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39.舞台初日の緊張感と高揚感

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 雑誌の取材は、つつがなく終わった。
 たぶん誌面的にも、そこまで割くつもりはないものだろうし、なんなら撮った写真にしてもカラーページじゃなくてモノクロページになると思う。
 いわゆる『穴埋めコーナー』的なものとして使われるだけだろう。

 だから質問にしてもよくある内容だったし、今所属している事務所のモリプロでは、事前に『こんな質問が来たらこんな風にこたえてほしい』という指導もあったし、なんの問題もなかった。
 むしろあまりにもスムーズに終わって、予定よりも早かったくらいだ。
 ということで僕は後藤さんにお願いして、その分心配な舞台のほうへと早く向かうことにしたのだった。

 いよいよ今日は、お客さんを入れての初日を迎えることになる。
 あの舞台を見た人たちが、いったいどんな反応をするんだろうかとかんがえると、すごくドキドキする。
 だって、舞台というのはどれだけ役者やスタッフさんたちが練習をかさねてきたところで、客席にお客さんが入って、そしてその反応があってこそ完成するものだから。

 いくら練習中に好評な演出プランだとしても、それが必ずしもお客さんからも好評とはかぎらない。
 というか舞台に出る僕たちは、顔合わせのときにはじまり、もう飽きるほどにくりかえして練習してくるわけで、それがおもしろいのかどうかも、よくわからなくなってきてしまうこともあるんだ。
 なんていうか、演技のゲシュタルト崩壊、みたいな感じだろうか?

 あとは、僕にとっても今日という日が特別なのは、矢住やずみくんにとっての本格的な舞台デビューの日でもあるからだった。
 こんな僕のことを『師匠』と呼んで慕ってくれる彼を見ていると、どうにもデビューしたてのころの東城とうじょうを思い出すというか。
 教えたことを必死に飲み込んで、それを自分のものにしようとがんばる姿は、つい応援をしたくなってしまうんだ。

 でも、それにしても落ちつかない。
 僕がはじめて舞台に立った日のことを思い出しても、はたしてここまで緊張していただろうか?
 そんな疑問が浮かぶ。

 ……うん、まちがいなくそのときよりも緊張している。
 たぶんあれだ、師匠にとっての弟子というのは、常に心配する対象だからだな。
 そうかんがえたところで、ようやく腑に落ちた。

 これまでも東城をはじめとして、『恋愛ドラマの女王』と呼ばれる宮古みやこさんだとかその他もろもろの俳優さんたちの面倒を見てきたことはあったけど、なんとなく矢住くんは出だしのトゲトゲしさだとか、途中で不安に陥っていた姿を見ていたからなのか、ちょっと余計に心配な子になっていた。

 いやはや、それにしても緊張する。
 ……別に僕が舞台に出るわけではないのだけど。
 矢住くんの演じる悠之助という役のアンダーではあるけれど、アンサンブルですらなくて、今回は完全に裏方なのに。
 でも、幕があがってしまえば、本番中の舞台裏は戦場になる。

 たとえばメイクにしても、ある程度は汗に強いものを使っているとはいえ、舞台上は強力なスポットに照らされていて、想像以上に暑くなれば、当然汗をかいてくずれやすくなる。
 それに大立ちまわりを演じれば、しっかりセットしたはずのかつらだって、乱れてしまうこともある。
 それを舞台のそでにはけてきた瞬間に直し、次の場面へとつなげなくてはいけない。

 さらには今回のような殺陣たての多い舞台の場合、小道具として使う刀だって大切だ。
 常に腰に差しているわけではないし、場合によっては抜き身のまま持ち歩かなければいけないし、なにより舞台裏に置いておくとしても、自分のものとほかの人のものの見分けがつけにくいから、その管理は重要だった。

 あとは、どれだけ気をつけて使っていても、ハプニングで壊れてしまうことだってある。
 それをいかにすばやく直すか、もしくはさっと予備の小道具と差し替えられるかなんていう問題もある。
 こうしてあげてみても、裏方として働くスタッフさんのお仕事だけでも、時間とのたたかいであることがわかると思う。

 もちろん舞台上に立つ、いわゆる『表方』の俳優もいそがしい。
 なにしろ失敗しても撮りなおしの利くドラマとはちがって、舞台は一発本番のみだ。
 セリフを噛まないように、はける方向をまちがわないように、出トチることがないように。

 その合間にでも、きちんと水分補給をするのも忘れてはいけない。
 たとえ冬でも舞台上はライトの熱で暑く、衣装も早替えするための仕込みの重ね着をしていることもあって、気を抜けば脱水からくる体調不良になってしまう。
 気を使うべきことは、これでもかとあるわけだ。

 特に主演級になれば舞台上に出っぱなしで、セリフが多いとか殺陣も多いとか、いろいろ大変なことはあるけど、まだいい。
 比較的裏方さんたちも、つきっきりに近い状態で面倒を見てくれるからだ。
 でもそうではない人たちは、もっと大変だ。

 特にアンサンブルさんは、ひとりで何役もこなさなくてはいけないから、場面転換に合わせてはけては、衣装やかつら、メイクまでも変えていかなきゃならない。
 もちろん、そのたびに必要な小道具だって変わる。
 役としてはモブにすぎないからこそ、失敗してもだれも助けてはくれないわけだし。

 ……うん、こうしてあげてみても、めちゃくちゃ大変だよな。
 よく『いい舞台はアンサンブルの質が高い』なんて声を聴くけれど、本当にそれだと思う。
 アンサンブルの人こそ、なんていうプロフェッショナルな仕事を要求されているんだろうか?

