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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㊿
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どこまでも澄んだ黒い瞳は星がきらめく夜空のようだ。見つめていると吸い込まれるようで、また自制がきかなくなりそうだ。
彼は急いで彼女から視線を背けた。
「私が泣かせてしまったのですね」
応えはなかった。チュソンは手を伸ばして、そっと彼女を抱き寄せた。刹那、彼女がピクリと身を震わせたのが判り、余計に自己嫌悪に陥った。
彼女は怯えている。当たり前だが、怯えている原因は自分だ。
「少しだけ、このままでいさせて」
彼女を腕に抱き、チュソンは低い声で囁いた。
「あなたを心から愛しています。一生をかけて守りたい。もう二度と大切な女(ひと)を哀しませたりはしませんから、安心して」
腕に閉じ込めた彼女がかすかに頷くのが判り、チュソンは名残惜しい気持ちで手を離した。
その後、二人は二つ並んだ夜具に行儀良く収まった。気持ちが高ぶっているせいか、眠りはいっかな訪れない。
チュソンは、ひたすら天井ばかりを見ていた。いかほど経過したのだろうか。
枕許の蝋燭の減り具合からも、さほどの時間は経っていないだろうと判る頃、ついにチュソンは沈黙に耐えきれなくなった。
ただ、王女は既に眠りに落ちている可能性もある。そのため、低めた声で問いかけた。
「もう眠りましたか?」
返事はない。やはり、もう眠ったのだ。無理はなかった。もう日付は変わっているけれども昨日から今日にかけては、互いに大変な一日だった。彼女も疲れたろう。
チュソンは諦めてまた天井を凝視したーその時。
「いいえ」
と、消え入りそうな声が返ってきた。チュソンは身体を横向きにし、彼女の方を向いた。
彼女は仰向いたままだ。
チュソンは話題に困った。話したいことはたくさんあるのに、何を話して良いか判らない。なので、思いついたことを口に乗せた。
「紅(べに)の色、とても良い色だった」
「ー」
彼女は沈黙している。一瞬、これはまた触れてはならない話題に触れたかと焦った。
今夜、チュソンが暴走して彼女を奪いかけたそもそものきっかけは、彼女の妖しいまでに蠱惑的な唇のせいだったのだ。やはり、話題に出すべきではなかったかもしれない。
チュソンは慌てて言った。
「失礼な話題だったかな」
「ーいいえ」
今度は割と早く返事が来たので、ホッとする。
「あの紅の色は自分で選びました」
意外にも彼女が話に乗ってきた。嬉しくなり、チュソンも応じた。
「そうなのか?」
少し躊躇う素振りがあり、王女がひと息に言った。
「紅も自分で塗りました」
素直に愕いた。両班家の娘でも普通、化粧は自分ではしない。お付きの侍女がするものだ。王さまの娘は女官がやるのだと信じ込んでいた。
「自分でやったのか?」
愕きが声に出ていたのだろう、彼女が笑みを含んだ声で言う。
「紅だけではありません、白粉も塗りましたし、頬紅も眼許の化粧も自分でやりましたよ」
「では、すべて自分でやったということかな?」
「そうともいいますね」
「そいつは凄い」
チュソンの物言いがおかしかったのか、彼女は笑っている。
「婚礼の化粧も自分でやりました」
思わず子どもみたいに大声を上げてしまった。
「ええっ」
王女はもうクスクスと声を立てて笑っている。
「そんなに愕くようなことでしょうか」
問われ、チュソンは正直に応えた。
「その、何というか、高貴な女人というのは化粧に限らず何でもお付きの者にやって貰うのが当たり前なんだと思っていたからね」
王女はサラリと言う。
「私は物心ついたときから、何でも自分でやってきました。もちろん、乳母やミリョンが手伝ってくれることもありましたけど、基本的に自分のことは自分でやるのが当たり前でしたね」
「それは何故なんだろう? あなたが暮らす殿舎は人手不足だったのか?」
