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第二十九話 ヒルガオ、友達のよしみ
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「派生属性とは五つの基本属性以外のその他、つまり二十六の属性の中の残り二十一ということだ」
バルト先生が教室の中に声を響かせる。
カッ、カッ、と黒板にチョークを走らせる音が後に続いた。
「例えばÈstrajの派生属性にはDegreにTèroum、FïrmèやHjrousがある。ÀstrajならPajrteやLünoとかだな」
連続する古代語の単語に頭が痛くなりそうになるが、昨日暗記しておいたので何とか授業についていけている。
「さて、五大属性とは違って派生属性には精霊以外に密接に絡んでくる要素が存在する。さて、それは何だ? そこのお前」
「え……」
板書を終えて振り返った先生に指を指されたのは、なんとオレだった。特に目立たないようにしていたつもりだったのに、何故オレが指されたのか。
そもそも派生属性に密接に関わってくる要素が何かなんて宿題の範囲として出されてない。
こういう理不尽な質問をすることがあるのがこの教師の悪癖だったが、オレにも当てられるとは。ランダムに当てているようで、実は名簿順か何かで質問することにしているのかもしれない。
隣のケントが大丈夫か、と言いたげにちらりと視線を寄越す。
「……太陽と、月?」
教科書を読んだ記憶を必死に手繰り寄せながら答えた。
「その通りだ。精霊のTèroumとLünoではなく、天にある太陽と月だな」
バルト先生はオレの答えにこくりと頷いた。
「まあこれくらいのこと、テキストを隅々まで読んだ奴なら答えられるよな。真面目に勉強しているようで何より」
ふざけるな、前もって予習してなかったらアウトだったじゃないかとこの教師に舌打ちしたくなった。実際にしたら聞こえてしまうのでしないが。
「まずこの関係性について理解しねえと、派生属性は扱えねぇからな」
不機嫌になりながらも彼の言っていることをノートに取る準備をする。
「古の時代、エルフは精霊の呼応を高めるために太陽と月を利用していた。これに旧大陸からやってきた属性魔術が加わり、特に派生属性と太陽と月の関係性が強められることとなった。魔術を行使する際に空に太陽は出ているか月は出ているか。出ているならばそれは欠けているか満ちているか。これらのことを参照して精霊と『繋ぎ』やすくした」
ペンを走らせる音とエーファが物を食べる音が織り交ざる。紙上に落ちた木の実のカスを払いながらノートを取った。
「精霊はそれぞれ独自の世界の中で生きていると言われている。まあ精霊が"生きている"というのは正確な表現ではないが。存在する、と言った方がいいか。ともかく、その精霊のそれぞれの世界と術者がより波長を合わせるのに空に浮かぶ太陽と月を使用したわけだ」
精霊がそれぞれ独自の世界に生きているという説明に、泡沫のようにたくさんの世界が浮かんでいる様を連想した。もちろんこの世界も浮いている泡の一つにしか過ぎなくて、その中で生きるオレたちはさらにちっぽけなちっぽけな存在なんだ、なんて。
「世界を似通わせることは魂を合わせることだ」
バルト先生は一言、呟いた。
「それって、どういうことですか?」
熱心な生徒が手を挙げて質問した。
いつもの紫の花の刻印の生徒だ。いつも後ろから彼が手を挙げて質問しているところを見るばかりで、顔はちらりと見かけたことしかない。
「あー、言葉であーだこーだと説明するようなことじゃねえからな。精霊に教えてもらえ」
また投げやりな調子になった。前から分かってはいたが、バルト先生は理論よりも感覚派のようだ。今のように大教室で大人数を相手に講義するよりも、少数相手に密接に指導する方が向いている人間な気がする。……と思うのはさっき自分が理不尽な目に遭ったからだろうか。
「さて、他に質問は? ここまで理解できたか?」
大切な人の実家がどうであろうと、抱えた想いがどうであろうと、魔術学校の一生徒としての日常は絶え間なく押し寄せてくる。流されないようにと必死にしがみ付くので精一杯だ。
真面目に黙々とペンを動かした。
*
「なんだってっ!?」
わざわざ内緒話をする為に寮の自室まで来たというのに。
オレに事情を聞いたケントは大声を出して驚いたのだった。
「ナイフを持った男に襲われただなんて、そんなことがあったのか!」
「声抑えろ……!」
しー! と彼の声を諫める。ケントは慌てて声を潜めた。
「友人にそんな大変なことがあったのにまったく気が付かなかった自分が情けない……」
「何言ってんだよ、お前に教えてないんだから知らないのは当たり前だろ?」
ケントが何故か謎に落ち込み出したので、オレは片眉を上げた。
オレが話さなかっただけなのに、何故ケントの方が責任を感じているのだろう。
