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15.岳の朝食
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次の日。
言った通りに、それでも少し早目にリビングに顔を見せると、岳がキッチンに立ち洗い物をしていた。
既にテーブルの上には、サラダとヨーグルトが置かれていて、トースト用の空の皿は主が来るのを待ち構えている。
「大和、目玉焼き、幾つ食べるか?」
「えっと、一個で…」
「苦手なもんはないんだろ?」
「あ、おう。何でも…」
岳は洗い物を終えると、手早くフライパンに玉子を割り入れ、空いた所へウィンナーを放り込んで行く。
その間に俺はガス台にあるスープを装った。
あっさりとしたキノコとワカメのスープに、ショウガが僅かに効いているのか、いい香りが漂った。
岳の様子はいつもと変わらない。昨晩の甘い空気はそこになく。
俺はあの後、色々思い返しては朝方近くまで眠れず寝返りばかりうっていた。
熱い告白。その後の行為。
あれはどう考えても、キスの一歩手前で。
あれは俺の思い過ごしか?
岳の平素と変わらない様子に、ついそう思ってしまうが。
「自分の分だけでいいぞ。亜貴はぎりぎりまで起きて来ないからな」
「だな」
そう。亜貴はいつも食べ終えて歯を磨いて、ぎりぎり間に合う時間に起きてくるのだ。
が、今日は違った。
「お早う…」
亜貴が、まだ余裕のある時間に起きてきたのだ。
「お早う、亜貴。お前は玉子二個でいいか?」
「うん」
岳の問いに頷き席に付いた亜貴は、じっとキッチンに立つ岳を見つめている。その視線はどこか探るように岳に向けられていた。
俺は不思議に思いながらも、向かいから声をかける。
「はよ。亜貴。ちゃんと起きられるんだな?」
「兄さんが作ってくれるのに、起きない訳ないだろ?」
俺をチラと見たあと、当たり前だとばかりに小さくため息をつく。
「何だよ。差別すんなよ。俺の時だって起きて来いよ。俺だって岳の代わりとしているんだからな?」
「代わりなんかじゃないよ。大和は」
「ああそうだな。俺じゃあ、岳の足元にも及ばねぇもんな」
わざと拗ねたふうに言えば、亜貴はテーブルに肘をつき顎を乗せると。
「大和は大和だもん。兄さんとは違って当然だろ? …兄さんに持たない感情を大和に持つことだってあるよ。昨日もそれを言おうと思ったんだけど…」
んん?
「何だ? その感情って…」
聞きかけた所に、岳が目玉焼きとウインナーの乗った皿をそれぞれの前に置く。会話はそこで中断された。
「喋ってないでさっさと食えよ。亜貴」
「分かってる…」
亜貴はもの言いたげに、視線で岳を追う。
その岳は自分の分もテーブルに置き、トーストを盛った籠を中央へ置くと、スープも亜貴と自分の分をよそって席に着いた。
いい加減、視線を外さない亜貴に岳は。
「亜貴、直に送迎の時間だぞ」
「…いただきます」
その言葉に、漸く朝食を食べ始めた。
岳の作った朝食は、シンプルだが味付けも薄すぎる事も濃すぎることもなく、そこから手慣れた感を受ける。
昔は自炊してたって、本当だったんだな?
改めて感心する。
そんな朝食が終わり、一段落すると俺は食器をシンクに運びながら。
「片付けは食洗機だし、後は俺がやっとく」
亜貴は着替える為、自室に戻って行った。
食後のコーヒーを淹れる岳は、ドリッパーにお湯を注ぎながら。
「入れるまではやる。俺は後から出るから時間はあるんだ」
「そうなのか?」
何時も亜貴と一緒に出ていたはずなのに。
岳はサーバーに落としたコーヒーをそれぞれのカップへと注ぐと、ダイニングテーブルに置いた。
岳が座ったのに習って、その向かいへと座る。
「今週だけ出勤時間をずらしたんだ。真琴が迎えに来る」
岳はコーヒーを飲みながら答えた。
「もしかして、食事の準備があるからか? やっぱり無理してんじゃ──」
「してない。それより、頬は? 痛み止めはちゃんと飲めよ?」
頬の傷は薬がちょうど切れたようで、痛みだしていた。慌てて薬の入った白い紙袋を探すと、直ぐ目の前にそれが差し出される。
「痛み止めも化膿どめも胃薬も、全部飲めよ?」
「ありがとうゴザイマス…」
それを受け取って、へへぇと恭しく額に押し頂く。それを見て岳は笑いだした。
「ったく。お前はホント、フザケてるよな?」
「何だよ。雇い主にかしずくのは当然だろ?」
岳は手の中でカップを揺らしながら。
「かしずく、ね。なあ、大和。俺はお前にとって、ただの雇い主ってだけなのか?」
「岳…?」
コーヒーの湯気越しの岳の眼差しはやけに熱い。これは、昨晩と同じ目だ。
トクリ…と、心臓が鳴り出す。
