胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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白志館という狂った学園を襲った極めて異様な事態

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 その日の白志館学園には、いつもと違う空気が漂っていた。 



 異変のひとつ目は、理事長補佐である樫本直也が不在ということだった。もともと学園の理事長は体調不良のため入院しており、代役として樫本が来ていた。もっとも、この男がまともに仕事をしている姿を見たことがないが、ほぼ毎日顔を出して悪さに励んでいたのだ。
 ところが、今日に限り顔を見せない。連絡も来ていない。樫本は極悪人ではあるが、そうした部分はしっかりしている。理事長補佐という立場にありながら、無断欠勤など考えられない。
 もっとも、白志館学園は平常運転であった。特に問題もなく一日は過ぎていく。樫本は、こと学校の運営に関する限り素人に近い。いてもいなくても同じなのだ。
 やがて大半の生徒が下校し、一部の教師とろくでなしな生徒だけが残る午後七時を迎えた時、異変のふたつ目が起きた──

「先生よう、あんた本当に運動神経ねえなあ。ダンス下手過ぎだよ!」

 とある教室から、こんな声が聞こえてきた。
 中にいるのは、数人の生徒とひとりの女教師だ。年齢は二十代、美しい顔立ちで身長は平均程度、肉感的な体つきをしている。もっとも、彼女を一目見ただけで教師だと判別するのは難しいだろう。
 なぜなら、服装があまりにも異様だったからだ。上はキャミソールのようだが、あちこちの布が削られており、肌の露出が激しい。スカートも短く、尻が丸見えだ。豊かな胸の谷間も目立つ。エロ動画にでも出てきそうな衣装だ。
 この女教師、名前を松下《マツシタ》という。なぜ、こんな教師らしからぬ衣装を着ているのかといえば、樫本が調教した学園の性奴隷だからである。

「も、申し訳ありません」

 松下は、床に額を擦りつけ謝罪する。教師のはずの彼女が生徒に対しここまで卑屈である理由は、奴隷だからである。特に、ここに集まっている生徒たちは樫本から様々な特典を得ている。その代わり、彼の手足となって働く……はずなのだが、やる気はあまり感じられない。
 そもそも彼らは、親のカネとコネあるが故に入学できたような連中だ。裏口入学と紙一重の手口で、学園の生徒になれた者たちである。もともとの能力からして、高が知れているレベルだ。

「いいか、もっと上手く踊れや! で、音楽に合わせて服を一枚ずつ脱いでいくんだよ! 出来なきゃ、みんなの前で浣腸すんぞ!」

 怒鳴っている男白は、不良生徒たちのリーダー格・黒岩《クロイワ》だ。父親が土建会社の社長であり、ヤクザとも深い付き合いをしている。彼自身も、士想会の大塚とは顔見知りだ。
 彼は先ほどから、松下にストリップダンスをさせようとしている。だが、ストリップダンスには複雑かつ高度な技術が必要だ。女教師が一朝一夕でマスターできるものではない。
 
「そんな! それだけは許してください!」

 体を震わせながら、松下はさらに額を擦りつける。ここまでは、白志館学園のごく普通の一日であった。
 ところが、そんな平穏な一日を破壊する者が現れる。

「やあ学生諸君! ずいぶん楽しそうだな。俺も仲間に入れて欲しいところだが、先に終わらせなきゃならんことがある」

 いきなり教室に入ってきたのは、中肉中背で灰色の作業服を着た男だ。帽子を目深に被っているため、顔ははっきり見えない。
 不良たちは顔を見合わせる。こんな男は、見たこともない。

「お前、誰だ?」

 生徒のひとり、志田《シダ》が立ち上がる。この男、小学生から中学生まで空手をやっていた。体も大きい。不良たちの中でも、素手の喧嘩なら一番だろう。

「俺は樫本氏に会いにきた。彼はどこにいるか教えろ。そうすれば、すぐに退散するよ」

 作業服の男は、飄々とした口調で言葉を返す。志田より小柄だが、恐れる様子はまるでない。

「樫本さんはな、今日は来てねえんだよ。どこにいるか、こっちが聞きてえ。それより、お前誰だって聞いてんだろうが。てめえ、日本語わからねえのか」

 凄む志田。と同時に、他の者たちも立ち上がった。いい暇潰しになりそうな玩具を発見した、と判断したのだ。作業服の男が何者だろうと、この状況では勝ち目はないはずだ。仮にどこかのヤクザだったとしても、自分たちのバックには士想会がいる。全く恐れる必要はない。
 彼らは、致命的な勘違いをしていた。ここにいる高村獅道には、彼ら不良生徒ごときの常識など通用しない。

