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86.モブ役者は異ジャンルの壁にぶち当たる

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 いよいよ雪之丞ゆきのじょうさんの劇団、月城座つきしろざでの稽古が本格的にはじまった。
 といっても、すでに一部の演目は稽古がはじまっていたのだけど。
 今日からはじまるのは、たとえばショータイムの演目である群舞を皆で合わせるような、本番を見据えた集合形式の稽古だった。

「ほらシンヤ、そこで扇が流れちまってたら、見栄えが悪くなんだろ?こうだ、こう」
「はいっ!」
 今も雪之丞さんの檄が飛び、手にした舞扇子の動きがちがうと厳しく指導を受ける。

「角度がちげぇよ!もう一度だ!」
「っ、はいっ!」
 あたまでは『こうしたい』という姿が浮かんでいるのに、どうにもうまくいかなくて、もう何回もくりかえし指導されている。

「今度ぁ『止めなきゃいけねぇ』ってのに気ぃ取られすぎだ!動きが固くなっちまったら、意味ねぇだろーが!」
「は、はい……っ!」
 もう何回注意されただろうか?
 あまりにも僕ばかりが注意されるものだから、数えるのをやめてしまって久しい。

 特に今稽古をしているのは、後半のショー演目でやる曲のひとつで、テンポの速いポップスだから、舞扇子の動きにしたって必然的にそうなるのだけど。
 そこで、ふだんから小道具としての舞扇子を使いなれているかどうかの差が出てしまっていた。

 そもそもの振付が飛んだり跳ねたりしているのだから、僕のような初心者では、どうしたって扇子を持つ手もそれに合わせてブレてしまい、そのたびに扇子の動きもそうなりがちなのは仕方ないのかもしれないけれど。
 かといって必死に形をキープしようとすれば、かえって動きが不自然となり、結果的にはもっと見栄えが悪くなってしまう。

 まさに今、雪之丞さんから言われたとおりだった。
 でもどういうわけか、雪之丞さんの持つそれは、まったくブレていないように見えるからふしぎだった。

 当然のようにほかの劇団員の人たちは雪之丞さんから指導されることはまずなくて、その代わりといってはなんだけど、ときおり振付師の先生から振りをまちがえていると指摘を受けていた。
 振付師の先生からの指導が入るのは、振り自体をまちがえたときだけで、逆に僕が注意されることはあまりなかった。

 ───それってつまり今の僕は、振りはきちんとおぼえて踊れているはずなのに、それでも雪之丞さんから見たら演目としては全然及第点にも達していないってことになるんじゃないだろうか?!
 それを認めるのは───認めざるを得ないのは、正直言って苦しいことだった。

 もちろん、そんな即合格を出してもらえるほど楽な稽古だとは思っていないし、自分自身もそこまで有能だなんて思いあがっているつもりもなかったけど。
 それでもこれまでほかのお仕事の合間をぬって、個人練習だって相当がんばってきたつもりだったのに……。

 けれどひとりで練習をしてきたときには及第点に思えたそれも、いざこうして群舞のなかに入ってみれば周囲よりも劣る動きとなっているのは僕自身がなによりも痛感していた。
 そりゃ、よく見れば劇団員のなかにも僕と似たりよったりのレベルの人がいるのかもしれないとしても。

 けれど今回の僕の立ち位置は、雪之丞さんの対になる場所なわけで。
 要はなにをするにも、雪之丞さんと比較されるってわけだろ!
 なら、僕だって雪之丞さんとおなじレベルまで踊れるようにならなきゃダメってことじゃないかって気づいたから。

 それが今はできていないからこそ、全体練習だというのに、僕への注意がたびかさなるせいで、さっきからずっと足踏みがつづいてしまっている。
 おかげで劇団員の皆も、しなくていいくりかえし練習になってしまっている。

 ───あぁもうっ、こんなのくやしすぎるだろっ!!

 そりゃまわりの皆にしたら、ふだんから踊ってきた曲で、僕は今回初参加なんだから、練習してきた歴がちがうのかもしれないけれど。
 でもだからといって、僕が下手なままでいいって理由にはなり得ないだろ!?

 だったら腐っているひまなんてないし、せっかく雪之丞さんという最高のお手本が目の前にあるのだから、盗める技術はしっかり盗ませていただかないと!
 そうやって、必死に自分自身を鼓舞する。

「……仕方ねぇ、いったん休憩だ」
 何度めかのダメ出しのあと、あきらめたように雪之丞さんが言う。
 そんな、あまりにも僕ができないから、あきれられてしまったのだろうか?

「っ、まだやれます!」
「てめぇはそうかもしれねぇが、まわりのほうが疲れてんだわ。こう何回もおなじのくりかえしてっとな、集中力も切れちまうしな」
 あわてて前のめり気味にかえせば、苦笑をうかべた雪之丞さんにいさめられた。

「あ……それは、その、ごめんなさい……」
 たしかに、いくら僕ができると言っても、この練習に付き合わされているのは座組の皆だ。
 僕だってドラマの撮影中に共演者がNGを連発してきたら集中力がとぎれてしまうこともあるだけに、相手の言うことには納得するしかなかった。

「疲れたときに、ただ練習をくりかえしたからってうまくなれるモンでもねぇからな。シンヤにはシンヤのペースがあるだろうし……」
 そう言って笑う雪之丞さんは、軽く僕のあたまをなでると、スタジオの隅にあるベンチのほうへと歩いていった。

 なんて余裕のある姿なんだろうか?
 この公演での僕はゲストとして、一座の看板役者である雪之丞さんとならび立つような存在にならなきゃいけないというのに、現時点ではまるでちがう。

 ならび立つどころか、僕はまだスタート地点にも立てていないんじゃないかって。
 どうしたって埋めようもない、残酷なまでの実力差を思い知らされる。

 ズキズキとして、胸が痛む。
 かつて、東城にたいして抱いていた思いに近いなにかが、ぼくの心を占めていく。

 実際のところ、サッと視線だけで周囲を見まわしてみるだけでも、たしかに休憩と言われたとたんにその場でくずれ落ちるように座り込んでいる人もいたし、これ以上の連続練習は厳しかったのだろうとは思う。
 なるほど、雪之丞さんの指摘は正しかったわけだ。

 言うなれば今の僕は自分の稽古で手いっぱいになってしまっていて、周囲にまで気を配れていなかった。
 けれど雪之丞さんは横で踊る僕を見ながらも、周囲の劇団員のメンバーの様子までしっかりと把握できていたなんて……!

