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温泉と故郷と泣き叫ぶ豆
幽霊の残しもの
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その場で話を続けるわけにもいかず、一度部屋まで戻ることにした。腰が抜けたのですがと恥ずかしそうに申告してきたので抱きかかえて、である。
これだけアリカが騒いだのに宿の人とは全くすれ違わない状況に違和感があった。
これも現実ではない可能性もある。逃亡の備えは準備しておくことに越したことはない。
移動中に魔法使いが勝手にべらべらと話してきたことによれば、眠り姫を作った魔法使い本人というわけではなく、複製らしい。本人をもとに複製する実験をしていたそうだ。
実態ではないが、それに近いものまでは作れていたらしい。人形に中身を定着させるのが難しくて放棄したと言っているが。
「……なんでしょう。ぞわぞわしてくる話ですね」
アリカが腕をさすっていた。
一つ一つは、それをする魔導師がいてもおかしくはない、と思わせる。それが組み合わさった場合に、導き出される答えにはアリカは気がついていないようだ。
望まれたとはいえ眠り姫ほどの呪式をくみ上げて魔法をかけてしまうくらいの思いが、軽いわけがない。
捨てられない思いが複製を用意しようと思うくらいに、狂気じみたものに変貌してしまってもおかしくはないだろう。
それも放棄されているのは望んだ人が困っていたから、全部放り投げた。そして、戻らないままにここは売りに出された。
そして、この魔法使いは丁寧に作られた牢獄のような家に暮らしていた。そのうえ、現在までもその子孫がいる。
子供が一人ではできないというのは、未だに覆らない。ということは、その相手は誰だと。
問えば答えてくれそうな気がしたが、エリックは知りたくはなかった。確実に面倒なことになる。知らないからと言って困ることはないはずだ。
ソファで十分ですというアリカを宥めてもう一度ベッドに戻した。触れた額はまだ熱があるように思えた。顔が赤いと指摘すれば誰のせいだとと脱力している。
抱き上げられることにはまだ慣れないらしい。恥ずかしいと言うわりには密着してくるのだが、あれは無意識なのだろうか。
役得というよりは自制心が試されている気がするが、そんな意図は今のところはないだろう。
「あー、もしもし? 私のことを忘れてないかな」
咳払いをする魔法使いは少しばかり呆れた顔をしていた。なんとなく、そこも師匠に似ている気がした。
アリカに離れないでと言うように服のすそをつかまれた。それだけではなく、くっついてきた。
アリカが自発的にそれをするのは珍しい。無意識や寝ぼけて、あるいはなし崩し的にはよくやるが、自分から意識してするのはなにか葛藤があるらしい。
それを超えるくらいに幽霊ではないが、やはり透けて白いものは怖いようだ。ぽんぽんと背中を軽く叩くとそれじゃないと言いたげに見上げられた。いまいち正解が読めない。
「それにしてもあれだね。愛が重いね」
軽く、いやぁ怖いわぁと煽るような言い方で魔法使いは言いだした。
エリックとしては愛が重いというより狂気に片足を突っ込んでいる男に指摘されたくない。
「自覚しているので指摘しなくて結構です」
アリカはそっけない口調ではあるが、魔法使いの言葉は否定しない。え? とアリカを確認すれば、当人は苦笑いしていた。
「そっちの彼氏は、自覚なさそう。
眠り姫のオリジナルなんて、相互の激重な愛がないと解けないんだから重いでいいのに」
「ほっといてください。……というかなんで知ってるんですか」
「なんか、こっちに流れてきた旅行客が王都で面白いことあったとか話してたから。実体化は出来なかったけど、夢の中なら入り放題で暇つぶしにはなった」
「そうですか。
ところで、貴方はなんのために出てきたんです?」
「ついでに壊してもらおうと思ってね。本当はもっと早く壊れる魔道具だったんだ。ところが別の魔道具と作用して表に出てこれずに長年夢の中をさまようことになった」
エリックの記憶が確かならば、眠り姫は百年を超えるほどに昔の話だ。おとぎ話というほどには遠くなく、人の記憶の事実であったと覚えていられるほど近くはない。
