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第三十話 ジギタリス、熱い恋
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「ついに今夜だ」
アレクシスが腰に剣を提げながら呟いた。
――――今夜が満月だからだ。
「ルノ」
彼がオレを見つめる。
それと同時にエーファが彼の身体からオレの肩へと飛び乗った。
このリスが飛び乗ってくる軽い衝撃にも随分と慣れた。
「エーファと一緒にいるといい。エーファを危険な場所に連れて行く訳にはいかないからな」
「きゅ!」
アレクシスの言葉にエーファは誇らしげに一鳴きした。
言外に戦力にならないと言われてるのだが、分かってるのだろうかこのリスは。
まあよく考えればそれはオレも一緒だ。
「……なあ、やっぱりオレもついていっちゃ駄目か?」
彼を見上げ、もう一度尋ねた。
「ルノ、一度言ったと思うが」
彼はあくまでも大事なものを扱うように、そっとオレの肩に手を置いた。
「今回の事はあくまでもオレの家の問題だ。オレが向き合うべき問題と言い換えてもいい。そんなことに君を巻き込むのは……嫌なんだ」
彼の言葉から伝わる響きで、彼がオレの事を大切に思っているからこそなのだと理解できた。
「……分かった」
ここで「連れて行って」と頼むことは出来なかった。オレがそこまで彼の人生に関わる資格はないと思ったからだ。ここで連れて行けと頼めるくらいなら、オレはとうに自分の想いを彼に告白できているだろう。
「しかしここに君を一人残していくのもそれはそれで不安だな」
アレクシスはここのところ授業が終わるなり迎えに来て、なるべくオレが一人にならないようにしてくれていた。またオレが襲われないか心配なのだろう。
「ならあんたが戻ってくるまでヒュフナー教授のとこに行ってる」
オレは教授の研究室の鍵を取り出して彼に見せた。
「む。まあ、教授のところなら安心か」
言葉の上では同意している癖に、アレクシスの顔は口を曲げて眉を顰めていた。自分が一番よくルノを守ってやれるのに自分の身体が一つしかないのが残念でならない、と彼の顔は雄弁に語っていた。いつも彼の言葉は格好付けだが、その表情は正直者なのだ。
*
事が済んだら迎えに行く、と言って彼は部屋を出て行った。
オレもヒュフナー教授の研究室に行くために部屋を後にする。
「あ、ケント」
「ルノくん、こんな時間にどうしたんだい?」
いくらも行かないうちにばったりとケントに会った。
お手洗いにでも行ってきたところだったのだろうか。
「これから教授のとこに行くんだ」
「えっ、まさか何かあったのか……!?」
ケントは驚きに目を丸くした。そうだ、ケントには事情を話してたんだった。そりゃあこれから教授の研究室へ行くところだと言ったら驚くだろう。
「いや。ただ、アレクシスが心配性で」
今日はアレクシスが用事があってちょっと出かけるから、その間だけヒュフナー教授の研究室に身を寄せるのだと説明した。
「なるほど、そういうことか」
うんうんと頷いて納得したかと思うと、ケントはこんなことを言い出した。
「なら、僕もついて行こうか」
「はあ!? なんでだよ!」
意味不明な提案にオレはぎょっと顔を顰めた。
「一人だと心細いだろう? せっかくだから二人で教授のところにお邪魔しよう」
「いや……まあ、いいか」
確かに教授と二人きりでは気まずくて息が詰まるかもしれないと思い直す。いくらヒュフナー教授が優しい人間でも、相手は教師だからきっと肩が張るだろう。
