夏休みの終わり

板倉恭司

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統志郎とペドロの邂逅

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「やあ、はじめまして。あなたが、この島の長である茨木統志郎氏だね。それにしても、ここはずいぶんと面白い施設だな」

 言いながら、ペドロは芝居がかった仕草でお辞儀をする。だが、統志郎はにこりともしない。

「お前だな? この島をうろついている外国人ってのは?」

「うむ、その通りだよ。この島は、なかなか居心地がいい。ゆっくりしたい気分だよ」

 とぼけた口調のペドロを、統志郎は殺意を秘めた目で睨みつける。

「お前が、隆一と美琴をさらったのか!?」

「ああ、あのふたりか。鬼と人間が夫婦とは、まことに恐れ入ったよ。まさか、食べる者と食べられる者の間に、愛などという感情が生まれるとは思わなかった。実に興味深い。隆一くんを殺してしまったのは、失敗だったかもしれないな。双方ともに生かして、じっくり観察してみたかった」

 ペドロの言葉に、統志郎の体がわなわなと震えだす。

「貴様は人間じゃない! 殺してやる!」

 喚いた直後、凄まじい形相でペドロに掴みかかっていく。
 だがペドロには、恐れる様子がない。伸びてきた手を、バシンと弾く。
 直後、すっと間合いを詰めた。ほぼ同時に、統志郎の体が宙に浮く。くるりと一回転し、床に叩きつけられた。相手の力を利用した投げ技だ。もっとも、実践は非常に難しい。武術の達人による演武でも、ここまで綺麗に技をかけられるケースはないだろう。
 しかし、ペドロは簡単にやってのけた。直後に、異様な音が周囲に響き渡る。
 床に倒れている統志郎。その首は、異様な状態になっていた。生きた人間には有り得ない方向に曲がっており、口からは血が垂れている。内出血によるものだ。床に叩きつけられた衝撃で、へし折れてしまったのである。
 ペドロは、涼しい顔で倒れた統志郎を見下ろす。だが次の瞬間、凄まじい勢いで飛び退いた。
 一瞬遅れて、統志郎が立ち上がる。何事もなかったのように、首を左右に捻る。ポキポキという音が鳴った。どうやら、問題なく動いているらしい。
 これもまた、有り得ない話だった。人間は、首をへし折られれば中を走っている脊髄が損傷する。それに伴い、神経も切れてしまう。 脳から出た神経を体に伸ばしている部分が切られてしまうことになり、全身の筋肉が動かなくなる。
 体の感覚もなくなり、内臓の動きも止まる。呼吸を司る筋肉も麻痺するため呼吸は停止する。 また、首には重要な血管や気管も通っており、これらも一緒に損傷してしまう。こうなれば、生きていられない。
  つまり、頸髄が完全に潰されてしまえば、数秒で絶命してしまうのだ。ところが、統志郎は何事もなかったかのように立っている。

「この程度で、俺が死ぬとでも思ったのか?」

 低い声で凄む統志郎に、ペドロは慌てることなく紫外線ライトを取り出した。すぐさま、ライトの光を照射する。
 しかし、統志郎には何の効果もないらしい。それどころか、怒りの炎に油を注ぐ結果となっただけだった。

「そんなものを、俺の仲間に当てたのか! ふざけた真似をしやがって!」

 怒鳴ると同時に、統志郎は一気に間合いを詰めた。ペドロの顔面に拳を振るう。
 磨き抜かれた武術の技とは違う、力任せに振るわれた拳だ。ペドロなら、躱すことは造作もないはずだった。
 ところが、統志郎の拳速は並のものではなかった。間合いを詰めた速度も、尋常なものではない。あまりの速さに、さすがのペドロも計算に狂いが生じたようだ。拳を避けそこね、咄嗟にライトで防御し拳を受け止める。
 拳の当たった衝撃で、ライトは砕け散った。ペドロの体も、車に跳ねられたような勢いで飛んでいく。人力では、有り得ない威力だ。馬の蹴りと同じくらいの衝撃力はあるだろう。
 吹っ飛ばされたペドロは、瞬時に受け身を取り床の上を転がった。しかし統志郎は、それだけで終わらせる気はない。倒れているペドロに一瞬で接近し、右足を振り下ろす──
 これまた武術の技でも何でもない、単純な踏みつけだ。しかし、硬いコンクリートの上で全体重をかけて踏みつけられれば、人間の頭蓋骨など簡単に砕けてしまう。殺傷力に関していえば、立っている状態で殴られることより格段に上の攻撃だ。
 統志郎に踏みつけられれば、ペドロの頭は簡単に砕けていただろう。しかし、ペドロもまた常人ではなかった。顔面を狙って放たれた踏みつけを、頭を僅かに移動させただけで躱したのだ。かと思うと、相手の足首に腕を巻き付け脇に抱え込む。
 同時に、ペドロの鋭い蹴りが飛んだ。統志郎の左足に当たる。威力はないが、これは足を払うための蹴りなのだ。
 片足立ちになっていたところに、軸足を蹴られた統志郎は、完全にバランスを崩した。バタリと仰向けに倒れる。
 その直後、ペドロは己の両足を統志郎の右太ももに巻き付ける。一気に捻りあげた。
 途端に、異様な音が響き渡る──