「そうか。いないのなら仕方ない。では、竹川唯子さんはどこにいるんだ? 知ってるなら教えてくれ」

 この相手を馬鹿にしきった態度に、志田の堪忍袋の緒が切れた。

「お前は誰だと聞いてんだろうが!」

 吠えると同時に、左の中段回し蹴りが飛んでくる。この志田、しばらく稽古から離れている。とはいえ、培ってきたものは伊達ではない。そこらの不良学生が相手なら、この蹴り一発で終わらせられただろう。
 ところが、志田にとって予想外の事態が待っていた。蹴りのモーションに入ると同時に、獅道は一瞬で間合いを詰めていたのだ。
 次の瞬間、飛んできた蹴り足を簡単にキャッチする──
 中段回し蹴りは、格闘技の試合でフィニッシュになることは少ない。だが、実のところ強力な技である。肝臓に当たれば悶絶するようなダメージを与えられる。また、肋骨をへし折ることも可能だ。
 もっとも、それは適切な間合いにいての話だ。接近されると威力は半減する。しかも、志田は鍛練を怠けていた。蹴りのスピードは遅くなっているし、キレも悪くなっている。それでも町の喧嘩レベルなら充分に通用したが、今回は相手が悪すぎた。
 獅道は、蹴り足を楽にキャッチし右脇に抱え込む。と同時に、キレのある左フックを放った──
 左フックは、ガラ空きになっていた志田のあごを掠めた。衝撃により頭が大きく揺れ、脳震盪が起きる。その一発により、志田は白目を向いた。
 直後、獅道は彼の体をポーンと突き放す。志田は、呆気なく倒れた。
 不良たちは、唖然となっていた。一番の武闘派であった志田が、一瞬で倒されたのだ。何が起きたのかさえ、わかっていない者がほとんどだった。
 一方、獅道の行動に躊躇はない。ポケットからタバコを取り出す、火をつける、投げる、この動作を一瞬で行う。タバコは、不良たちへと飛んでいった。
 次の瞬間、爆竹のような音を立て火花を飛ばし破裂した。不良たちは、この一発で完全に混乱する。反射的に目を覆う。
 その動きは、今の状況では完全な悪手だ。獅道は、獣のごとき勢いで襲いかかった──

 教室の光景は、完全に様変わりしていた。
 不良たち全員が床に倒れ、呻き声をもらしている。しかも、両手の親指と両足の親指はプラスチック製の結束バンドで縛られている。
 そんな中、獅道は松下の方を向く。彼女は、床にへたり込んでいた。恐怖のあまり、表情が硬直している。

「そこのエロ先生、竹川唯子さんがどこにいるか知らないか?」

 獅道は、にこやかな表情を作り尋ねた。陽気な口調である。今の惨劇を起こした者とは思えない。松下は、顔を引き攣らせて答える。

「し、知りません。ただ、神代先生なら何か知っているかも……」

「神代? 今この学園内にいるのかい?」

「はい、まだいると思います」

「だったら、いそうな場所に案内してくれ」

 そう言った時、黒岩がどうにか顔を上げ、最後の意地を見せる。

「こんなことして、ただで済むと思ってんのか。俺たちのバックには、士想会がいるんだ。顔は覚えたからな。お前なんか、すぐに見つけてやる。これから、地獄を見せてやるからな」

 痛みに顔を歪めながらも、脅し文句を言い放った。
 獅道は、クスリと笑う。

「一月前だったら、それも脅し文句にはなったろうな。けど、今の士想会は白土連盟と抗争中だぜ。お前らなんかのために、いちいち動く余裕なんかないよ。ついでに言っとくと、地獄ならもう見たよ。ガキの頃にな」

 言ったかと思うと、その顔面に蹴りを叩き込む。黒岩の顔面はサッカーボールのように蹴られ、床に頭を打ち気絶した。
 直後、獅道はにこやかな表情で振り向く。

「じゃあ先生、案内してくれ」



「ふぐぅ! むぐぅ!」

 地下にある教室からは、異様な声が聞こえていた。
 中では、見るもおぞましい光景が繰り広げられている。上半身裸で五分刈りの大男が、全裸の少年を後ろから抱きしめているのだ。少年は両手を縛られ、猿ぐつわまで噛まされている。どう見ても、合意とは思えない。
 大男は、笑みを浮かべ何か囁いている。もっとも、少年の方はそれどころではない。苦悶の表情を浮かべて、泣きながら首を横に振っている。
 そんな中、突然とぼけた声が聞こえてきた。