「俺は大和を、ただの家政婦だとは思っていない」
「家族同然…って奴か?」
イヤ。本当は分かってる。
問う声が思わず上擦った。
「それもある。けど、もっと別の理由だ」
「別の、理由…」
反芻する俺に、岳は笑むだけで答えない。
そのまま、空になったカップをシンクへ持って行くと、食器を手際よく食洗機へと入れていく。そうして全て終えて腕時計に目をやると。
「そろそろ行く時間だ」
そう言うと、仕度の為にリビングを出る前、未だコーヒーをちびちび啜っていた俺の方へ寄り。
「薬、ちゃんと飲めよ」
怪我をしていない右の頬に触れてきた。
「お、おう…」
くすぐる様に触れた指先は直ぐに離れたが、何故か俺の頬はいつまでも熱を持っていた。
+++
先に亜貴が出て、そのうち真琴が岳を迎えに来て、家には誰もいなくなった。
洗濯物も既に岳が干してある。
せめて掃除だけはすると宣言し、何とか掃除機を使う権利を得た。
高性能の掃除機は、充電式で軽い。ゆっくりやれば身体に負担になることはなかった。
身体も打撲等の痛みはあるものの、我慢出来ないほどでは無い。
意識していたわけでは無いが体を鍛えておいて正解だった。
「ふぅ」
開け放った窓から心地良い風が入り込んで来る。青い空の下には、干した洗濯物が揺れていた。
岳はこれがいいって言ってたな。
確かに洗濯物がのんびり揺れる様は心和む。俺も好きな景色だ。
岳は俺を、ただの家政婦とは思っていないらしい。それは今迄の岳の行動からも感じてはいたが。
それなら俺にとって、岳はどんな存在なんだろう。
親父の借金した貸金業のお偉いさんで、鴎澤組の若頭で。
亜貴の兄で真琴の親友。俺の雇い主。
他には?
昨晩といい。
一緒にいたいという言葉に心が浮き立ち。
近づく岳の顔に、ストップをかけようとしなかった。
あれはどう考えてもキスで。亜貴が来なければ、していただろう。
その行為を受け入れていた自分。
それが何を意味するのか、流石に分からない俺じゃない。
俺にとって、岳は──。
毎日、お早う、行ってらしゃい、お帰り、お休み。
そんな言葉を向けているうちに、岳の言う家族的な思いが生まれていたのは事実で。
そう言える相手がいることの幸せを感じた。
俺も岳と一緒にいたい、そう思え。
大切な存在には変わりない。
けれど、それは家族に対するそれなのか。それとも、恋愛対象としてのそれなのか。
『側にいて欲しい』
あの言葉には、どんな意味がある?
岳の言った、別の理由を知りたかった。
言った通りに、それでも少し早目にリビングに顔を見せると、岳がキッチンに立ち洗い物をしていた。
既にテーブルの上には、サラダとヨーグルトが置かれていて、トースト用の空の皿は主が来るのを待ち構えている。
「大和、目玉焼き、幾つ食べるか?」
「えっと、一個で…」
「苦手なもんはないんだろ?」
「あ、おう。何でも…」
岳は洗い物を終えると、手早くフライパンに玉子を割り入れ、空いた所へウィンナーを放り込んで行く。
その間に俺はガス台にあるスープを装った。
あっさりとしたキノコとワカメのスープに、ショウガが僅かに効いているのか、いい香りが漂った。
岳の様子はいつもと変わらない。昨晩の甘い空気はそこになく。
俺はあの後、色々思い返しては朝方近くまで眠れず寝返りばかりうっていた。
熱い告白。その後の行為。
あれはどう考えても、キスの一歩手前で。
あれは俺の思い過ごしか?
岳の平素と変わらない様子に、ついそう思ってしまうが。
「自分の分だけでいいぞ。亜貴はぎりぎりまで起きて来ないからな」
「だな」
そう。亜貴はいつも食べ終えて歯を磨いて、ぎりぎり間に合う時間に起きてくるのだ。
が、今日は違った。
「お早う…」
亜貴が、まだ余裕のある時間に起きてきたのだ。
「お早う、亜貴。お前は玉子二個でいいか?」
「うん」
岳の問いに頷き席に付いた亜貴は、じっとキッチンに立つ岳を見つめている。その視線はどこか探るように岳に向けられていた。
俺は不思議に思いながらも、向かいから声をかける。
「はよ。亜貴。ちゃんと起きられるんだな?」
「兄さんが作ってくれるのに、起きない訳ないだろ?」
俺をチラと見たあと、当たり前だとばかりに小さくため息をつく。
「何だよ。差別すんなよ。俺の時だって起きて来いよ。俺だって岳の代わりとしているんだからな?」
「代わりなんかじゃないよ。大和は」
「ああそうだな。俺じゃあ、岳の足元にも及ばねぇもんな」
わざと拗ねたふうに言えば、亜貴はテーブルに肘をつき顎を乗せると。
「大和は大和だもん。兄さんとは違って当然だろ? …兄さんに持たない感情を大和に持つことだってあるよ。昨日もそれを言おうと思ったんだけど…」
んん?
