22 / 68
裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㉒
しおりを挟む
それはさておき、チュソンを今の状態で捨て置くことはできない。王女を嫁に迎えるのは、確かに栄誉ではある。しかし、格上の家から嫁を取るのは、気詰まりなことこの上ないのも確かだ。
子どもだと思っていた息子も気がつけばはや十八、自分が十七歳でヨンオクと結婚したのを思えば、遅すぎるくらいだ。科挙に合格し、吏曹正郎として任官も果たした。加えて、名門羅氏という箔があれば、息子の出世は約束されたようなものだ。
だが、王女が降嫁すれば、息子の将来は閉ざされる。名ばかりの名誉職を与えられ、一生、政治に拘わることなく過ごさねばならない。あれほどの才覚と能力を持つ息子なのに、あまりに勿体なく口惜しい。
それでも、彼は息子の出世と生命を引き替えにする気はなかった。両天秤にかければ、どちらに傾くかは明らかだ。
ここは無念ではあれども、息子の健康と生命を優先し、親の方が譲ろうと腹を決めた。もちろん、妻に話せば半狂乱になって止めるのは判り切っている。だから、ヨンオクには事が成就するまで話すつもりはなかった。
中宮殿の壮麗な建物が見えてくると、ジョンハクは更に気を引き締めた。彼にとって、王妃は姉に当たる。ただし、父親は同じで、母は違う異母姉だ。
ジョンハクは物心ついた時分から、この異母姉が苦手だった。十人を超える兄弟姉妹の中、王妃は一番上であり、ジョンハクは末子だから、歳は十三の開きがある。王妃が入内したのはジョンハクが生まれる前だから、共に過ごした時間というものはない。
たまに王妃が里帰りしたり、ジョンハク自身が父に連れられて参内し訪ねた時、王妃の美しい面にはいかにも優しげな微笑が浮かんでいる。
しかし、微笑みが見かけだけのものであるのを何より彼は知っていた。王妃が冷淡なのは、腹違いであるというだけが理由ではなかった。父ー領議政の最初の奥方は、上流両班の息女である。羅氏に引けを取らぬ名家の出なのだ。
不幸にも最初の夫人は三十歳という若さで亡くなった。王妃が入内して家を出て、わずか二年後のことだ。夫人が体調を崩して寝込んだのは亡くなる一年ほど前だが、既にその時、後妻となったジョンハクの母は妊娠していた。
つまり、父は妻が病に倒れた頃、母と関係を持っていたのだ。二人が知り合ったのは本当に偶然であったという。下町の露店で美しい絹の刺繍靴を見ていた母を父が見初めたのだ。
相手が下女ならともかく、母は曲がりなりにも両班の娘であった。もちろん、羅氏にははるかに及ばない中流ではあったが。父は既婚者でありながら、まだ十七歳だった母を誘惑し、身籠もらせた。
父は奥方が寝付いているのを良いことに、しばしば屋敷を抜け出し、母と逢瀬を重ねていた。やがて母は懐妊、お腹がかなり目立つようになった頃、奥方はついに亡くなった。
父は身重の母を捨て置けず、前妻の喪も明けない前から母を継室に迎え入れた。ジョンハクが生まれたのは父と母が婚儀を挙げて三ヶ月後だった。
他人には早産であると苦しい言い訳をしたものの、ひと月程度ならともかく、数ヶ月もごまかしきれるはずがない。世間では
ー前(さき)の奥方さまがまだ病で苦しんでおられる時、羅氏の旦那さまは若い娘と楽しんでいたのだ。
と、相当悪く言われたらしい。けれども、その噂はすべて事実であった。
ジョンハクが生まれた背景には、このような経緯があった。
もし立場が変わっていたとしたらー。多分、ジョンハクだとて相手の女を恨んだだろう。糟糠の妻が病で苦しんでいる最中、若い女に目移りし、あまつさえ妊娠させた。ジョンハクが王妃だったとしても、父を許せないと思ったに相違ない。
悪いのは父であり、王妃にも亡くなった前夫人にも罪はない。また、父が既婚者と知りつつ、関係を持ち続けた母の貞操観念も残念ながら疑わしいものだ。
王妃が自分に向ける侮蔑の視線の中には、身持ちの悪い母を持つ息子という意味合いもあるはずだ。その母も数年前には亡くなった。
領議政である父は今、七十五歳だ。ここ最近は新しい側妾を迎えたという話は流石に聞かないが、母が亡くなるくらいまでは艶めいた話には事欠かなかった。
ジョンハクには側室はいない。妻のヨンオクを愛しく思っているのもあるし、両親のさんざんな醜聞を見聞きしたことで、女遊びの罪深さを間接的に知りすぎたというのもある。幸いにも、一人息子は幼いときから神童と呼ばれる出来の良い子だ。しかも、家門を継ぐべき男子に恵まれた。