「おい、あんたが神代先生かい?」

「な!? だ、誰だ!?」

 大男は、慌てて振り向く。その瞬間、自分が全裸であることを思い出したらしい。慌てて股間を隠した。
 そんな大男の姿を見て、ぷっと吹き出した男は……もちろん高村獅道だ。
 そんな彼の後ろには松下がいる。事情を知っている彼女にとって、笑えない状況だ。何せ、この石原はオリンピック候補にまでなった柔道百キロ超級の猛者である。樫本の用心棒代わりであり、不良たちも逆らえなかった男だ。
 いくら獅道でも勝てない……そう判断した松下は、慌てた様子で獅道の腕を引っ張る。

「こ、この人は違います! 石原先生です!」

「石原? ああ、希望のケツ掘りまくったクズか」

 訳知り顔で頷く獅道を、石原は凄まじい形相で睨みつけた。もっとも、ズボンとパンツが足首までずり落ちている姿だ。まるで迫力がない。
 本人も、自身の間抜けな姿に気づいたのだろう。慌てた様子で、ズボンを穿こうと前屈みになる。
 だが、それは間違いだった。視線が逸れた瞬間、獅道は動く。一気に間合いを詰めると同時に、飛び膝蹴りを放つ──
 ちょうど前屈みになった瞬間、石原の顔面に膝蹴りが入った。鼻骨が折れ、前歯が数本砕けて飛び散った。顔を血まみれにしながら、よろよろと後ずさる。
 そこに、獅道の追撃が入った。喉元を掴み、顔面に頭突きを入れる。
 ぐちゃり、という音がした。折れた鼻骨に追撃を食らい、石原の鼻は完全に曲がっていた。
 見ていた松下は、思わず顔を背ける。だが、獅道の攻撃は止まらない。なおも頭突きを入れていく。その度に、ぐちゃりという嫌な音が響き渡った──
 一分もしないうちに、石原の顔面は完全に崩壊してしまった。額から顎にかけて血まみれで、目や鼻の判別すら困難だ。意識はかろうじて残っているものの、まともな思考は出来ないらしい。無論、戦意などない。前歯がへし折れた口からは、呟くような声が途切れ途切れに聞こえる。許しを乞うているらしい。
 そんな石原を、獅道は面倒くさそうに突き飛ばす。筋肉の塊のごとき大男は、その場に尻餅を着いた。
 直後、獅道が足を振り上げる。凄まじい勢いで、踵を振り下ろした──
 踵落としが、石原の股間に炸裂した。付いているものは、その一撃で完全に潰れる。
 激痛のあまり、のたうち回る石原。だが、獅道はそれを無視し松下の方を向く。

「さあ、神代先生のところに案内してくれ」



 その頃、地下の独房では──

「なんでルミがいないのよ!」

 騒いでいるのは神代だ。普段の彼女は物静かで落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、今は違っていた。独房に入り込み、ひとりの女を口汚く罵っている。

「わ、わからないんです。急に、どこかに連れて行かれてしまって……」

 震えながら答えているのは、メイド服の女だ。服装は可愛らしいが、顔の右半分と左半分が異なっている。間違いなく整形手術によるものだ。

「ふざけんじゃないよ!」

 喚いた時だった。ひとりの男がぬっと現れる。高村獅道だ。

「なんか揉めてるみたいだな。俺の知ったことじゃないから理由は聞かない。それより、竹川唯子さんはどこだ?」

 すました様子で尋ねる。
 神代はといえば、先ほどまでの勢いは完全に消えていた。いきなり乱入してきた、得体の知れない男……この女は、不良たちほどバカではない。一瞬で、高村の放つ異様な空気に感づいたのだ。しかも、体に返り血を浴びた姿である。彼女は後ずさり、困惑した様子で獅道を見つめる。
 だが、そこで勢いよく反応した者がいた。メイド服の女だ。

「あ、あなたが高村さんですね?」

 奇妙な顔の女からの突然の言葉に、獅道は違和感を覚えつつも頷く。

「そうだけど、なんで知ってんの?」

「き、岸田真治さんからこれを預かっています! ここに来れば、竹川唯子さんに会えると伝えてくれ、と言われました! 早く、助けてあげてください!」

 言いながら、紙を手渡してきた。
 その瞬間、獅道の表情が歪む。先ほどまでの余裕ある態度が消え、真剣な顔つきになっていた。

「ちょっと待ってくれよ……なんであいつが出てくんだ?」




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