たとえ複製とはいえ、摩耗して消えるほうが先であるような気がした。
「それともう一つ頼みたいのは研究室の処分。あの時の私は正気じゃなかったと言いわけしなければいけないものがある。悪用される可能性も否めないし、放置はできない」
「わかった」
「ディレイは、ちゃんと、お留守番していてくださいね?」
「なぜ?」
「どう考えても、処分できずにおもちゃにしそうです」
残念ながら否定できなかった。
研究室は今は改装中の部屋にあった。調べた途中にこちらにも調整が必要な魔道具があることに気がついたことにして、部屋の鍵を借りた。
鍵を出してきたオーナーは怯えたような青い顔で、魔法使いが浮かんでいたあたりを見ていた。なにか見えるかと聞けば、慌てたようにぶんぶんと首を横に振っていた。
時々、夢の中で使えそうな情報横流しをしていたと魔法使いは言っていた。しかし、あの様子では使えそうではなかったのではないだろうか。
エリックは興味を惹かれてなんですそれと言いだしたアリカを横目で見ながら聞き流した。ふんふんと聞いていたのが、困惑に変わり、呆れた顔になっていた。
聞こえてきた不正が、埋蔵金が、隠し財産やら不倫旅行なんて話は覚えておく気はない。
研究室は隠し部屋にあった。
「見たら欲しくなるんですから、見るのもダメです」
そう言い置いてアリカはその部屋に消えた。何かしら理由をつけて入り込もうとするのを断固拒否するあたりエリックの性質をわかっている。
魔法使いはそちらにはついていかなかった。
魔道具が壊れたらすぐに消えるのだから、目の前で消えないほうがいいだろうと残ったらしい。
「後で追ってくるとか心配とかでもダメですからねっ!」
不安に駆られたのか、アリカはもう一度戻ってきて、念押しをしていった。
「子供みたいなこと言われてる。なんかやっぱり魔法使いって感じ」
「魔法使い、ではなく、今は魔導師だ」
魔法使いほど無軌道ではない。魔導師はそれなりに決められた教育方法がある。最低限のルールの遵守は叩き込まれるのだ。
魔法使いはエリックの周りをくるりと巡りへえと呟く。
「……でも、なんか、魔法使い、かな。
今どきの魔導師は魔法の使用制限があるんだろ。それなのに制限を超えて、世界とつながっているだろう? 必要に迫られたのだろうけど、これ以上は扱いが難しい。人としていきたいなら、これ以上、踏み込まないほうがいい。私も最後は、狂っていたからなぁ」
少しだけ困ったように魔法使いは言う。
「愛する者のいない世界は地獄だ。ただ、閉じ込めて甘やかしてどこにも行けないようにしても、いつかはいなくなる。子も孫も見送ってなお生きていることは、私にはつらかった。
愛おしかったものを見るのさえ辛くて、全てを壊してしまうほどに」
魔法使いの自嘲したような言葉は、張り付けたような笑みで語られる。
怒り狂っている師匠にやっぱり似ていた。
そうだねぇ、私は令嬢として育てられたから感情を隠すなら笑みで彩れと教育されたのだよ。そう言っていたが、血ではないだろうか。リリーも同じような笑い方をする。
死ぬがよいと言いだしそうだ。
ただ、この場合には、自省であろう。さすがにここで怒りをぶつけられる理由はないはずだ。しかし、時々理不尽なこともある。宥めておくに越したことはない。
「子孫は元気だ」
「うん? そうだね。滅ぼしつくさなくてよかった」
「防衛機構もまだ生きている」
「私の攻撃にもきちんと耐えてまだ残ってるんだよね」
「これからもちゃんとその血は残っていく」
「そうだね。したことは無意味でもなかったか」
そう言って魔法使いはため息をつく。それから、顎に手を置いて、まじまじとエリックを見る。先ほどぐるぐると回られたのとは別の見方はぞわりとするものがあった。
「遠い弟子よ。一つ、贈り物をしてやろう。その身を守るには足りないが、抗う足しにはなるだろう」
既視感のあるにやにや笑いにエリックは嫌な予感がした。
「このものに鍵の継承を行う。
フェイデンよりエリックに鍵を渡す」
魔法使いは教えたはずもない名を使って、新たな回路を開いていった。少し前に世界とつながるのは増やさないほうが良いと言ったことを裏切っている。
「悪いことに使ってはいけないよ?」