「それにしても何で付き合ってくれるんだ?」
ケントに尋ねる。彼が金魚のフンのようにオレについてこなければならない理由はないだろう。
「え……だってせっかく使役学の権威の研究室に足を踏み入れられる機会なんだ。そりゃついて行くさ! 何かの勉強になるかもしれない!」
……別に友情が理由ではなかった。実に勉強熱心なことだ。以前誘った時も快くついてきたのはこれが理由だったのかもしれない。
オレは普段からケントのことを見て「ごく普通の青少年とはこういう奴のことを言うのだろう」と密かに思っていたのだが、その認識を改めなければならない。
魔術師を真面目に目指している奴なんて、みんなどこかズレているんだ。この学院の中で『普通の人間』のお手本を見つけようとするのは止めた方がいいだろう。
その最たるものがアレクシスだ。あんな変な奴、この世の何処を探しても他にはいないに違いない。
最初はオレという人間と彼との違いを「貴族だから」「優等生だから」だと思っていたが、今では分かっている。アイツが初対面で一目惚れなどと抜かす飛び切りの変人で妙にお節介焼きで下手な笑顔で場を誤魔化そうとしたりそれなのに自信満々で自分は格好良い男のつもりでいて実際顔面は良くてその癖表情筋がよく動いて驚いたり狼狽えたり照れた顔を見せてくれる愛らしい一面も全っっっ部、アイツ個人の個性なのだと。
この右手に黄薔薇を刻んでくれた時の彼を思い出すと何故だか微笑を浮かべてしまうのだから、なるほど恋は盲目と呼ばれる訳だ。
「ん? 何か楽しいことでもあったのかい?」
「んな訳ねえだろ」
ふん、と鼻を鳴らすと教授の研究室に向かったのだった。
「誰もいない、な……?」
人気のない研究室にケントは首を傾げた。
ドアをノックしても返事がなかったが、自分がいなくても入っていいと教授が以前言っていたことを思い出し鍵を使ってオレたちはドアを開けた。だがそこには教授どころか使い魔のフクロウやネコたちもいなかったのだ。完全な無人だ。
「爺さんだからもう寝たのか?」
就寝するにはいくら何でも早過ぎるだろう、と自分の言葉に内心でツッコミながら研究室にそっと足を踏み入れた。
「立ち入らない方がいいんじゃないだろうか」
「でも勝手に部屋に入っていいとは言われてるし。寮にいるよりは安全だと思う」
自分に本気で害をなそうとする人間がいるのだとしたら、教授の研究室が堅牢そうで安全だと思ったのだが。せっかくなら教授の研究室にいたかったが、無人ならいてもあまり意味はないかもしれない。
「この図は一体なんだ?」
そっと研究室の足を踏み入れ、実験机の上に広げられている絵に視線を落とした。
樹形図のようなものが描かれている。書かれている文字は古代エルフ語。どうやら精霊の名前を書き連ねてあるようだ。だが樹形図の頂点となる一番上に書かれた精霊の名に見覚えがない。
「Agnima?」
その名を読み上げる。まだ習ってない精霊がいるのだろうか。
「Agnimaは大精霊のことだな」
ケントが答えた。
「知ってるのか」
「なんでも一番強い精霊らしいけど、呼び出すのがあまりにも難し過ぎて半ば歴史上の存在みたいになってるらしい。僕も詳しいことは知らないんだけど」
「充分物知りだと思うが」
あるいはオレが物を知らなすぎるだけで魔術師にとっては常識なのかもしれない。
そう劣等感に苛まれかけたその時だった。
「チュ!」
「お、おい!」
エーファが床に下りて素早く駆けていってしまった。小っちゃな身体が研究室の奥に消えて行ってしまう。あの好奇心旺盛なリスめ!