これ以上、子を持つ気がないなら、側室など無用だ。良くも悪くも、父が派手な女関係を披瀝することで、ジョンハクに与えた影響は大きすぎたといえよう。
中宮殿に到着するや、ジョンハクは扉前にいる女官におとないを告げた。女官が中に入り、ほどなく尚宮が慌ててやってくる。
「これは兵判大監」
尚宮は王妃の弟に対して、丁重に頭を下げた。ジョンハクは鷹揚に言った。
「中殿さまにお取り次ぎしてくれ」
「畏まりました」
尚宮はふくよかな身体を揺するようにして、また殿舎にとって返す。
またすぐに両開きの扉が開き、尚宮が言った。
「こちらへどうぞ」
彼は尚宮に導かれ殿舎に入った。艶のある廊下を経て控えの間に至る。控えの間では扉越しに尚宮が伺いを立てた。
子どもだと思っていた息子も気がつけばはや十八、自分が十七歳でヨンオクと結婚したのを思えば、遅すぎるくらいだ。科挙に合格し、吏曹正郎として任官も果たした。加えて、名門羅氏という箔があれば、息子の出世は約束されたようなものだ。
だが、王女が降嫁すれば、息子の将来は閉ざされる。名ばかりの名誉職を与えられ、一生、政治に拘わることなく過ごさねばならない。あれほどの才覚と能力を持つ息子なのに、あまりに勿体なく口惜しい。
それでも、彼は息子の出世と生命を引き替えにする気はなかった。両天秤にかければ、どちらに傾くかは明らかだ。
ここは無念ではあれども、息子の健康と生命を優先し、親の方が譲ろうと腹を決めた。もちろん、妻に話せば半狂乱になって止めるのは判り切っている。だから、ヨンオクには事が成就するまで話すつもりはなかった。
中宮殿の壮麗な建物が見えてくると、ジョンハクは更に気を引き締めた。彼にとって、王妃は姉に当たる。ただし、父親は同じで、母は違う異母姉だ。
ジョンハクは物心ついた時分から、この異母姉が苦手だった。十人を超える兄弟姉妹の中、王妃は一番上であり、ジョンハクは末子だから、歳は十三の開きがある。王妃が入内したのはジョンハクが生まれる前だから、共に過ごした時間というものはない。
たまに王妃が里帰りしたり、ジョンハク自身が父に連れられて参内し訪ねた時、王妃の美しい面にはいかにも優しげな微笑が浮かんでいる。
しかし、微笑みが見かけだけのものであるのを何より彼は知っていた。王妃が冷淡なのは、腹違いであるというだけが理由ではなかった。父ー領議政の最初の奥方は、上流両班の息女である。羅氏に引けを取らぬ名家の出なのだ。
不幸にも最初の夫人は三十歳という若さで亡くなった。王妃が入内して家を出て、わずか二年後のことだ。夫人が体調を崩して寝込んだのは亡くなる一年ほど前だが、既にその時、後妻となったジョンハクの母は妊娠していた。
つまり、父は妻が病に倒れた頃、母と関係を持っていたのだ。二人が知り合ったのは本当に偶然であったという。下町の露店で美しい絹の刺繍靴を見ていた母を父が見初めたのだ。
相手が下女ならともかく、母は曲がりなりにも両班の娘であった。もちろん、羅氏にははるかに及ばない中流ではあったが。父は既婚者でありながら、まだ十七歳だった母を誘惑し、身籠もらせた。
父は奥方が寝付いているのを良いことに、しばしば屋敷を抜け出し、母と逢瀬を重ねていた。やがて母は懐妊、お腹がかなり目立つようになった頃、奥方はついに亡くなった。
父は身重の母を捨て置けず、前妻の喪も明けない前から母を継室に迎え入れた。ジョンハクが生まれたのは父と母が婚儀を挙げて三ヶ月後だった。
他人には早産であると苦しい言い訳をしたものの、ひと月程度ならともかく、数ヶ月もごまかしきれるはずがない。世間では
ー前(さき)の奥方さまがまだ病で苦しんでおられる時、羅氏の旦那さまは若い娘と楽しんでいたのだ。
と、相当悪く言われたらしい。けれども、その噂はすべて事実であった。
ジョンハクが生まれた背景には、このような経緯があった。
もし立場が変わっていたとしたらー。多分、ジョンハクだとて相手の女を恨んだだろう。糟糠の妻が病で苦しんでいる最中、若い女に目移りし、あまつさえ妊娠させた。ジョンハクが王妃だったとしても、父を許せないと思ったに相違ない。
悪いのは父であり、王妃にも亡くなった前夫人にも罪はない。また、父が既婚者と知りつつ、関係を持ち続けた母の貞操観念も残念ながら疑わしいものだ。