笑う魔法使いは、薄くなって消えていった。それから間もなく、アリカが隠し部屋から姿を見せた。
あたりをきょろきょろと見回しているところは、幽霊いないよね? と確認しているようだった。
「……どうしたんです? 眉間の皺が深いですよ」
「なにもない。問題なかったか?」
「指定された手順通りに停止しましたからね。他のものも処分しました。一個持ってきちゃいましたけど」
アリカは年月の重みを少しも感じさせない箱を一つ取り出した。昨日買ったと言っても信じそうなくらい新品に見える。
「ただの、櫛です。大事そうに箱に入っていたので、思いでの品なのでしょう。
遺品ではないですが、ステラ師に渡しておいたほうがいいかなって」
「研究室を処分したことは誰にも言わないほうがいい」
「わかってますよ。魔導協会も煩そうですし、秘密の部屋を見つけてこれだけ見つけたことにします。こんなきれいなんだからちゃんと渡してあげればよかったのに」
不満そうに言うアリカに彼は苦笑した。あの魔法使いがどんな顔でこれを用意して、そして、結局渡せなかったのかと想像すると他人事のような気がしない。
送っても断られない口実が必要だ。それは自信のなさの表れでしかない。
「受け取ってもらえないとでも思っていたんだろ」
「変なところ臆病なんですね。いっそ振られてくれば、これほどの執着しなくて済んだのに」
「拉致監禁になるだけだと思うが」
「……ほんと、どうかしてますねっ! 素直に口説けばいいものをかっこつけたりするから」
エリックとしても身につまされることではある。素直に好きともいったこともない。
それでもいいというから、甘えていた。
「そうだな。そのあたりから始めるか」
「はい?」
きょとんとしたアリカの頭をごまかすように撫でる。疑惑に満ちた視線を投げかけてくるが黙殺することにした。
まずは、一つずつ片付けなければならない。気は重いがアリカの両親への謝罪が必要だろう。冷静に思い返せば、迷子をそのまま誘拐するようなことをしたのだから。そのうえで、帰してほしいと言われればアリカを説得するつもりはある。
「まあ、温泉です。
家族風呂があると聞いたんですよ。一緒に入りますよね? 一人なんてまた新しい幽霊がやってきそうで」
アリカの甘え半分、恐怖半分のそれはいつもと変わりないようで、少し違って見えた。
これだけアリカが騒いだのに宿の人とは全くすれ違わない状況に違和感があった。
これも現実ではない可能性もある。逃亡の備えは準備しておくことに越したことはない。
移動中に魔法使いが勝手にべらべらと話してきたことによれば、眠り姫を作った魔法使い本人というわけではなく、複製らしい。本人をもとに複製する実験をしていたそうだ。
実態ではないが、それに近いものまでは作れていたらしい。人形に中身を定着させるのが難しくて放棄したと言っているが。
「……なんでしょう。ぞわぞわしてくる話ですね」
アリカが腕をさすっていた。
一つ一つは、それをする魔導師がいてもおかしくはない、と思わせる。それが組み合わさった場合に、導き出される答えにはアリカは気がついていないようだ。
望まれたとはいえ眠り姫ほどの呪式をくみ上げて魔法をかけてしまうくらいの思いが、軽いわけがない。
捨てられない思いが複製を用意しようと思うくらいに、狂気じみたものに変貌してしまってもおかしくはないだろう。
それも放棄されているのは望んだ人が困っていたから、全部放り投げた。そして、戻らないままにここは売りに出された。
そして、この魔法使いは丁寧に作られた牢獄のような家に暮らしていた。そのうえ、現在までもその子孫がいる。
子供が一人ではできないというのは、未だに覆らない。ということは、その相手は誰だと。
問えば答えてくれそうな気がしたが、エリックは知りたくはなかった。確実に面倒なことになる。知らないからと言って困ることはないはずだ。
ソファで十分ですというアリカを宥めてもう一度ベッドに戻した。触れた額はまだ熱があるように思えた。顔が赤いと指摘すれば誰のせいだとと脱力している。
抱き上げられることにはまだ慣れないらしい。恥ずかしいと言うわりには密着してくるのだが、あれは無意識なのだろうか。
役得というよりは自制心が試されている気がするが、そんな意図は今のところはないだろう。