奥の方にフクロウやネコがいたらエーファが食べられてしまうかもしれない。オレは慌てて後を追いかけた。
「ルノくん!」
自然とケントも研究室の中へと足を踏み入れることになった。
「何処だ、エーファ!」
「きゅ」
焦って周囲を見回すと、上の方から返事があった。
見上げると、棚の上にエーファがいるのを見つけた。ひとまず彼女が食べられてなくてほっと胸を撫で下ろす。
「こらエーファ、そんなとこに登ったら危ないだろ」
エーファがまかり間違って何かを倒さない内に下ろさなければ。焦ってエーファに手を伸ばすと、何とエーファはその手をすり抜けていく。
「ぬおっ!?」
エーファが今まで言う事を聞かなかったことなんてなかったのに。
不意のことにバランスを崩し、棚の縁を咄嗟に掴む。
すると掴んだものが滑らかに動いていく。
ガラガラッ。
棚が丸ごと左にずれ、その後ろに隠されていたものを露わにしたのだった。
「これは……隠し扉っ!?」
後ろからやってきたケントが現れたものに声をあげる。
「これは、一体……?」
ドアノブの無いのっぺりとした黒い扉がそこにあった。
研究室の隠し扉を偶然暴いてしまったのだとオレは理解した。
アレクシスが腰に剣を提げながら呟いた。
――――今夜が満月だからだ。
「ルノ」
彼がオレを見つめる。
それと同時にエーファが彼の身体からオレの肩へと飛び乗った。
このリスが飛び乗ってくる軽い衝撃にも随分と慣れた。
「エーファと一緒にいるといい。エーファを危険な場所に連れて行く訳にはいかないからな」
「きゅ!」
アレクシスの言葉にエーファは誇らしげに一鳴きした。
言外に戦力にならないと言われてるのだが、分かってるのだろうかこのリスは。
まあよく考えればそれはオレも一緒だ。
「……なあ、やっぱりオレもついていっちゃ駄目か?」
彼を見上げ、もう一度尋ねた。
「ルノ、一度言ったと思うが」
彼はあくまでも大事なものを扱うように、そっとオレの肩に手を置いた。
「今回の事はあくまでもオレの家の問題だ。オレが向き合うべき問題と言い換えてもいい。そんなことに君を巻き込むのは……嫌なんだ」
彼の言葉から伝わる響きで、彼がオレの事を大切に思っているからこそなのだと理解できた。
「……分かった」
ここで「連れて行って」と頼むことは出来なかった。オレがそこまで彼の人生に関わる資格はないと思ったからだ。ここで連れて行けと頼めるくらいなら、オレはとうに自分の想いを彼に告白できているだろう。
「しかしここに君を一人残していくのもそれはそれで不安だな」
アレクシスはここのところ授業が終わるなり迎えに来て、なるべくオレが一人にならないようにしてくれていた。またオレが襲われないか心配なのだろう。
「ならあんたが戻ってくるまでヒュフナー教授のとこに行ってる」
オレは教授の研究室の鍵を取り出して彼に見せた。
「む。まあ、教授のところなら安心か」
言葉の上では同意している癖に、アレクシスの顔は口を曲げて眉を顰めていた。自分が一番よくルノを守ってやれるのに自分の身体が一つしかないのが残念でならない、と彼の顔は雄弁に語っていた。いつも彼の言葉は格好付けだが、その表情は正直者なのだ。
*
事が済んだら迎えに行く、と言って彼は部屋を出て行った。
オレもヒュフナー教授の研究室に行くために部屋を後にする。
「あ、ケント」
「ルノくん、こんな時間にどうしたんだい?」
いくらも行かないうちにばったりとケントに会った。
お手洗いにでも行ってきたところだったのだろうか。
「これから教授のとこに行くんだ」
「えっ、まさか何かあったのか……!?」
ケントは驚きに目を丸くした。そうだ、ケントには事情を話してたんだった。そりゃあこれから教授の研究室へ行くところだと言ったら驚くだろう。
「いや。ただ、アレクシスが心配性で」
今日はアレクシスが用事があってちょっと出かけるから、その間だけヒュフナー教授の研究室に身を寄せるのだと説明した。
「なるほど、そういうことか」
うんうんと頷いて納得したかと思うと、ケントはこんなことを言い出した。
「なら、僕もついて行こうか」
「はあ!? なんでだよ!」
意味不明な提案にオレはぎょっと顔を顰めた。
「一人だと心細いだろう? せっかくだから二人で教授のところにお邪魔しよう」
「いや……まあ、いいか」
確かに教授と二人きりでは気まずくて息が詰まるかもしれないと思い直す。いくらヒュフナー教授が優しい人間でも、相手は教師だからきっと肩が張るだろう。
「それにしても何で付き合ってくれるんだ?」
ケントに尋ねる。彼が金魚のフンのようにオレについてこなければならない理由はないだろう。