王妃が自分に向ける侮蔑の視線の中には、身持ちの悪い母を持つ息子という意味合いもあるはずだ。その母も数年前には亡くなった。
領議政である父は今、七十五歳だ。ここ最近は新しい側妾を迎えたという話は流石に聞かないが、母が亡くなるくらいまでは艶めいた話には事欠かなかった。
ジョンハクには側室はいない。妻のヨンオクを愛しく思っているのもあるし、両親のさんざんな醜聞を見聞きしたことで、女遊びの罪深さを間接的に知りすぎたというのもある。幸いにも、一人息子は幼いときから神童と呼ばれる出来の良い子だ。しかも、家門を継ぐべき男子に恵まれた。
これ以上、子を持つ気がないなら、側室など無用だ。良くも悪くも、父が派手な女関係を披瀝することで、ジョンハクに与えた影響は大きすぎたといえよう。
中宮殿に到着するや、ジョンハクは扉前にいる女官におとないを告げた。女官が中に入り、ほどなく尚宮が慌ててやってくる。
「これは兵判大監」
尚宮は王妃の弟に対して、丁重に頭を下げた。ジョンハクは鷹揚に言った。
「中殿さまにお取り次ぎしてくれ」
「畏まりました」
尚宮はふくよかな身体を揺するようにして、また殿舎にとって返す。
またすぐに両開きの扉が開き、尚宮が言った。
「こちらへどうぞ」
彼は尚宮に導かれ殿舎に入った。艶のある廊下を経て控えの間に至る。控えの間では扉越しに尚宮が伺いを立てた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
牛獣人の僕のお乳で育った子達が僕のお乳が忘れられないと迫ってきます!!
ほじにほじほじ
BL
牛獣人のモノアの一族は代々牛乳売りの仕事を生業としてきた。
牛乳には2種類ある、家畜の牛から出る牛乳と牛獣人から出る牛乳だ。
牛獣人の女性は一定の年齢になると自らの意思てお乳を出すことが出来る。
そして、僕たち家族普段は家畜の牛の牛乳を売っているが母と姉達の牛乳は濃厚で喉越しや舌触りが良いお貴族様に高値で売っていた。
ある日僕たち一家を呼んだお貴族様のご子息様がお乳を呑まないと相談を受けたのが全ての始まりー
母や姉達の牛乳を詰めた哺乳瓶を与えてみても、母や姉達のお乳を直接与えてみても飲んでくれない赤子。
そんな時ふと赤子と目が合うと僕を見て何かを訴えてくるー
「え?僕のお乳が飲みたいの?」
「僕はまだ子供でしかも男だからでないよ。」
「え?何言ってるの姉さん達!僕のお乳に牛乳を垂らして飲ませてみろだなんて!そんなの上手くいくわけ…え、飲んでるよ?え?」
そんなこんなで、お乳を呑まない赤子が飲んだ噂は広がり他のお貴族様達にもうちの子がお乳を飲んでくれないの!と言う相談を受けて、他のほとんどの子は母や姉達のお乳で飲んでくれる子だったけど何故か数人には僕のお乳がお気に召したようでー
昔お乳をあたえた子達が僕のお乳が忘れられないと迫ってきます!!
「僕はお乳を貸しただけで牛乳は母さんと姉さん達のなのに!どうしてこうなった!?」
*
総受けで、固定カプを決めるかはまだまだ不明です。
いいね♡やお気に入り登録☆をしてくださいますと励みになります(><)
誤字脱字、言葉使いが変な所がありましたら脳内変換して頂けますと幸いです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました
彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。
姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。
お兄ちゃんができた!!
くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。
お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。
「悠くんはえらい子だね。」
「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」
「ふふ、かわいいね。」
律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡
「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」
ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる