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第二十話 湖デート

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 馬車は二人を乗せて走る。

「今日はどこに行くんですか?」

 ヴァンは隣のギュスターヴに尋ねる。

「秘密だよ。でも、風光明媚なところだとだけは言っておこうかな」
「へえ……!」

 風光明媚なところ、と聞きヴァンは目を輝かせた。
 美しい風景は好きだ。
 ギュスターヴの精霊たちが、悪戯っぽく揺れているのが感じ取れる。ちょっとしたサプライズのつもりのようだ。

 馬車はどんどんと城下町の中心から離れていくように思えた。
 郊外の方向へと向かっている。

「あ、もしかして……」

 近づいてきた風景に、目的地に察しがついてヴァンは声を上げた。
 豊かな緑に、光を反射して宝石のように輝く湖面――

「そう、ダイヤモンド湖さ」

 城下町の郊外に位置する湖、ダイヤモンド湖。
 湖面が眩しく光を照り返す様から、その名がついたと言われている。

「前から一度来てみたいと思っていたんです! どうしてわかったんですか?」

 息を弾ませ、窓から外の風景を眺める。

「だってヴァンは、綺麗な風景が好きだろう?」
「えっ」

 そんなことが知られていたとは思わず、ビックリして彼を振り返る。

「馬車で庭園を通りがかった時、大精霊の祠へ案内した時……それらが、ヴァンが最も素敵な笑顔をしていた瞬間だった。だから、ヴァンは美しいものを見るのが好きなんだろうと察しがついたのさ」

 そんなにわかりやすい顔をしていただなんて。恥ずかしさに、頬が熱くなった。

 やがて馬車は湖のほとりに止まった。
 ギュスターヴが先に降り、手を差し出す。
 ここでもエスコートだ。エスコートされることに慣れなければならない、と彼の手を取った。
 彼の手に導かれ、ゆっくりと馬車を降りた。

「うわあ……!」

 ヴァンは、感嘆の声を上げた。
 空気が美味しい。ヴァンを加護する風の精霊も、清浄な空気に喜んでいる。

「どうだい?」

 ギュスターヴの声に促され、湖を眺める。
 湖の向こう側はちょっとした林になっていて、湖面では木々の緑色と空の青さとが混じり合っている。
 なんて美しいのだろう。イーゼルとキャンバスと絵具を持ってきていれば、この風景を描くのに。

「とても綺麗です、ここに来られて嬉しいです!」

 ヴァンは頬を紅潮させて、湖を見つめる。

「それはよかった。今日は君のために、この湖を貸し切りにしたからね」
「は!? 貸し切り!?」

 さらりと言われた言葉に、驚愕する。
 湖を貸し切りだなんて、聞いたことがない。
 しかも、デートをすると決めたのは昨日だ。たったの一日で、どれだけ手早く手を回したというのか。

「無人のダイヤモンド湖を、君にプレゼントしたくってね」
「ひえ」

 この王太子、ヴァンのためならば何をしでかしても不思議ではない。
 愛の重さに、恐ろしくなってしまった。

「さあ、ボートに乗ろう。用意させてあるんだ」
 
 岸辺に、一つのボートが浮かべられていた。
 権力ってなんでもできるんだなと思いながら、ボートに近づいた。
 
 まず最初に、ギュスターヴが軽々とボートの上に降り立った。
 彼が飛び乗った瞬間に揺れたボートを見て、ヴァンは怖気づく。もし自分が乗ったせいで、転覆してしまったらどうしよう。そう思うと、足がすくんでしまった。

「大丈夫だよ、ヴァン。手を」

 再び、彼は手を差し出す。
 彼にエスコートされれば、上手くボートに乗れるだろうか。
 唾を飲み下すと、ヴァンは彼の手を取った。同時に、足を踏み出す。

「ひゃっ!」

 足が地面を蹴るのと同時に、ヴァンの身体はぐっと引き寄せられた。
 気がつけば自分の身体は転覆することもなくボートの上に乗っていて、彼に抱き締められていた。

「ほら、大丈夫だっただろう?」
「は、はい……」

 顔が。顔が近い。
 輝かんばかりの美しい顔面を前に、頬が自然と熱を持つ。
 抱き締められると、自分のもやしのような身体とは違って彼は体格がよく、鍛えられていることがよくわかった。

「ゆっくりと、腰を下ろして」

 彼に言われ、ヴァンはボートの椅子部分に腰を下ろすことに成功した。
 ギュスターヴも腰を下ろし、櫂を握った。

「あ、僕が漕ぎます!」

 ヴァンは慌てても申し出た。

「駄目だよ。ヴァンが櫂を操るには、場所を交換しなければならないだろう。立って歩けば、ボートが転覆してしまうかもしれないよ」

 転覆と聞いて、ヴァンは浮かせかけた腰を下ろした。

「す、すみません! お願いします……」
「ふふ」

 そんなヴァンを見て笑うと、彼は櫂を漕ぎ始めた。
 ボートが湖面を滑るように進み出した。見ている景色が流れ始める。

 頬を涼しい風が撫でて通り過ぎる。
 そよ風は木々の香りを運んで、去っていった。

 ギュスターヴが櫂を動かす度、湖面が日の光をキラキラと反射する。
 名前の通り、金剛石が湖面にいくつも散りばめられているようだと感じた。

 そういえば完璧な二人きりになるのは初めてだな、と気がつく。
 今までどこに行くにも護衛や側仕えがついてきて、二人きりになることはなかった。
 意識すると気恥ずかしくなり、彼の顔がまともに見られない。どうしてこんなにも、彼を意識してしまっているのだろう。
 自分で自分のことが不思議になりながら、ちょうど湖面で魚が跳ねたのでそちらに気を取られた振りをして視線を向けた。

「ここは自然が豊かなんですね」
「精霊に守護されしエスプリヒ王国民は皆、自然を大事にする。城下町にこれほど近い場所の湖が美しいままでいられるのは、精霊たちのおかげかもしれないね」

 ギュスターヴもまた、櫂を漕ぎながら湖面に視線を落とした。

「精霊のおかげ……」

 彼の言葉に、この静かな湖が一層神秘的に感じられた。
 聞こえてくるのは水と風の音だけ。気分が安らいでいくのを感じる。
 こんなに穏やかな心持ちでいられるのは、いつぶりだろう。
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