「え……だってせっかく使役学の権威の研究室に足を踏み入れられる機会なんだ。そりゃついて行くさ! 何かの勉強になるかもしれない!」
……別に友情が理由ではなかった。実に勉強熱心なことだ。以前誘った時も快くついてきたのはこれが理由だったのかもしれない。
オレは普段からケントのことを見て「ごく普通の青少年とはこういう奴のことを言うのだろう」と密かに思っていたのだが、その認識を改めなければならない。
魔術師を真面目に目指している奴なんて、みんなどこかズレているんだ。この学院の中で『普通の人間』のお手本を見つけようとするのは止めた方がいいだろう。
その最たるものがアレクシスだ。あんな変な奴、この世の何処を探しても他にはいないに違いない。
最初はオレという人間と彼との違いを「貴族だから」「優等生だから」だと思っていたが、今では分かっている。アイツが初対面で一目惚れなどと抜かす飛び切りの変人で妙にお節介焼きで下手な笑顔で場を誤魔化そうとしたりそれなのに自信満々で自分は格好良い男のつもりでいて実際顔面は良くてその癖表情筋がよく動いて驚いたり狼狽えたり照れた顔を見せてくれる愛らしい一面も全っっっ部、アイツ個人の個性なのだと。
この右手に黄薔薇を刻んでくれた時の彼を思い出すと何故だか微笑を浮かべてしまうのだから、なるほど恋は盲目と呼ばれる訳だ。
「ん? 何か楽しいことでもあったのかい?」
「んな訳ねえだろ」
ふん、と鼻を鳴らすと教授の研究室に向かったのだった。
「誰もいない、な……?」
人気のない研究室にケントは首を傾げた。
ドアをノックしても返事がなかったが、自分がいなくても入っていいと教授が以前言っていたことを思い出し鍵を使ってオレたちはドアを開けた。だがそこには教授どころか使い魔のフクロウやネコたちもいなかったのだ。完全な無人だ。
「爺さんだからもう寝たのか?」
就寝するにはいくら何でも早過ぎるだろう、と自分の言葉に内心でツッコミながら研究室にそっと足を踏み入れた。
「立ち入らない方がいいんじゃないだろうか」
「でも勝手に部屋に入っていいとは言われてるし。寮にいるよりは安全だと思う」
自分に本気で害をなそうとする人間がいるのだとしたら、教授の研究室が堅牢そうで安全だと思ったのだが。せっかくなら教授の研究室にいたかったが、無人ならいてもあまり意味はないかもしれない。
「この図は一体なんだ?」
そっと研究室の足を踏み入れ、実験机の上に広げられている絵に視線を落とした。
樹形図のようなものが描かれている。書かれている文字は古代エルフ語。どうやら精霊の名前を書き連ねてあるようだ。だが樹形図の頂点となる一番上に書かれた精霊の名に見覚えがない。
「Agnima?」
その名を読み上げる。まだ習ってない精霊がいるのだろうか。
「Agnimaは大精霊のことだな」
ケントが答えた。
「知ってるのか」
「なんでも一番強い精霊らしいけど、呼び出すのがあまりにも難し過ぎて半ば歴史上の存在みたいになってるらしい。僕も詳しいことは知らないんだけど」
「充分物知りだと思うが」
あるいはオレが物を知らなすぎるだけで魔術師にとっては常識なのかもしれない。
そう劣等感に苛まれかけたその時だった。
「チュ!」
「お、おい!」
エーファが床に下りて素早く駆けていってしまった。小っちゃな身体が研究室の奥に消えて行ってしまう。あの好奇心旺盛なリスめ!
奥の方にフクロウやネコがいたらエーファが食べられてしまうかもしれない。オレは慌てて後を追いかけた。
「ルノくん!」
自然とケントも研究室の中へと足を踏み入れることになった。
「何処だ、エーファ!」
「きゅ」
焦って周囲を見回すと、上の方から返事があった。
見上げると、棚の上にエーファがいるのを見つけた。ひとまず彼女が食べられてなくてほっと胸を撫で下ろす。
「こらエーファ、そんなとこに登ったら危ないだろ」
エーファがまかり間違って何かを倒さない内に下ろさなければ。焦ってエーファに手を伸ばすと、何とエーファはその手をすり抜けていく。
「ぬおっ!?」
エーファが今まで言う事を聞かなかったことなんてなかったのに。
不意のことにバランスを崩し、棚の縁を咄嗟に掴む。
すると掴んだものが滑らかに動いていく。
ガラガラッ。
棚が丸ごと左にずれ、その後ろに隠されていたものを露わにしたのだった。
「これは……隠し扉っ!?」
後ろからやってきたケントが現れたものに声をあげる。
「これは、一体……?」
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