彼はオレの傷を愛している ~人間嫌いのオレが魔術学校の優等生に一目惚れされるなんて~

野良猫のらん

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第五話 フクシア、信頼

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「ルノ、大丈夫か?」
「……っるせぇ、触んな」

 馬車から下りたオレはアレクシスの伸ばした手を振り払い、よろよろと歩き出した。

「それにしても君が乗り物酔いに弱いとはな」
「お貴族様みたいに馬車に乗り慣れてねぇんだよ」

 アレクシスがしつこくオレの背中を摩ろうとするのを、再び振り払う。

「ルノ、もう町に着いたから大丈夫だ」
「ああ……」

 自分の足で地面を踏みしめ、空気を肺に吸い込むといくらか気分が良くなった。

「ここがシスルの町だ」

 アレクシスが前方を示す。
 そこが町の中心となる広場だった。

 オレンジ色の屋根の家々が円形に立ち並び、広場の中心には噴水がある。
 噴水の中心に、古ぼけた石像が立っているのが見える。
 目鼻立ちは風化していて分かりづらいが、翅の生えた子供のようだ。
 もしかして精霊を模しているのか?

「シスルと言えば古代エルフ語で、泉……」
「おお。よく覚えてるな、その通りだ」

 言い当てると、アレクシスが我が事のように顔を綻ばせる。
 やっぱりムカつく。苦労して単語を覚えたのはオレなのに。

「ここ数日で一気に単語を頭に詰め込んで、ずっと頭の中で古代語がぐるぐるしてんだ……地獄だ」
「ははは、そこを乗り越えたら母語のように古代語を操れるようになるさ」

 まるでオレと朗らかな会話を交わしているかのように笑う彼に苛つく。
 流石に笑うのを止めろとは口に出さないけれど。

「そう、泉の町シスルだ。エルフの集落と近い場所にあったからか、古代エルフ語の名が付いている。その名の通り泉の精霊の加護を受けた土地で、町のあらゆるところに噴水がある」

 アレクシスは穏やかに解説してくれる。
 じゃああの石像は、町と同じ名前を冠した泉の精霊シスルなのだろう。

「……精霊っていうのは本当にあんな姿をしているのか?」

 あの石像を指さして尋ねる。

「ああ、あれは人々の想像さ。精霊というのは形を持たない」
「ふうん」

 精霊というのは風のようなものなのだろうか。
 未だによく分からない。

「さあ、行こう。この広場にある酒場が昼もやっているんだ」

 その言葉にぴたりと足を止める。

「待った。一緒に飯を食うつもりか?」
「ああ、そうだ。お腹がすいてるだろう? お代ならオレが出す」

 腹がしくしくと寂しさを訴えてるのが分かる。
 ここで飯を食わねば、晩飯まで我慢することになるだろう。
 しかし外食すれば出費がかさむ。
 もし彼に奢ってもらえるならば、それは非常に助かる……。

「……昼飯代の見返りにナニかさせる気じゃねぇだろうな?」
「?」

 警戒しながら彼を睨むと、彼はポカンとした顔になる。
 どうやらお貴族様にとって昼飯代を出す程度は借りだとすら思わないようだ。

「なんでもねぇ。その酒場とやらにさっさと連れてけ」

 オレは汚い世界に住んでいて、彼は綺麗な世界に住んでいる。
 その違いを突き付けられたようで、オレはぶっきらぼうに答えた。



 *



「さ、何がいい? 何が食べたい?」
「……」

 アレクシスがメニューに目を落とすこともなくニコニコとオレを見つめ、オレはじっと俯いている。

 店内には結構魔術学校の生徒が多い。
 彼らも同じように馬車で町に繰り出してきて、すぐ近くのこの酒場で昼食を摂るのだろう。

「遠慮しなくてもいいんだぞ?」

 奢りにつられて来てしまったが、やはりアレクシスと対面で食事はキツい。
 目の前で食事するところを見られて、食事の作法を内心で嘲られたりしないだろうか。
 お貴族様と比べれば、どうしたってオレの食べ方は汚く見えるに決まってる。