「何だ? その感情って…」
聞きかけた所に、岳が目玉焼きとウインナーの乗った皿をそれぞれの前に置く。会話はそこで中断された。
「喋ってないでさっさと食えよ。亜貴」
「分かってる…」
亜貴はもの言いたげに、視線で岳を追う。
その岳は自分の分もテーブルに置き、トーストを盛った籠を中央へ置くと、スープも亜貴と自分の分をよそって席に着いた。
いい加減、視線を外さない亜貴に岳は。
「亜貴、直に送迎の時間だぞ」
「…いただきます」
その言葉に、漸く朝食を食べ始めた。
岳の作った朝食は、シンプルだが味付けも薄すぎる事も濃すぎることもなく、そこから手慣れた感を受ける。
昔は自炊してたって、本当だったんだな?
改めて感心する。
そんな朝食が終わり、一段落すると俺は食器をシンクに運びながら。
「片付けは食洗機だし、後は俺がやっとく」
亜貴は着替える為、自室に戻って行った。
食後のコーヒーを淹れる岳は、ドリッパーにお湯を注ぎながら。
「入れるまではやる。俺は後から出るから時間はあるんだ」
「そうなのか?」
何時も亜貴と一緒に出ていたはずなのに。
岳はサーバーに落としたコーヒーをそれぞれのカップへと注ぐと、ダイニングテーブルに置いた。
岳が座ったのに習って、その向かいへと座る。
「今週だけ出勤時間をずらしたんだ。真琴が迎えに来る」
岳はコーヒーを飲みながら答えた。
「もしかして、食事の準備があるからか? やっぱり無理してんじゃ──」
「してない。それより、頬は? 痛み止めはちゃんと飲めよ?」
頬の傷は薬がちょうど切れたようで、痛みだしていた。慌てて薬の入った白い紙袋を探すと、直ぐ目の前にそれが差し出される。
「痛み止めも化膿どめも胃薬も、全部飲めよ?」
「ありがとうゴザイマス…」
それを受け取って、へへぇと恭しく額に押し頂く。それを見て岳は笑いだした。
「ったく。お前はホント、フザケてるよな?」
「何だよ。雇い主にかしずくのは当然だろ?」
岳は手の中でカップを揺らしながら。
「かしずく、ね。なあ、大和。俺はお前にとって、ただの雇い主ってだけなのか?」
「岳…?」
コーヒーの湯気越しの岳の眼差しはやけに熱い。これは、昨晩と同じ目だ。
トクリ…と、心臓が鳴り出す。
「俺は大和を、ただの家政婦だとは思っていない」
「家族同然…って奴か?」
イヤ。本当は分かってる。
問う声が思わず上擦った。
「それもある。けど、もっと別の理由だ」
「別の、理由…」
反芻する俺に、岳は笑むだけで答えない。
そのまま、空になったカップをシンクへ持って行くと、食器を手際よく食洗機へと入れていく。そうして全て終えて腕時計に目をやると。
「そろそろ行く時間だ」
そう言うと、仕度の為にリビングを出る前、未だコーヒーをちびちび啜っていた俺の方へ寄り。
「薬、ちゃんと飲めよ」
怪我をしていない右の頬に触れてきた。
「お、おう…」
くすぐる様に触れた指先は直ぐに離れたが、何故か俺の頬はいつまでも熱を持っていた。
+++
先に亜貴が出て、そのうち真琴が岳を迎えに来て、家には誰もいなくなった。
洗濯物も既に岳が干してある。
せめて掃除だけはすると宣言し、何とか掃除機を使う権利を得た。
高性能の掃除機は、充電式で軽い。ゆっくりやれば身体に負担になることはなかった。
身体も打撲等の痛みはあるものの、我慢出来ないほどでは無い。
意識していたわけでは無いが体を鍛えておいて正解だった。
「ふぅ」
開け放った窓から心地良い風が入り込んで来る。青い空の下には、干した洗濯物が揺れていた。
岳はこれがいいって言ってたな。
確かに洗濯物がのんびり揺れる様は心和む。俺も好きな景色だ。
岳は俺を、ただの家政婦とは思っていないらしい。それは今迄の岳の行動からも感じてはいたが。
それなら俺にとって、岳はどんな存在なんだろう。
親父の借金した貸金業のお偉いさんで、鴎澤組の若頭で。
亜貴の兄で真琴の親友。俺の雇い主。
他には?
昨晩といい。
一緒にいたいという言葉に心が浮き立ち。
近づく岳の顔に、ストップをかけようとしなかった。
あれはどう考えてもキスで。亜貴が来なければ、していただろう。
その行為を受け入れていた自分。
それが何を意味するのか、流石に分からない俺じゃない。
俺にとって、岳は──。
毎日、お早う、行ってらしゃい、お帰り、お休み。
そんな言葉を向けているうちに、岳の言う家族的な思いが生まれていたのは事実で。
そう言える相手がいることの幸せを感じた。
俺も岳と一緒にいたい、そう思え。
大切な存在には変わりない。
けれど、それは家族に対するそれなのか。それとも、恋愛対象としてのそれなのか。
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