「あー、もしもし? 私のことを忘れてないかな」
咳払いをする魔法使いは少しばかり呆れた顔をしていた。なんとなく、そこも師匠に似ている気がした。
アリカに離れないでと言うように服のすそをつかまれた。それだけではなく、くっついてきた。
アリカが自発的にそれをするのは珍しい。無意識や寝ぼけて、あるいはなし崩し的にはよくやるが、自分から意識してするのはなにか葛藤があるらしい。
それを超えるくらいに幽霊ではないが、やはり透けて白いものは怖いようだ。ぽんぽんと背中を軽く叩くとそれじゃないと言いたげに見上げられた。いまいち正解が読めない。
「それにしてもあれだね。愛が重いね」
軽く、いやぁ怖いわぁと煽るような言い方で魔法使いは言いだした。
エリックとしては愛が重いというより狂気に片足を突っ込んでいる男に指摘されたくない。
「自覚しているので指摘しなくて結構です」
アリカはそっけない口調ではあるが、魔法使いの言葉は否定しない。え? とアリカを確認すれば、当人は苦笑いしていた。
「そっちの彼氏は、自覚なさそう。
眠り姫のオリジナルなんて、相互の激重な愛がないと解けないんだから重いでいいのに」
「ほっといてください。……というかなんで知ってるんですか」
「なんか、こっちに流れてきた旅行客が王都で面白いことあったとか話してたから。実体化は出来なかったけど、夢の中なら入り放題で暇つぶしにはなった」
「そうですか。
ところで、貴方はなんのために出てきたんです?」
「ついでに壊してもらおうと思ってね。本当はもっと早く壊れる魔道具だったんだ。ところが別の魔道具と作用して表に出てこれずに長年夢の中をさまようことになった」
エリックの記憶が確かならば、眠り姫は百年を超えるほどに昔の話だ。おとぎ話というほどには遠くなく、人の記憶の事実であったと覚えていられるほど近くはない。
たとえ複製とはいえ、摩耗して消えるほうが先であるような気がした。
「それともう一つ頼みたいのは研究室の処分。あの時の私は正気じゃなかったと言いわけしなければいけないものがある。悪用される可能性も否めないし、放置はできない」
「わかった」
「ディレイは、ちゃんと、お留守番していてくださいね?」
「なぜ?」
「どう考えても、処分できずにおもちゃにしそうです」
残念ながら否定できなかった。
研究室は今は改装中の部屋にあった。調べた途中にこちらにも調整が必要な魔道具があることに気がついたことにして、部屋の鍵を借りた。
鍵を出してきたオーナーは怯えたような青い顔で、魔法使いが浮かんでいたあたりを見ていた。なにか見えるかと聞けば、慌てたようにぶんぶんと首を横に振っていた。
時々、夢の中で使えそうな情報横流しをしていたと魔法使いは言っていた。しかし、あの様子では使えそうではなかったのではないだろうか。
エリックは興味を惹かれてなんですそれと言いだしたアリカを横目で見ながら聞き流した。ふんふんと聞いていたのが、困惑に変わり、呆れた顔になっていた。
聞こえてきた不正が、埋蔵金が、隠し財産やら不倫旅行なんて話は覚えておく気はない。
研究室は隠し部屋にあった。
「見たら欲しくなるんですから、見るのもダメです」
そう言い置いてアリカはその部屋に消えた。何かしら理由をつけて入り込もうとするのを断固拒否するあたりエリックの性質をわかっている。
魔法使いはそちらにはついていかなかった。
魔道具が壊れたらすぐに消えるのだから、目の前で消えないほうがいいだろうと残ったらしい。
「後で追ってくるとか心配とかでもダメですからねっ!」
不安に駆られたのか、アリカはもう一度戻ってきて、念押しをしていった。
「子供みたいなこと言われてる。なんかやっぱり魔法使いって感じ」
「魔法使い、ではなく、今は魔導師だ」
魔法使いほど無軌道ではない。魔導師はそれなりに決められた教育方法がある。最低限のルールの遵守は叩き込まれるのだ。
魔法使いはエリックの周りをくるりと巡りへえと呟く。
「……でも、なんか、魔法使い、かな。
今どきの魔導師は魔法の使用制限があるんだろ。それなのに制限を超えて、世界とつながっているだろう? 必要に迫られたのだろうけど、これ以上は扱いが難しい。人としていきたいなら、これ以上、踏み込まないほうがいい。私も最後は、狂っていたからなぁ」