「……なんでもいい」
「そうか。ならオレが決めるぞ?」

 彼の念押しにこくりと頷く。

「じゃあ、ルノは育ち盛りだしな。ステーキを頼もうか」

 さっきメニューの文字を物欲しげに見つめていたのがバレたのだろうか。
 一番食べたかったものを言い当てられた。

「ん……」
「ふふ」

 それでいいと示すようにコクリと頷くと、アレクシスは何故か微笑んだのだった。
 一体何が面白いのだろう。

 アレクシスが店員に料理を注文し、やがてそれが運ばれてきた。
 オレの前にはステーキ。彼のところには魚介類と米を一緒に炊き込んだ料理、それに一杯のワインだ。

「本当に酒は頼まなくて良かったのか?」
「いい」
「下戸なのか?」
「ちげぇ」

 違うとは言ったものの、酒はあまり好きじゃない。
 何より彼の前で酔う気にはなれなかった。

 それにしても必要最低限しかアレクシスと関わるつもりはなかったのに、気がついたらこうして二人で町に来て、一緒に食事を摂る羽目になっている。一体全体何なんだ。
 気を許すつもりなんてなかった。いや、実際今も気を許してなんかない。こんなにも居心地が悪いのだから。
 それもこれも、彼が図々しいせいだ。いい迷惑だ。

 住んでる世界が違い過ぎるのに。
 何故関わってこようとするんだ。

 オレは心の中で彼に悪態を吐きながら、ナイフとフォークを手に取った。
 もういい、彼にどう思われようが知ったことか。

 お貴族様は食前の祈りとかするのかもしれないが、どうでもいい。
 オレはフォークを肉にぶっ刺し、ナイフで切り込みを入れた。
 そして肉を口の中に放り込む。

「ん……」

 肉汁が口の中に広がる。旨い。
 アレクシスとの対面での食事を我慢するだけの価値はある。
 その味に頬が緩んでしまう。

「ふっ」

 顔を上げると、彼がワインに口を付けながらじっとこちらを見て笑っていた。

「何が可笑しい」

 敵意剥き出しにして彼を睨みつける。
 何だ、やっぱり食事作法を嘲笑う気か。
 何を言われてもショックを受けないように、心を鋭く尖らせた。

「すまんな。君の笑顔は初めて見たものだから」

 彼はオレの予想を裏切り、嘲笑ではなく本当に嬉しそうな微笑みを浮かべたのだった。
 彼のその顔を見た途端、胸の内に暖かいものが込み上げてくるのを感じた。

「……笑ってなんかない」

 なんだ、今のは。
 今の感覚は一体なんだ?

「ふふっ、そうか」

 アレクシスは気にせず食事に手を付け始める。
 何だか悔しくなって、オレは猛烈な勢いでステーキを切り刻み始めた。



 *



 文房具を売っている店、教科書を売っている店、ローブ、衣類、その他諸々……魔術学校で生活していく上で必要な物を売っている店の場所を次々と案内してもらった。多分次からは一人で来れるだろう。

「この店の果物は美味いぞ。一つ、どうだ?」

 オレが何か答える前に、彼は小ぶりの木の実を一つ投げて寄越す。
 そして拒否するより先に彼は銅貨を店員に渡して代金を支払ってしまった。
 オレは仕方がなく手の中の赤い実をじっと見つめる。

「オレの好物なんだ」

 そう言ったアレクシスも同じ実を一つ手にしている。もう一個買ったようだ。
 そして彼は木の実の表面をローブで拭くと、そのまま齧り付いた。
 その姿が意外だった。

「ナイフとフォークで食わなくていいのか?」

 彼のイメージにそぐわぬ庶民的な所作を揶揄する。
 すると、彼は肩を竦めて答える。

「君が思ってるほどオレはお行儀良くない」
「ふん……」

 どうだか、と思うもののその返答は気に入った。
 つられてオレもニヤリと笑いながら、木の実に齧り付いたのだった。

 新鮮な果実は甘くて、美味しかった。
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