後ろ盾となる外戚もなく、生母も早くに失った彼女は表向きだとはいえ父王に冷遇され、王妃には疎んじられていた。その関係で、彼女に仕える女官も数少なかったのだろうと想像したのだ。
彼は急いで彼女から視線を背けた。
「私が泣かせてしまったのですね」
応えはなかった。チュソンは手を伸ばして、そっと彼女を抱き寄せた。刹那、彼女がピクリと身を震わせたのが判り、余計に自己嫌悪に陥った。
彼女は怯えている。当たり前だが、怯えている原因は自分だ。
「少しだけ、このままでいさせて」
彼女を腕に抱き、チュソンは低い声で囁いた。
「あなたを心から愛しています。一生をかけて守りたい。もう二度と大切な女(ひと)を哀しませたりはしませんから、安心して」
腕に閉じ込めた彼女がかすかに頷くのが判り、チュソンは名残惜しい気持ちで手を離した。
その後、二人は二つ並んだ夜具に行儀良く収まった。気持ちが高ぶっているせいか、眠りはいっかな訪れない。
チュソンは、ひたすら天井ばかりを見ていた。いかほど経過したのだろうか。
枕許の蝋燭の減り具合からも、さほどの時間は経っていないだろうと判る頃、ついにチュソンは沈黙に耐えきれなくなった。
ただ、王女は既に眠りに落ちている可能性もある。そのため、低めた声で問いかけた。
「もう眠りましたか?」
返事はない。やはり、もう眠ったのだ。無理はなかった。もう日付は変わっているけれども昨日から今日にかけては、互いに大変な一日だった。彼女も疲れたろう。
チュソンは諦めてまた天井を凝視したーその時。
「いいえ」
と、消え入りそうな声が返ってきた。チュソンは身体を横向きにし、彼女の方を向いた。
彼女は仰向いたままだ。
チュソンは話題に困った。話したいことはたくさんあるのに、何を話して良いか判らない。なので、思いついたことを口に乗せた。
「紅(べに)の色、とても良い色だった」
「ー」
彼女は沈黙している。一瞬、これはまた触れてはならない話題に触れたかと焦った。
今夜、チュソンが暴走して彼女を奪いかけたそもそものきっかけは、彼女の妖しいまでに蠱惑的な唇のせいだったのだ。やはり、話題に出すべきではなかったかもしれない。
チュソンは慌てて言った。
「失礼な話題だったかな」
「ーいいえ」
今度は割と早く返事が来たので、ホッとする。
「あの紅の色は自分で選びました」
意外にも彼女が話に乗ってきた。嬉しくなり、チュソンも応じた。
「そうなのか?」
少し躊躇う素振りがあり、王女がひと息に言った。
「紅も自分で塗りました」
素直に愕いた。両班家の娘でも普通、化粧は自分ではしない。お付きの侍女がするものだ。王さまの娘は女官がやるのだと信じ込んでいた。
「自分でやったのか?」
愕きが声に出ていたのだろう、彼女が笑みを含んだ声で言う。
「紅だけではありません、白粉も塗りましたし、頬紅も眼許の化粧も自分でやりましたよ」
「では、すべて自分でやったということかな?」
「そうともいいますね」
「そいつは凄い」
チュソンの物言いがおかしかったのか、彼女は笑っている。
「婚礼の化粧も自分でやりました」
思わず子どもみたいに大声を上げてしまった。
「ええっ」
王女はもうクスクスと声を立てて笑っている。
「そんなに愕くようなことでしょうか」
問われ、チュソンは正直に応えた。
「その、何というか、高貴な女人というのは化粧に限らず何でもお付きの者にやって貰うのが当たり前なんだと思っていたからね」
王女はサラリと言う。
「私は物心ついたときから、何でも自分でやってきました。もちろん、乳母やミリョンが手伝ってくれることもありましたけど、基本的に自分のことは自分でやるのが当たり前でしたね」
「それは何故なんだろう? あなたが暮らす殿舎は人手不足だったのか?」
後ろ盾となる外戚もなく、生母も早くに失った彼女は表向きだとはいえ父王に冷遇され、王妃には疎んじられていた。その関係で、彼女に仕える女官も数少なかったのだろうと想像したのだ。
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