少しだけ困ったように魔法使いは言う。
「愛する者のいない世界は地獄だ。ただ、閉じ込めて甘やかしてどこにも行けないようにしても、いつかはいなくなる。子も孫も見送ってなお生きていることは、私にはつらかった。
愛おしかったものを見るのさえ辛くて、全てを壊してしまうほどに」
魔法使いの自嘲したような言葉は、張り付けたような笑みで語られる。
怒り狂っている師匠にやっぱり似ていた。
そうだねぇ、私は令嬢として育てられたから感情を隠すなら笑みで彩れと教育されたのだよ。そう言っていたが、血ではないだろうか。リリーも同じような笑い方をする。
死ぬがよいと言いだしそうだ。
ただ、この場合には、自省であろう。さすがにここで怒りをぶつけられる理由はないはずだ。しかし、時々理不尽なこともある。宥めておくに越したことはない。
「子孫は元気だ」
「うん? そうだね。滅ぼしつくさなくてよかった」
「防衛機構もまだ生きている」
「私の攻撃にもきちんと耐えてまだ残ってるんだよね」
「これからもちゃんとその血は残っていく」
「そうだね。したことは無意味でもなかったか」
そう言って魔法使いはため息をつく。それから、顎に手を置いて、まじまじとエリックを見る。先ほどぐるぐると回られたのとは別の見方はぞわりとするものがあった。
「遠い弟子よ。一つ、贈り物をしてやろう。その身を守るには足りないが、抗う足しにはなるだろう」
既視感のあるにやにや笑いにエリックは嫌な予感がした。
「このものに鍵の継承を行う。
フェイデンよりエリックに鍵を渡す」
魔法使いは教えたはずもない名を使って、新たな回路を開いていった。少し前に世界とつながるのは増やさないほうが良いと言ったことを裏切っている。
「悪いことに使ってはいけないよ?」
笑う魔法使いは、薄くなって消えていった。それから間もなく、アリカが隠し部屋から姿を見せた。
あたりをきょろきょろと見回しているところは、幽霊いないよね? と確認しているようだった。
「……どうしたんです? 眉間の皺が深いですよ」
「なにもない。問題なかったか?」
「指定された手順通りに停止しましたからね。他のものも処分しました。一個持ってきちゃいましたけど」
アリカは年月の重みを少しも感じさせない箱を一つ取り出した。昨日買ったと言っても信じそうなくらい新品に見える。
「ただの、櫛です。大事そうに箱に入っていたので、思いでの品なのでしょう。
遺品ではないですが、ステラ師に渡しておいたほうがいいかなって」
「研究室を処分したことは誰にも言わないほうがいい」
「わかってますよ。魔導協会も煩そうですし、秘密の部屋を見つけてこれだけ見つけたことにします。こんなきれいなんだからちゃんと渡してあげればよかったのに」
不満そうに言うアリカに彼は苦笑した。あの魔法使いがどんな顔でこれを用意して、そして、結局渡せなかったのかと想像すると他人事のような気がしない。
送っても断られない口実が必要だ。それは自信のなさの表れでしかない。
「受け取ってもらえないとでも思っていたんだろ」
「変なところ臆病なんですね。いっそ振られてくれば、これほどの執着しなくて済んだのに」
「拉致監禁になるだけだと思うが」
「……ほんと、どうかしてますねっ! 素直に口説けばいいものをかっこつけたりするから」
エリックとしても身につまされることではある。素直に好きともいったこともない。
それでもいいというから、甘えていた。
「そうだな。そのあたりから始めるか」
「はい?」
きょとんとしたアリカの頭をごまかすように撫でる。疑惑に満ちた視線を投げかけてくるが黙殺することにした。
まずは、一つずつ片付けなければならない。気は重いがアリカの両親への謝罪が必要だろう。冷静に思い返せば、迷子をそのまま誘拐するようなことをしたのだから。そのうえで、帰してほしいと言われればアリカを説得するつもりはある。
「まあ、温泉です。
家族風呂があると聞いたんですよ。一緒に入りますよね? 一人なんてまた新しい幽霊がやってきそうで」
アリカの甘え半分、恐怖半分のそれはいつもと変わりないようで、少し違って見えた。
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