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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~51
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王女は考えつつ話しているようだ。
「旦那さまもご存じのように、私は日陰の王女と呼ばれていたほどです。確かに中殿さまに睨まれていたというのもありますけど、それだけではありません。私自身も誰かにやって貰うより、自分でやる方が気楽なので」
「そんなものかな」
チュソン自身も着替えは自分でやるが、やはり身辺の雑用などはチョンドクに任せることが多い。
「余計な気を遣わなくて済みますから」
納得できるようでできない応えではあったが、そこは深くは追及しないでおいた。
だが、婚礼化粧でさえすべて自前だというのはすばらしい。チュソンは感嘆の口調で言った。
「婚礼の化粧までやってのけるというのは、流石に凄いな。着付けもまさか自分でやったとまでは言わないだろうね」
また笑いを含んだ声が返ってきた。
「婚礼衣装の着付けは一人では無理ですね。あんな重たいものを着るのはもう二度とご免です」
チュソンは弾んだ声で言った。
「あなたはもう私の妻になったのだから、あれを着ることは二度とないでしょう、安心して」
一瞬、何とも気まずい沈黙が落ちた。しまったと思ったときにはもう遅かった。
彼は慌ててまた次の科白を繰り出す。
「化粧のことは男の私にはよく判らないが、とにかく自分でやるというのは凄いと思う」
また躊躇いを見せ、彼女が言った。
「私の夢は化粧師になることだったと言えば、旦那さまはどのように思われますか?」
チュソンは眼をまたたかせた。
「化粧師? 女のひとに化粧をしてあげる仕事?」
王女が勢い込んだ口調で言った。
「そう。例えば今日のように婚礼の主役の花嫁に化粧をしてあげたりするんです。王宮で暮らしていた頃は、実は乳母やミリョンの化粧をしてあげたこともあったんですよ」
どこか得意げな口調が普段は大人びた彼女を別人のように見せている。抱きしめたいほど可愛い。
もっとも、胸の内を彼女に知られれば余計に怯えられるだけなので、チュソンはおくびにも出さなかった。
チュソンとて、化粧師を生業とする者がいるのは知っている。ただ化粧師にせよ、何にせよ、職人の地位は朝鮮ではけして高くはなく、賤しい身分とみなされるのも現実である。
王族女性が仕事を持つなどは、もってのほかと見なされるのだ。王女が化粧師になりたいと言うのはけして歓迎されはしなかっただろう。
彼が応えないので、王女の声が心なしか沈んだ。
「やっぱり呆れますよね。国王の娘の癖に、化粧師になりたいだなんて。旦那さまも私を常識知らずの我が儘王女だと思ったでしょう」
チュソンは慎重に考えつつ応えた。
「いいや、そんなことはないよ」
王女がハッとするのが判った。いつしか、彼女も天井ではなくチュソンを見つめていた。
彼女が何かを恐れるように訊ねた。
「何故ですか?」
チュソンは思案げに言った。
「人には生まれながらに自分の思うように生きる権利がある。もちろん、そのために他の誰かに迷惑をかけてはならない。でも、それ以外なら、何でもありだと私は考えている。両班に生まれたとしても、すべてが官吏に向いているとは限らないし、逆に民の中にも頭の良い者はいるから、ちゃんとした教育さえ受けられれば科挙に合格もできるだろう」
突如として、ガバと彼女が身を起こす。チュソンは呆気に取られた。
王女が明るい声で言った。
「そう、それなんですよ」
嬉々とした表情は先刻までの淀んだものとは別人のようである。蒼白かった頬には赤みが差し、虚ろな瞳は生き生きと煌めいていた。
「私が化粧師になりたいと言ったら、乳母は哀しそうな表情でした。そんなことを口にしてはなりませんと厳しく注意されたんです」
乳母は王女のために良かれと言ったのだ。でなくとも王妃に睨まれている王女が化粧師になりたいなどと言えば、馬鹿扱いされるのが良いところだ。
「乳母はあなたのことを思って諫めたのだろうね」
王女も頷いた。
