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第二十八話 カランコエ、たくさんの小さな思い出

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「ふふっ」

 暫くして、古本を胸に抱えてオレは店を後にした。
 アレクシスに教えてもらって霊医術の分かりやすい本が見つかったのだ。
 とても大事な宝物を抱き締めているようで、密かに心が躍っていた。

「この後行きたい場所は?」

 オレの前を行くアレクシスが振り返って尋ねる。

「ない」

 きっぱりと答えた。

「そうか、疲れたか。じゃあもう帰るか?」
「帰らないっ」

 オレは彼の腕を片手でひしりと掴んで、彼を引き止めた。
 もう片方の手にはしっかりと魔術書を抱えている。

「えっ、じゃあどうするんだ……?」

 オレの言葉に彼が狼狽える。
 どうすればいいか本当に分からないようだ。
 折角のデートなのにオレに何か買ってやるくらいのことしか思いつかないのだろうか。

「特に行きたい場所がある訳じゃないけど、アレクシスと一緒に町を歩いて回りたい。……それじゃ駄目か?」

 上目遣いに訴えた。

「だ…………駄目じゃないともっ! 駄目なものか、大歓迎だ!」

 彼の力んだ返事に思わず笑い声を漏らしそうになったくらい愉快な気分になった。いつも格好をつけてる癖に、肝心な所で必死になってしまう彼が可愛らしい。

「じゃあ何処に、いや目的地は無いんだったな」
「適当に、気の向いた方向に歩き出そう」

 魔術書を持っていない方の手で彼の手を握った。
 一瞬動揺したように彼の手に力が入り、ふっと力が抜けて優しくオレの手を握り直してくれた。

「ああ」

 彼の手の温かさを感じながら、オレたちは歩き出した。
 街並みを眺め、知らない景色に目を輝かせながら隣の彼に笑いかける。その度に彼は一緒に笑ったり、知識を披露してくれたりした。

「こんな所にも噴水があるんだな」
シスルの町だからな。湧き水の豊富なことで有名なんだと前に言っただろう?」

 大小様々な噴水があちらこちらで見られ、蔦の絡み付いた家々や古い石造りの小さな教会に囲まれるようにして水を噴いていた。見ているだけで噴水の飛沫を身体に感じるような清涼な気分になる。
 本当に穏やかな時間だった。

「なあ、アレク」

 気の緩み切っていたオレはつい、アレクシスにそんな風に呼びかけてしまった。

「『アレク』? それはまさかオレの愛称か?」

 途端に彼が嬉しそうにほくそ笑み出す。
 こうなるから彼を愛称で呼んだりしたくなかったのだ。

「オレを愛称で呼んでくれるなんて嬉しいな。まさかそこまでオレに親しみを感じてくれていたとは」
「ち、違ぇ! あんたの名前なんかちゃんと呼ぶに値しないってことだ!」

 顔を赤くして反論する。しかしオレがどんなに彼を睨み付けても彼の微笑みを崩すには及ばなかった。

「良ければもう一度アレクと呼んでみてはくれないか。とても胸の高鳴る響きだった」
「呼ばない!」

 彼のにやけ面に恥ずかしくて堪らなくなったが、手を振り解くことはしなかった。こんな風に彼と笑い合える時は永遠ではないと感じていたからかもしれない。
 今のヒュフナー教授とアレクシスの父のように、いつかは決裂し交わりの無くなる日が来るだろう。身分に差がありすぎるし、彼がオレを選ばなければならない理由なんていうのもない。オレにとっては既にアレクシスは唯一の人になりつつあるけれど。
 こんなぬるま湯に浸かっているような優しい日々が長く続く筈がないとオレは思っていた。
 彼が言うように卒業後彼の専属霊医術士になるどころか、この一年保つかすら怪しい。どうせすぐに嫌われる瞬間が来ると思いながらも、いやそう思うからこそ、オレはこの散歩のひと時を楽しんでいた。

 そんな風に刹那的に思っているのだったらせめて素直になればいいのに。
 第三者にそう言われてもオレは反論できないと思う。

 それでもオレはこの気持ちをアレクシスに明けることはできなかった。
 胸の内から外側に少しも漏らさなければこの気持ちが無かったことになるかもしれない、そんな幼い希望を抱いていた。



 *



 朝の澄み切った空気の中、窓から外を見ればちらほらと落ち葉が舞っている。
 どうやら季節は本格的に秋へと移り変わったようだ。

「カリカリカリ……」

 肩の上のエーファもさっきから木の実か何かを齧っている。冬眠に備えでもしているのだろうか。
 このところエーファは丸々と肥えてきた気がする。このままでは"小"リスと呼ぶには相応しくなくなってしまうだろう。

「おはよう、ルノくん」

 教室に入る前にケントと出くわした。ここか教室の中でケントと合流するのはもはや日常と化したルーチンだ。

「今日もそのリスくんを連れてるんだな」
「ああ」

 オレの肩に視線を向ける彼に頷きながら、教室内の適当な席を見つけて二人で腰掛けた。
 前過ぎず、後ろ過ぎず、かつ中央も避けた席。目立ち過ぎないが黒板がよく見えるこの辺りに座ることが多かった。
 ケントは窺うように周囲を見回すと、そっとオレに尋ねた。

「……もしかして、何かあったのか? 君は毎日のようにそのリスくんを連れて来るようになったし、何だか学園全体も物々しい」

 彼のその質問に「今頃気づいたのか」と呆れた顔をしそうになり、思い直す。
 ケントは何かに襲われたりした当事者ではないのだから、学園の変化に鈍感でも仕方がないだろう。学園が警備を強めていることなんて些かも気付いてない生徒の方が多いくらいなのだから。
 回廊に立ち並ぶ騎士の鎧が時折周りを見回すように首を巡らせていたり、講師の誰かの使い魔と思われる鳥が学園を巡回するように飛んでいたりするが、それが警備の強化の為だとは思うまい。
 それに気づいただけケントは周りのことをよく見ていると言えるだろう。

「ん……」

 謎の男に襲われたことを彼に話すべきだろうか。
 気が付けばあの出来事から結構日にちが経っていて再びの襲撃がありそうな気配はない。学園の警備の厳重さに諦めたのかもしれない。
 もう過ぎたことを今更ケントに話して意味があるだろうか。

「人前で話したいことじゃないから、後でな」

 考えた末にそう言った。
 上級生ならば音の精霊に頼んで人込みの中で堂々と密談といったことができるらしいが、生憎とオレたちはまだそんな高度なことはできない。単純に人のいない場所で話をするしかないだろう。

「やはり何かあったのか」
「まあな」

 話していると、二頭の狼が静々と教室に入って来た。後ろからバルト先生がゆっくりと歩いてくる。
 使い魔だとは分かっているが、相変わらず狼が室内で行儀よくしている光景は異様だ。
 精霊に頼んだのか、先生が教室に入ると扉がひとりでに音もなく閉まった。

「授業始めるぞー」

 バルト先生が教壇に立つと、生徒たちは居住まいを正した。

「今日の授業は派生属性に関してだ。派生属性の分類に関してはお前ら暗記してきたな?」

 前回は暗記の宿題を出されたのだった。オレはもちろん暗記してきた。今回もまたいつものように小テストを出されるのだろう。
 小テストのテストは毎回記録されていて、最終的に単位を取れるかどうかにかかっているらしい。特にこの『基礎魔術学』の単位が取れないのは半年分留年することに等しい。だから生徒は皆一様に真剣だ。
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