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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㉑
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夜、布団に入っても天井に王女の笑顔が映るくらいだから、これはもう重傷だ。世の人は、このような状態を〝恋煩い〟と呼ぶらしい。
この頃、若さまがあまり食事を召し上がらないと聞きつけ、母は心配して松の実粥を手ずから作って運んでくれるも、やはり喉を通らない。粥を食べようとすれば、粥にも王女の顔が浮かぶとは、我ながらこれはもう女に惚(ほう)けているとしか言いようがないではないか。
どうやら、母はまだ息子の食欲不振について父には報告していないようだ。
どうすれば王女に想いを伝えられるか、思案を巡らせても名案は浮かばない。面妖なことだ。科挙に備えての勉学の中には、恋の成就のためのすべは何一つ書かれていなかった。当たり前といえば当たり前だけれど、手がかりになりそうなことすら見当たらない。
漸く思い浮かんだのは恋文を書くくらいのものだが、それとて、どうやって王女に届ければ良いのか判らない。金を使って女官か内官に託して渡して貰うという手段がないわけではない。恋文を渡したは良いが、もし返事がなかったらおしまいだ。
ーなどと、あれこれと考え過ぎてしまい、余計に何もできなくなってしまう。チュソンは打ちひしがれ、自室に戻った。本を開く気力もなく、ゴロンと横になっている中に睡眠不足が祟ってか、いつしか浅い微睡みに落ちていた。
短い夢の中で、彼は想い人と並んで歩いていた。どこなのか判らないが、白藤が咲き匂う藤棚の下を二人で談笑しながら歩いている。
不思議だ、白藤が好きだと語ったのはジアンなのに、チュソンが並んで歩いているのは央明翁主であった。恋い焦がれた女性が一度に二人も夢に現れたようで、それはそれで悪くはなかった。
チュソンは眠りながら、涙を流していた。幸せな夢のはずなのに、何故、自分が涙するのか、チュソン自身にも判らなかった。
恋という病
チュソンが夢で想い人と束の間の逢瀬を交わしていた頃、ナ・ジョンハクは宮殿内にいた。彼が目指すのは、中宮殿である。
ジョンハクは屋敷を出る間際に見た倅の顔を思い出していた。何と憔悴した様子であったことか。生き生きと理知の光に満ちていた双眸は光を失い、表情もどこか虚ろだ。
このままでは、息子はむざと寿命を縮めてしまうかもしれない。ジョンハクは危機感を強めていた。
ー央明翁主さまを妻に欲しいのです。
息子が爆弾発言をしたのは、十日余り前だ。寄りにも寄って、当代国王の娘を見初めたのだと言い切った。
妻のヨンオクはこの婚姻には猛反対している。むろんジョンハク自身も賛成にはおよそ遠い気持ちだ。だが、息子はどうやら本気で王女に入れあげているようだ。
最近の息子は吏曹で粗相をしでかすことはなくなったらしいが、その代わり、半ば廃人のような体だ。先ほど訊ねたときには食事も取っていると応えたけれど、あのやつれようでは、満足に食べてはおるまい。
このまま手をこまねいていては、自分たちは大切な息子を失うだろう。ジョンハクにとって、一人息子のチュソンは掌中の玉であった。娘ではなく息子だから、あからさまに愛情を示すことはないが、あの子が跡取りたる男児で本当に良かったのだ。
ヨンオクはチュソンを生んだときに難産すぎて、二度と子どもは望めない。妊娠はできるが、次に出産すれば生命の保証はないと医者に言われていた。
事実上、自分たちは二度と子が持てなくなった。だから、たった一人授かった子が男児で幸いだった。また、科挙に最年少で首席合格するほどの天才が男児であったのも良かった。女児であれば、それほどの才覚を持っていても、みすみす宝の持ち腐れだ。むしろ、嫁ぐ邪魔にはなりこそすれ、女性として幸せにはなれなかっただろう。
妻に望む女は愚かでは困るが、あまりに才走っても困る。妻が自分より利口であることを歓ぶ男はおるまい。
ヨンオクはヨンオクで、一人息子のチュソンをあからさまに溺愛している。チュソンが慕う女性がいると打ち明けたあの夜も、過剰なほど反応していた。
妻のあの激高ぶりを見て、これはチュソンが正真正銘の嫁取りをすれば先が思いやられるとジョンハクは暗澹とした気持ちになったものだ。息子可愛さに嫁いびりをする姑の話は枚挙に暇が無い。
