずに浮気されて……」
幸恵の目に、じわじわと涙が浮かぶ。
「妹は結婚して夫に愛されて、子供は鬼降魔の力を持っていた! 私は裏切られて、子供も鬼降魔の力を持っていなかった! 妹が私から全てを奪った!! 息子が可哀想で、『取リ替エ』たかったの! 才能も、将来も、幸せも!! 妹の子供と私の息子を『取リ替エ』て、息子を幸せにしたかったの!! あと少しで、あの子は幸せになったのに!! お前が邪魔をした!! お前が、あの子を不幸にしたのよ!!」
憎悪の目で幸恵に睨みつけられ、日和は息を呑む。
幸恵が『取リ替エ』たかったのは、子供。
妹の子供と『取リ替エ』て、自分の子供を幸せにしようとした。
碧真が右足を持ち上げて、幸恵の頭を容赦無く踏みつける。
「責任転嫁も甚だしいな。そいつが見つけなくても、俺が見つけていた。お前の呪いが成功する事は無かったんだよ。……それに、子供を不幸にするのは、お前だろうが」
碧真が右足に力を込めたのか、幸恵が痛みに呻く。
「禁呪を使った者は、呪罰行きになる。お前のせいで、息子は『呪罰行きの子』として一族から迫害される」
「……呪罰?」
日和が小さな声で呟く。
「禁呪を使った者に与えられる罰よ。呪罰行きになった者とその家族は、一族の中で嫌悪の対象となる。禁呪を使用した者は呪いを成功させたとしても、一族が管理する牢に幽閉されて罰を受けるの」
そう言った美梅は、嫌悪の目で碧真を睨む。
美梅が碧真を嫌悪する理由は、『呪罰行きの子』だからなのだろう。碧真の家族に、禁呪を使った者がいるという事だ。
「一族中から嫌われて、お前の息子はどうなるだろうなぁ?」
碧真の言葉に、幸恵は唇を震わせる。
「何で……何でうまくいかないの? 何で私は不幸なの? 何で、あの子を幸せにしてあげられないの!? あの子を愛しているのに! あの子を幸せにしたいだけなのに!!」
「”愛してる” だ? 自分を哀れんで、悲劇のヒロインぶりたいだけだろうが! お前のそれは、愛なんかじゃない!」
「いや、愛でしょ」
「あ゛?」
碧真が振り返り、日和を睨んだ。無意識に言葉を発していた事に、睨まれてから気づく。
「部外者の一般人が俺に意見するつもりか? ウザい」
碧真の言う通り、日和は部外者だ。求められてもないのに口を出すのは良くない。けれど、碧真の偉そうな態度に黙っている事は出来なかった。
「あなた達の世界のこと、確かに私は知らない。それに、私も無関係の人を傷つける事は否定する。けど、その人が子供を幸せにしたいって思いは、間違いなく愛情だと思う。その人は、愛し方がわからなくて間違えただけじゃないの?」
日和は幸恵に近づく。
「人生、うまくいかないことばかり。生きる事が怖くて、自信がなくて。幸せを求めて足掻いて、手を伸ばしても届かなくて、絶望して。上手な生き方なんて誰も教えてくれない中で、それでも生きなくちゃいけなくて」
日和は、幸恵の目を見る。
(私は、この目を知っている)
自分の人生に絶望してきた人の目だ。恐怖や不安ばかりで、生きることに怯える目。愛されていないと思い込んで、周りに「助けて」と言えなかった。
「私、ずっと”私が生まれたことが、無かった事になればいいのに”って思っていました。立派な人間になれない自分は、”母を不幸にしてるんだ”って、ずっと苦しかった」
日和は屈んで幸恵と視線を合わせ、微笑む。
「けど、この前、母が『子供を産んで幸せだ』って言ってくれた時、私は泣くほど嬉しかった。私は子供目線でしか話せませんが、母親が辛い顔していると、子供は辛いんです。母親が世界の全てで、大切で、大好きだから。他の家族なんかいらない。自分の母親が笑って幸せでいてくれていたら、子供は幸せなんです」