確かに朝は「今頃気づいたのか」なんて思ったりもしたが、よくよく考えてみれば自分の与り知らぬところで始まり、そして終わった出来事に気づくなんて至難の業だ。何を責任を感じる必要があるだろうか。
「そんなことがあったのに今まで何事もなかったかのように振る舞っていたなんて、君は強い人だ」
「んなことねえよ」
オレは強いのだろうか? 彼の言葉があまりピンと来なかった。アレクシスに対しては拗ねたり怯えたりした姿を見せたからかもしれない。傍から見ればオレは至極冷静に日常生活を送っていたように見えたらしい。
「そういう訳だから、ケントも気を付けた方がいいぞ」
ヒュフナー教授はオレを狙った犯行だと言っていたが、ただの強盗だとも限らない訳だし。オレだけが狙われるとは限らない。だからオレはケントに忠告しておいた。
「いや、それはそうだが自分がまた襲われるかもとは心配にならないのかっ!?」
心配にはなるが。
ケントをどう納得させたものかと首を捻り、あるものを思い出した。
そういえばヒュフナー教授から預かっていたものがあった。
「実を言うと、ヒュフナー教授の研究室に入る鍵を持ってる。襲われた時はそこに避難していいそうだ」
ポケットから取り出した鍵をケントに見せる。
「教授の部屋か……! 確かにそれは心強いな」
「ああ」
彼の言葉に頷く。
「それにしても君は随分と教授に信頼されてるんだな」
「うん、どういうことだ?」
ケントの言葉の意味が分からずに尋ねる。
「研究室は魔術師にとっての心臓のようなものと言っても過言じゃないだろう? 何せ教授の研究の全てがそこにあるのだから。君が研究を持ち出したり破壊したりしないと信用されてるんだ」
「……」
それもそうかと彼の言葉に唸った。
教授が当たり前のように優しくしてくれるので今まで気が付いていなかったが、いくら生徒だからとは言え何処の馬の骨とも知れない奴を自由に研究室出入り可にするのは覚悟がいることだ。それをぽんと合鍵を渡してくれるとは。
ケントはオレが教授に信頼されているからと言ったが、果たしてそうだろうか。信頼されるようなことをした覚えがない。きっと、ヒュフナー教授が底抜けに優しい人だからだろう。
いつか感謝の意を伝えなければならない。
「しかしそうだとしても気を付けたまえよ、まだ数日しか経ってないのだろう?」
「気を付けてる」
また話がそこに戻るのかとうんざりしながら、こくこくと頷いた。
でも、ケントに事情を話したこと自体に悪い気はしていなかった。
ケントに何かあった時は助けてやろう。
バルト先生が教室の中に声を響かせる。
カッ、カッ、と黒板にチョークを走らせる音が後に続いた。
「例えばÈstrajの派生属性にはDegreにTèroum、FïrmèやHjrousがある。ÀstrajならPajrteやLünoとかだな」
連続する古代語の単語に頭が痛くなりそうになるが、昨日暗記しておいたので何とか授業についていけている。
「さて、五大属性とは違って派生属性には精霊以外に密接に絡んでくる要素が存在する。さて、それは何だ? そこのお前」
「え……」
板書を終えて振り返った先生に指を指されたのは、なんとオレだった。特に目立たないようにしていたつもりだったのに、何故オレが指されたのか。
そもそも派生属性に密接に関わってくる要素が何かなんて宿題の範囲として出されてない。
こういう理不尽な質問をすることがあるのがこの教師の悪癖だったが、オレにも当てられるとは。ランダムに当てているようで、実は名簿順か何かで質問することにしているのかもしれない。
隣のケントが大丈夫か、と言いたげにちらりと視線を寄越す。
「……太陽と、月?」
教科書を読んだ記憶を必死に手繰り寄せながら答えた。
「その通りだ。精霊のTèroumとLünoではなく、天にある太陽と月だな」
バルト先生はオレの答えにこくりと頷いた。
「まあこれくらいのこと、テキストを隅々まで読んだ奴なら答えられるよな。真面目に勉強しているようで何より」
ふざけるな、前もって予習してなかったらアウトだったじゃないかとこの教師に舌打ちしたくなった。実際にしたら聞こえてしまうのでしないが。
「まずこの関係性について理解しねえと、派生属性は扱えねぇからな」
不機嫌になりながらも彼の言っていることをノートに取る準備をする。
「古の時代、エルフは精霊の呼応を高めるために太陽と月を利用していた。これに旧大陸からやってきた属性魔術が加わり、特に派生属性と太陽と月の関係性が強められることとなった。魔術を行使する際に空に太陽は出ているか月は出ているか。出ているならばそれは欠けているか満ちているか。これらのことを参照して精霊と『繋ぎ』やすくした」
ペンを走らせる音とエーファが物を食べる音が織り交ざる。紙上に落ちた木の実のカスを払いながらノートを取った。