よもや、我が家でも嫁いびりが起こるとは、ジョンハクは想像さえしたことがなかった。
できる限り、今はそのようなことにならないのを願うしかない。
この頃、若さまがあまり食事を召し上がらないと聞きつけ、母は心配して松の実粥を手ずから作って運んでくれるも、やはり喉を通らない。粥を食べようとすれば、粥にも王女の顔が浮かぶとは、我ながらこれはもう女に惚(ほう)けているとしか言いようがないではないか。
どうやら、母はまだ息子の食欲不振について父には報告していないようだ。
どうすれば王女に想いを伝えられるか、思案を巡らせても名案は浮かばない。面妖なことだ。科挙に備えての勉学の中には、恋の成就のためのすべは何一つ書かれていなかった。当たり前といえば当たり前だけれど、手がかりになりそうなことすら見当たらない。
漸く思い浮かんだのは恋文を書くくらいのものだが、それとて、どうやって王女に届ければ良いのか判らない。金を使って女官か内官に託して渡して貰うという手段がないわけではない。恋文を渡したは良いが、もし返事がなかったらおしまいだ。
ーなどと、あれこれと考え過ぎてしまい、余計に何もできなくなってしまう。チュソンは打ちひしがれ、自室に戻った。本を開く気力もなく、ゴロンと横になっている中に睡眠不足が祟ってか、いつしか浅い微睡みに落ちていた。
短い夢の中で、彼は想い人と並んで歩いていた。どこなのか判らないが、白藤が咲き匂う藤棚の下を二人で談笑しながら歩いている。
不思議だ、白藤が好きだと語ったのはジアンなのに、チュソンが並んで歩いているのは央明翁主であった。恋い焦がれた女性が一度に二人も夢に現れたようで、それはそれで悪くはなかった。
チュソンは眠りながら、涙を流していた。幸せな夢のはずなのに、何故、自分が涙するのか、チュソン自身にも判らなかった。
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チュソンが夢で想い人と束の間の逢瀬を交わしていた頃、ナ・ジョンハクは宮殿内にいた。彼が目指すのは、中宮殿である。
ジョンハクは屋敷を出る間際に見た倅の顔を思い出していた。何と憔悴した様子であったことか。生き生きと理知の光に満ちていた双眸は光を失い、表情もどこか虚ろだ。
このままでは、息子はむざと寿命を縮めてしまうかもしれない。ジョンハクは危機感を強めていた。
ー央明翁主さまを妻に欲しいのです。
息子が爆弾発言をしたのは、十日余り前だ。寄りにも寄って、当代国王の娘を見初めたのだと言い切った。
妻のヨンオクはこの婚姻には猛反対している。むろんジョンハク自身も賛成にはおよそ遠い気持ちだ。だが、息子はどうやら本気で王女に入れあげているようだ。
最近の息子は吏曹で粗相をしでかすことはなくなったらしいが、その代わり、半ば廃人のような体だ。先ほど訊ねたときには食事も取っていると応えたけれど、あのやつれようでは、満足に食べてはおるまい。
このまま手をこまねいていては、自分たちは大切な息子を失うだろう。ジョンハクにとって、一人息子のチュソンは掌中の玉であった。娘ではなく息子だから、あからさまに愛情を示すことはないが、あの子が跡取りたる男児で本当に良かったのだ。
ヨンオクはチュソンを生んだときに難産すぎて、二度と子どもは望めない。妊娠はできるが、次に出産すれば生命の保証はないと医者に言われていた。
事実上、自分たちは二度と子が持てなくなった。だから、たった一人授かった子が男児で幸いだった。また、科挙に最年少で首席合格するほどの天才が男児であったのも良かった。女児であれば、それほどの才覚を持っていても、みすみす宝の持ち腐れだ。むしろ、嫁ぐ邪魔にはなりこそすれ、女性として幸せにはなれなかっただろう。
妻に望む女は愚かでは困るが、あまりに才走っても困る。妻が自分より利口であることを歓ぶ男はおるまい。
ヨンオクはヨンオクで、一人息子のチュソンをあからさまに溺愛している。チュソンが慕う女性がいると打ち明けたあの夜も、過剰なほど反応していた。
妻のあの激高ぶりを見て、これはチュソンが正真正銘の嫁取りをすれば先が思いやられるとジョンハクは暗澹とした気持ちになったものだ。息子可愛さに嫁いびりをする姑の話は枚挙に暇が無い。
よもや、我が家でも嫁いびりが起こるとは、ジョンハクは想像さえしたことがなかった。
できる限り、今はそのようなことにならないのを願うしかない。
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