 ペドロが統志郎にかけた技は、ヒールホールドという関節技である。相手の足首を脇でしっかりと挟み、同時に相手の太ももに己の両足を巻き付けて動かないよう固定する。
 その状態で、己の脇に挟んだ足首を捻りあげると、相手の膝にある半月板や膝靱帯が破壊されてしまう。場合によっては、生涯に渡り歩行困難になることもあるのだ。危険すぎるため、アマチュアの試合ではヒールホールド禁止となっているケースも多い。
 今、ペドロはヒールホールドをかけ、統志郎の膝靱帯を完全に断裂させた。どんな人間であろうとも、靱帯を断裂させられては、まともに動くことすら出来ないはずだった。
 相手をそんな状況に追い込んでいながら、ペドロはすぐさま立ち上がった。倒れている統志郎から、素早く飛び退く。
 ほぼ同時に、統志郎も立ち上がった。片足だけで体を支えつつ、自身の右膝を撫でている。その右足は、膝から下が完全によじれていた。
 統志郎は冷静な表情で、己の右足を両手で掴む。ぐいっと力を入れ、足の向きを元に戻してしまった。
 それだけでも異常なのたが、統志郎はその後も動き続けている。次は、右足を上げたのだ。トントンと、軽く床を踏んでいる。動くことに、何の問題もないようだ。どうやら、断裂したはずの靱帯が一瞬で治ってしまったらしい。
 その時、ペドロはくすりと笑った。

「ふむ、実に素晴らしい。首が折れようが靱帯が断裂しようが、ものの数秒で完治させてしまう。おまけに、紫外線ライトも効かない。あなたは、恐ろしい存在だな」

「恐ろしい? あんたに言われたくねえな。技も力も、とんでもねえレベルまで鍛えてやがる。あんた、たぶん人類最強の男だよ」

 統志郎は、静かな口調で返す。先ほどまでは、怒りの感情に支配されていた。しかし、今は違う。相手の強さを体で理解し、頭を冷静な状態に戻したのだ。
 逆上した状態では、相手の思うツボである。冷静な頭で無ければ、仕留められないと判断したのだ。統志郎は、静かな顔つきでペドロと向き合う。
 対するペドロは、恭しい態度でお辞儀をした。

「お褒めの言葉をいただき光栄だ。しかしね、俺などに構っていていいのかな? うかうかしていると、上野さんが死ぬことになるよ」

 途端に、統志郎の表情が変わる。

「どういうことだ?」

「これを見たまえ」

 言いながら、ペドロが取り出したのスマホだった。画面を、統志郎に向ける。
 どこかの部屋が映し出されていた。事務用の机や椅子、防犯カメラのモニターなどがある。
 床の上には、倒れている女がいた。両手両足を縛られ、口に猿ぐつわを噛まされた状態で倒れている。
 統志郎の部下・上野麻理恵だ──

 見た瞬間、統志郎は吠えた。瞳が紅く光り、凄まじい形相でペドロに襲いかかる。
 その攻撃を、ペドロはあっさりと躱してのけた。同時に、統志郎の体は宙に浮く。
 次の瞬間、一気に投げ落とされた。後頭部を床に叩きつけられ、統志郎の顔面が歪む。
 ペドロの方は、すぐに後方へ飛び退く。素早く間合いを離した。