「判っています。王の娘が手に職を持つなんて、誰が聞いてもあり得ないことだと言うでしょうね」
「そうだな。哀しいことだけど、今の朝鮮では、あなたの言う通りだろう」
「旦那さまもご存じのように、私は日陰の王女と呼ばれていたほどです。確かに中殿さまに睨まれていたというのもありますけど、それだけではありません。私自身も誰かにやって貰うより、自分でやる方が気楽なので」
「そんなものかな」
チュソン自身も着替えは自分でやるが、やはり身辺の雑用などはチョンドクに任せることが多い。
「余計な気を遣わなくて済みますから」
納得できるようでできない応えではあったが、そこは深くは追及しないでおいた。
だが、婚礼化粧でさえすべて自前だというのはすばらしい。チュソンは感嘆の口調で言った。
「婚礼の化粧までやってのけるというのは、流石に凄いな。着付けもまさか自分でやったとまでは言わないだろうね」
また笑いを含んだ声が返ってきた。
「婚礼衣装の着付けは一人では無理ですね。あんな重たいものを着るのはもう二度とご免です」
チュソンは弾んだ声で言った。
「あなたはもう私の妻になったのだから、あれを着ることは二度とないでしょう、安心して」
一瞬、何とも気まずい沈黙が落ちた。しまったと思ったときにはもう遅かった。
彼は慌ててまた次の科白を繰り出す。
「化粧のことは男の私にはよく判らないが、とにかく自分でやるというのは凄いと思う」
また躊躇いを見せ、彼女が言った。
「私の夢は化粧師になることだったと言えば、旦那さまはどのように思われますか?」
チュソンは眼をまたたかせた。
「化粧師? 女のひとに化粧をしてあげる仕事?」
王女が勢い込んだ口調で言った。
「そう。例えば今日のように婚礼の主役の花嫁に化粧をしてあげたりするんです。王宮で暮らしていた頃は、実は乳母やミリョンの化粧をしてあげたこともあったんですよ」
どこか得意げな口調が普段は大人びた彼女を別人のように見せている。抱きしめたいほど可愛い。
もっとも、胸の内を彼女に知られれば余計に怯えられるだけなので、チュソンはおくびにも出さなかった。
チュソンとて、化粧師を生業とする者がいるのは知っている。ただ化粧師にせよ、何にせよ、職人の地位は朝鮮ではけして高くはなく、賤しい身分とみなされるのも現実である。
王族女性が仕事を持つなどは、もってのほかと見なされるのだ。王女が化粧師になりたいと言うのはけして歓迎されはしなかっただろう。
彼が応えないので、王女の声が心なしか沈んだ。
「やっぱり呆れますよね。国王の娘の癖に、化粧師になりたいだなんて。旦那さまも私を常識知らずの我が儘王女だと思ったでしょう」
チュソンは慎重に考えつつ応えた。
「いいや、そんなことはないよ」
王女がハッとするのが判った。いつしか、彼女も天井ではなくチュソンを見つめていた。
彼女が何かを恐れるように訊ねた。
「何故ですか?」
チュソンは思案げに言った。
「人には生まれながらに自分の思うように生きる権利がある。もちろん、そのために他の誰かに迷惑をかけてはならない。でも、それ以外なら、何でもありだと私は考えている。両班に生まれたとしても、すべてが官吏に向いているとは限らないし、逆に民の中にも頭の良い者はいるから、ちゃんとした教育さえ受けられれば科挙に合格もできるだろう」
突如として、ガバと彼女が身を起こす。チュソンは呆気に取られた。
王女が明るい声で言った。
「そう、それなんですよ」
嬉々とした表情は先刻までの淀んだものとは別人のようである。蒼白かった頬には赤みが差し、虚ろな瞳は生き生きと煌めいていた。
「私が化粧師になりたいと言ったら、乳母は哀しそうな表情でした。そんなことを口にしてはなりませんと厳しく注意されたんです」
乳母は王女のために良かれと言ったのだ。でなくとも王妃に睨まれている王女が化粧師になりたいなどと言えば、馬鹿扱いされるのが良いところだ。
「乳母はあなたのことを思って諫めたのだろうね」
王女も頷いた。
「判っています。王の娘が手に職を持つなんて、誰が聞いてもあり得ないことだと言うでしょうね」
「そうだな。哀しいことだけど、今の朝鮮では、あなたの言う通りだろう」
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