「精霊はそれぞれ独自の世界の中で生きていると言われている。まあ精霊が"生きている"というのは正確な表現ではないが。存在する、と言った方がいいか。ともかく、その精霊のそれぞれの世界と術者がより波長を合わせるのに空に浮かぶ太陽と月を使用したわけだ」
精霊がそれぞれ独自の世界に生きているという説明に、泡沫のようにたくさんの世界が浮かんでいる様を連想した。もちろんこの世界も浮いている泡の一つにしか過ぎなくて、その中で生きるオレたちはさらにちっぽけなちっぽけな存在なんだ、なんて。
「世界を似通わせることは魂を合わせることだ」
バルト先生は一言、呟いた。
「それって、どういうことですか?」
熱心な生徒が手を挙げて質問した。
いつもの紫の花の刻印の生徒だ。いつも後ろから彼が手を挙げて質問しているところを見るばかりで、顔はちらりと見かけたことしかない。
「あー、言葉であーだこーだと説明するようなことじゃねえからな。精霊に教えてもらえ」
また投げやりな調子になった。前から分かってはいたが、バルト先生は理論よりも感覚派のようだ。今のように大教室で大人数を相手に講義するよりも、少数相手に密接に指導する方が向いている人間な気がする。……と思うのはさっき自分が理不尽な目に遭ったからだろうか。
「さて、他に質問は? ここまで理解できたか?」
大切な人の実家がどうであろうと、抱えた想いがどうであろうと、魔術学校の一生徒としての日常は絶え間なく押し寄せてくる。流されないようにと必死にしがみ付くので精一杯だ。
真面目に黙々とペンを動かした。
*
「なんだってっ!?」
わざわざ内緒話をする為に寮の自室まで来たというのに。
オレに事情を聞いたケントは大声を出して驚いたのだった。
「ナイフを持った男に襲われただなんて、そんなことがあったのか!」
「声抑えろ……!」
しー! と彼の声を諫める。ケントは慌てて声を潜めた。
「友人にそんな大変なことがあったのにまったく気が付かなかった自分が情けない……」
「何言ってんだよ、お前に教えてないんだから知らないのは当たり前だろ?」
ケントが何故か謎に落ち込み出したので、オレは片眉を上げた。
オレが話さなかっただけなのに、何故ケントの方が責任を感じているのだろう。
確かに朝は「今頃気づいたのか」なんて思ったりもしたが、よくよく考えてみれば自分の与り知らぬところで始まり、そして終わった出来事に気づくなんて至難の業だ。何を責任を感じる必要があるだろうか。
「そんなことがあったのに今まで何事もなかったかのように振る舞っていたなんて、君は強い人だ」
「んなことねえよ」
オレは強いのだろうか? 彼の言葉があまりピンと来なかった。アレクシスに対しては拗ねたり怯えたりした姿を見せたからかもしれない。傍から見ればオレは至極冷静に日常生活を送っていたように見えたらしい。
「そういう訳だから、ケントも気を付けた方がいいぞ」
ヒュフナー教授はオレを狙った犯行だと言っていたが、ただの強盗だとも限らない訳だし。オレだけが狙われるとは限らない。だからオレはケントに忠告しておいた。
「いや、それはそうだが自分がまた襲われるかもとは心配にならないのかっ!?」
心配にはなるが。
ケントをどう納得させたものかと首を捻り、あるものを思い出した。
そういえばヒュフナー教授から預かっていたものがあった。
「実を言うと、ヒュフナー教授の研究室に入る鍵を持ってる。襲われた時はそこに避難していいそうだ」
ポケットから取り出した鍵をケントに見せる。
「教授の部屋か……! 確かにそれは心強いな」
「ああ」
彼の言葉に頷く。
「それにしても君は随分と教授に信頼されてるんだな」
「うん、どういうことだ?」
ケントの言葉の意味が分からずに尋ねる。
「研究室は魔術師にとっての心臓のようなものと言っても過言じゃないだろう? 何せ教授の研究の全てがそこにあるのだから。君が研究を持ち出したり破壊したりしないと信用されてるんだ」
「……」
それもそうかと彼の言葉に唸った。
教授が当たり前のように優しくしてくれるので今まで気が付いていなかったが、いくら生徒だからとは言え何処の馬の骨とも知れない奴を自由に研究室出入り可にするのは覚悟がいることだ。それをぽんと合鍵を渡してくれるとは。
ケントはオレが教授に信頼されているからと言ったが、果たしてそうだろうか。信頼されるようなことをした覚えがない。きっと、ヒュフナー教授が底抜けに優しい人だからだろう。
いつか感謝の意を伝えなければならない。
「しかしそうだとしても気を付けたまえよ、まだ数日しか経ってないのだろう?」
「気を付けてる」
また話がそこに戻るのかとうんざりしながら、こくこくと頷いた。
でも、ケントに事情を話したこと自体に悪い気はしていなかった。
ケントに何かあった時は助けてやろう。
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