 雪之丞さんは僕とおなじように集団の先頭に立って踊っているわけで、つまりは皆のほうには背中を向けているはずなのに、なんでわかるんだろう?
 そう思っていた矢先のことだ。

「まるで背中に目玉がついてるんじゃないか、いくつ目があるんだよって思うでしょ?」
「え……?」
 まさに自分が思っていたことを言い当てられ、びっくりして顔を上げる。

「あ、オレ百々瀬ももせユージっていうんだけど、ユージって呼んでくれよな!」
 そこにいたのは劇団員のひとりで、いかにも人懐っこそうな笑みをうかべた青年だった。
 年齢的には僕と変わらないか、なんならちょっとだけ年下にも見える。

 キュッと猫のようにつり上がった目と、八重歯が特徴的で、たぶん世間で言う『イケメン』の枠に入るのだろう。
 ひょっとしたら、月城座でも人気のある若手メンバーなのかもしれない。

「たしかに雪之丞さんはすごい視野が広いですよね、常に全体が見えてるんじゃないかって思うときがあります」
「だよな?!うちの若様、ときおりあまりにもいろんなことに気がつきすぎるわ、できるわで、人であることをやめてるんじゃないかって思うんだけどさ」
「なんですか、それ?」

 思わず吹き出してしまってから、あわててせきばらいでごまかす。
 でもほんの少し軽口をたたきあっただけなのに、ふしぎと心がほぐれていくのがわかった。

 目の前の彼は、たしかこの群舞でも雪之丞さんのすぐ後ろに位置していて、そして雪之丞さんと比べてもなんら遜色ない踊りを披露していたはずだ。
 実際、多少息は切れているにしても、ほかの劇団員たちよりも余裕がありそうにも見える。

「まぁなんつーか、今回の若様はいつにも増して厳しく感じるんだよなぁ……そりゃふだんからオレたち劇団員にやたらと厳しいのは変わらないけどさ」
「そうなんですか?」
 しみじみとしたふうに口にするユージさんに、思わず首をかしげる。

「おー、いつもだとさ、ほかの劇団から看板役者を呼んでも軽くしか稽古つけないし、ましてテレビに出ているようなタレントさんなんて振付師の先生まかせにしてほとんど自由に踊らせてるんだぜ?」
「そう、なんですか……」
「なんでだと思う?かんがえてみ?」

 ニヤニヤとこらえきれない笑みで口もとに弧を描いたユージさんに言われ、必死にかんがえをめぐらせる。
 これはいったい、どうかんがえたらいいんだろうか?

 まぁほかの劇団から招へいした看板役者さんなら、わざわざ厳しい稽古をつけるまでもなく基礎はできているのだろうし、なによりそのパフォーマンスで観客を沸かせられるのは言うまでもない。
 だから初心者の僕とちがって、厳しくする必要がないのはわかる。

 じゃあ、テレビに出ているタレントさんは?
 たぶんいくらこの演目はショー要素が強いと言っても、舞扇子をあつかうには日本舞踊の基礎をしっかり押さえていないといけないと思うのに。

「……そんな、口を出さずにいられないほど、僕の踊りはレベルが低いってことなんですかね?」
 別に悲観的になるつもりはなかったけれど、もうそれくらいしかかんがえられなかった。

「えぇっ!?なんでそうなるんだよ!?逆だよ、逆!めっちゃ期待してるんだよ?うちの若様ってば、女形ショーにしても舞踊ショーにしても、こんなにがっつり相舞踊あいぶようで組んだことなんてないんだってば」
「えーと……?」
 ユージさんに言われた言葉の意味をはかりかねて、動きは止まってしまう。

 相舞踊というのが、舞台の上でふたりきりで踊ることなのはわかる。
 でもそれがどういうことなのかと問われたら、とっさにわからなくなる。
 いや、わからないわけではないのだけど、そんなに都合の良いことがあるのかってうたがってしまうから。

 だってそれって───雪之丞さんにとって、って、そういうことなんじゃないかって。

「若様の女形ってさ、無茶苦茶キレイでさ、オレら大衆演劇の世界ではならび立つものもいないようなレベルの、圧倒的エースなわけ。だからこれまではどうしたって個人舞踊になってしまいがちだったんだけど、その若様が絶対に相舞踊をするってゆずらなかったのがあんたなんだ……この意味、わかるよな?」
 ユージさんの顔は笑っているようでいて、その実、ちっとも目は笑っていない。

 ずっと身近なところから雪之丞さんを見つづけてきたユージさんだからこそ、どうしてもその相方として選ばれなかったことにたいして思うところがあるのだろう。
 この瞬間、これまでフワッとした気持ちでしかなかったはずの覚悟は明確な形をもって、僕の肚のなかに座った。

 絶対に敵わない相手にたいする憧憬と、それとおなじかそれ以上に強い『超えたい』と思う気持ちは、僕にもおぼえがある。
 だからこそそれをにじませたユージさんの前で中途半端なことはできないと、あらためて気持ちを引き締めたのだった。
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