 と、それはさておき。
 舞台上だけでなくその裏側もまた戦場だということを知っているからこそ、初舞台を踏む矢住くんのサポートをしてあげたいと思ったんだ。
 僕だって、決して舞台経験豊富と呼べるほどの歴はないかもしれないけれど、それでも少しは役に立てるはず。

 そう思って劇場に到着したというのに、完全に空気に吞まれてしまっていたのは、むしろ僕のほうだった。
 矢住くんは雪之丞ゆきのじょうさんを相手に、最後の確認をかねた殺陣の返しをしていて、いい笑顔を浮かべている。
 その顔には、みじんも緊張の色は見えなかった。

「あ、師匠おはようございます!」
「おー、シンヤも来たか」
「はい、おはようございます。遅くなりました」
 僕に気づいた矢住くんと雪之丞さんがあいさつしてくるのに、あわててかえす。

「今、月城つきしろさんに殺陣の最終稽古をつけてもらってたんです」
「なんたって人生に一度きりしかねぇ、ひよっこの初舞台の初日だからな。失敗させるわけにゃあいかねぇだろ!」
 そっか、雪之丞さんも僕とおなじように、矢住くんのこと気にしてたもんな。

「だからって、ボクに厳しすぎません、月城さん?」
「んなことねぇだろ、これも愛だぜ、愛」
「そんな愛とかいらないですぅ!」
 じゃれ合うような言い合いを楽しんでいる様子のふたりに、僕は首をかしげる。

「思ったよりも、矢住くんは緊張してなさそうだね」
「いや、緊張はしてはいるんですけど、ボクにとってこの貴重な初日、楽しめないようじゃ悠之助としてまだになれてない証拠だろって思いまして」
 だからこの緊張すらも楽しんでしまおうと思っているのだと、すっきりとした顔で言い切る矢住くんの発言は、まちがいなく悠之助らしかった。

「そっか、いいねそのかんがえ方。たしかにそれは、どんなスリルも楽しめてしまう『悠之助』って感じがする」
「えへへ、これ、月城さんの受け売りなんですけどね」
 やっぱり矢住くんは僕よりもはるかに心が強いな、なんて尊敬してしまいそうだ。
 ふだんは甘え上手な年下なのに、ときおりこうして男前な一面をのぞかせる。

「つーかシンヤこそ、硬てぇ表情しやがって、なにがそんなに心配なんでぃ?」
「いやあの……僕はダメですね、矢住くんの記念すべき初舞台の初日だと思ったら、なんだか変に緊張してきてしまって……おかしいですよね、本人より緊張してるなんて」
 稽古中に使用していた刀を肩にかついだ雪之丞さんに問われ、苦笑を浮かべてこたえる。

「師匠……っ!うれしいです!そこまでボクのこと気にかけてくださるなんて!やっぱり師匠の背中には、白い羽根が生えてると思うのは、ボクだけじゃないですよね?!」
「え?」
 また矢住くんが変なことを言い出した。
 たしか前にも、そんなこと言ってなかったっけ?

「あー、なんつーか今朝はいつにも増して、キラキラしてる感じするしな」
「ですよね!やっぱりそれって……」
「あぁ、まちがいねぇと思うぜ?大スター様からの、昨日のあの牽制を思うとな」
「うぅっ、憧れの方々のしあわせを祝えばいいんでしょうけど、個人的には複雑ですぅ!」

 僕を置き去りにしたまま、ふたりは楽しそうに盛りあがっている。
 なんの話をしているのかは、ひそひそと声をひそめて会話をしていたから、よくわからなかったけど。
 でもなんとなく、ふたりの距離がいつもよりも近いような気がするのは、気のせいだろうか?

「えぇと…?」
「あー、なんでもねぇから、気にすんねぃ」
 若干とまどいがちに声をかければ、ハッとしたようにふたりは顔を上げ、あわててごまかすように笑った。

「あの、なんか隠してませんか?」
「いやいや、そんなことは……」
「さて、最後の仕上げといこうか!」
 思わずかさねて問いかけようとしたところで、岸本監督がやってきて全体ミーティングの号令がかかる。

「さ、時間だ時間!」
 雪之丞さんに背中を押され、いまいちスッキリしないままに、その場はうやむやに流されたのだった。


     * * *


 開演の予鈴が鳴ると、いよいよ本番の5分前となる。
 チラリと舞台の袖からのぞき見た客席は、そこそこ埋まっている。
 豪華なメンバーを取りそろえ、テレビ局の開局記念と銘打たれたこの舞台は、初日からなかなかの客入りだった。

「よし、それじゃ皆で円陣を組もう!」
 この座組の座長である相田あいださんの呼びかけで、演者もスタッフも入り乱れて円陣を組む。
 皆の顔は、やはりどこか緊張感のある面持ちで、いよいよ迎える開演時間を前に真剣そのものだった。

「これまでの長い稽古期間、皆さまざまな苦労をしてきたと思う。それをようやく披露する日がやってきました。僕は客席が埋まって、はじめてこの舞台は完成すると思っています。前売時点でチケットはほぼ売り切れ、客入りも上々です!悔いのないよう、事故なく怪我なく、全力でぶちかましてやりましょう!」
「「「おう!!!」」」」

 相田さんのひとことで、皆の士気は高まり、やる気も十分となったところで客電が落ち、劇場内は暗闇に閉ざされる。
 それまでのざわめきがウソのように静まりかえる客席に、僕の胸も高鳴る。

 あぁ、いよいよだ!
 期待と不安と、高揚感と。
 そのなんとも言えないくすぐったさのようなものに、僕は汗でひんやりする手をにぎりしめたのだった。
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