「聞こえなかったのかな? では、もう一度言うよ。うかうかしていると、上野さんが死ぬことになる。十分後に爆死する予定だよ」

 冷静な口調で言った後、ニヤリと笑う。

「さて、ここで問題だ。仲間の命を奪った憎むべき敵の殺害。一方、もうじき命が尽きようとしている部下の救助。今、優先すべきはどちらかな?」

 ペドロが言った時、倒れていた統志郎は起き上がった。凄まじい形相で、相手を睨みつける。直後、すぐさま襲いかかろうとした……が、急ブレーキでもかかったかのごとき勢いで、動きがビタリと止まる。
 今すぐペドロを殺したい。だが、優先すべきはそちらではない……と判断したらしい。

「くそおぉ! 上野はどこだ!?」

 吠える統志郎に、ペドロはすました表情で答える。

「秋野夫妻が勤めていたコンビニエンスストアだよ。その中に、時限爆弾とともに座っている。先ほども言った通り、あと十分ほどで爆発する。俺に構っている暇があったら、早く行ってあげた方がよいのではないかな」

 聞いた瞬間、統志郎は向きを変える。弾丸のようなスピードで走り出した。あっという間に、その姿は見えなくなる。
 無人になってしまった地下通路を見回し、ペドロはそっと呟いた。

「恐ろしい男だな。あれでも、まだ本気を出してはいないらしい。さて、彼がここで退場してくれるか否か……もし生きていれば、こちらも切り札を使うしかないな」



 沈黙が支配していた夜の島に、車の爆音が響き渡る。
 猛スピードで走っていた車は、港にて急停止する。ドアを開け、飛び出してきたのは統志郎だ。
 コンビニエンスストアの裏に回り、ドアノブを掴む。当然、鍵はかかっていた。
 しかし、統志郎は構わず力任せにドアノブを引く。一瞬にして鍵は壊れ、ドアは開いた。統志郎は、中へと入っていく。
 暗い室内に、上野が倒れていた。統志郎は、慌てて抱き上げる。その時、彼女の首に鉄製の枷が付けられていることに気づいた。枷は頑丈な鎖が付けられ、その鎖は店の床に打ち付けられ固定されている。どういう手法で固定したのか、超人的な腕力を持つ統志郎が力いっぱい引いても外れないのだ。
 すると、上野が目を開けた。

「逃げてください。このままでは、あなたまで巻き添えになります」

 囁くような声だった。もはや、生命の火が消えかけているのだ。

「ふざけるな! お前は俺の家族なんだ! 絶対に助けるぞ!」

 怒鳴りながら、統志郎は鎖を外そうとする。だが、外れない。
 その時、上野がかぶりを振る。

「やめてください。今の言葉だけで満足です。あたし、統志郎さんの家族になりたかったんですよ。嬉しい……」

 そう言って微笑んだ時、店は爆発した──

 一瞬にして、炎に包まれる建物。この火災は、爆弾だけによるものではなかった。周囲にガソリンが撒かれていたらしい。巨大な炎は、店舗をみるみるうちに飲み込んでいった。空に黒煙が上がり、熱気は周辺をも侵食していく。この高熱の中では、何人であろうとも生きてはいられない。ものの数秒で、命を失うだろう。
 そんな炎の中から、飛び出した者がいた。緑色の皮膚、肉食獣のような顔つき、紅く光る瞳、鉤爪の生えた手……それは人ではなく、怪物だった。
 異形の怪物は、上野の体を両手でしっかりと抱きかかえていた。熱気の及ぶ範囲から離れると、彼女の体を地面にそっと横たえる。顔に火傷の痕はなく、特に外傷もない。
 しかし、上野は息をしていなかった。既に死んでいたのだ──

 ただでさえ衰弱していたところに加え、いきなり火の海に包まれたことにより、室内の酸素を奪われ窒息と同じ状態に陥ってしまったのだ。さらに、炎により気道熱傷をも引き起こしていた。彼女の体は、耐えきれなかったのだ。
 怪物は、じっと上野を見下ろす。その異様な形の瞳から、ひとすじの涙がこぼれた。
 次の瞬間、怪物は空を向く。その口から、恐ろしい声が発せられた。野獣の咆哮のごとき音が、周囲に響き渡る。ヒグマですら逃げだす恐ろしいものだったが、奥底には深い悲しみがある……。
 やがて、怪物は立ち上がった。死体を抱き上げ、とぼとぼと歩いていった。





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