幸恵が震える唇を開こうとした時、幾重にも重なった虫の羽音が不気味に響き始める。
周囲を蠢いていた黒い虫が一斉に飛び立ち、幸恵に襲いかかった。
碧真に腕を掴まれて、日和は後ろへ引っ張られる。碧真の視線の先にいた幸恵を見て、日和は恐怖で顔を引き攣らせる。
幸恵の体には黒い虫が這い、どこから現れたのか二体の日本人形が背中に張り付いていた。
「な、何あれ!?」
「時間切れだ。変質した呪いが、鬼降魔幸恵に代償を支払わせに来た」
焦る日和に、碧真が平坦な声で答えた。
『取リ替エマショウ。貴方ノモノト私ノモノ。取リ替エ、取リ替エ、替エタナラ』
人形から、小さな女の子のゆったりとした歌声が聞こえた。人形の手には、ナイフや包丁が握られている。
『ホラ、ニッコリ幸セダ』
二体の人形が、手に持っている刃物を振り上げる。
日和が幸恵に駆け寄ろうとするのを、碧真が腕を強く握って止めた。
「大人しくしてろ。あの女は、罰を受けて死ぬ」
「死ぬ!? どういうこと!?」
「彼女は呪罰対象。変質した呪いで代償を支払う事が、彼女にとっての罰です」
静観していた総一郎が、日和達の元へ近づく。
「彼女が『取リ替エ』しようとしたものは、子供同士の”存在”。代償は大きい。彼女は、自ら行った術によって命を奪われるでしょう」
総一郎が幸恵を見る目は冷たい。幸恵を助ける気は無い様だ。丈と美梅も、罰を受ける幸恵を黙って見ていた。
「わ、私が呪いを変質させたせいで……」
「貴女のせいではありません」
震える日和の言葉を、総一郎が否定する。
「禁呪に手を出した事が発覚した時点で、私達は呪いを変質させて、術者が罰を受けるようにしようと考えていました。一族への見せしめにするために」
日和は目を見開いて、総一郎を見る。
総一郎達の目的は、初めから呪いの解呪ではなく、変質だったという事だ。一族で同じように禁呪を使用する者が出ないように、幸恵の死を使うのだろう。
「あぁぁああぁっ!!」
幸恵の悲鳴に、日和はビクリと体を震わせる。
背中を刃物で切られたらしく、幸恵の服が破れて線を描くように赤い血が滲んでいた。
血や傷口に黒い虫が集まり、幸恵は更に悲鳴を上げた。
虫達が張り付いた傷口が大きくなっていく。虫達は、幸恵の体を食べていた。
人形は遊ぶように刃物を振り回し、幸恵の体に傷をつけていく。
「あ、あの人を助けることは!」
「変質した呪いを解呪することは出来ません。彼女が死ねば、呪いはなくなる。碧真君、日和さんを建物の中へ」
(そんな……)
「あぁ!! やだ! 死にたくない! 死にたくない!! いやぁぁ!!」
幸恵の悲痛な叫びが辺りに響く。
碧真が日和の腕を乱暴に引っ張る。足に力を込めて抵抗する日和に、碧真が舌打ちした。
「あんたには関係ないだろ。目を逸らして、知らないフリでもしてろ。あんたに出来る事は何もない」
強い力で引っ張られ、よろけた日和の指先がスカートのポケットに触れた。日和はハッとして、ポケットの中へ手を伸ばす。ポケットの中の物を握りしめて、日和は決意を込めた目で幸恵を見つめる。
日和は碧真の手を振り払い、幸恵に向かって駆け出した。
「おい!」
碧真と総一郎が驚いた顔をする。
(うまくいくか分からないけど、何もしないままなんて嫌だ!)
二体の人形が仲良く同時に、幸恵に刃物を突き刺そうと振り下ろす。
日和は滑り込むように、幸恵へ手を伸ばした。
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