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ナタリーという極めて有能なはずの女が犯した大きなミス
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獅道が白志館学園に乗り込む数時間前──
室内には、重苦しい空気が漂っていた。
竹川希望とナタリーは、山の中の平屋にて生活している。一応は同居しているわけだ。十五歳の美しい顔を持つ少年と、年上の外国人女性が同じ家で共同生活……漫画やドラマなら、恋が始まるシチュエーションだろう。
残念ながら、このふたりの間にそんな感情が生まれることはなさそうだった。ナタリーの普段の生活は……武器の手入れをするか、トレーニングをするか、鋭い目で窓から周囲を見回すか、この三つだ。テレビすら、ほとんど見ようとはしない。必要がない限り、希望に話しかけようともしない。その上、常に張り詰めた空気を漂わせている。下手に話しかけたら、殴られそうな空気を全身から発しているのだ。
一方の希望はといえば、縮こまり気配を消していた。この女は、どう見ても堅気の人間ではない。そもそも、本物の拳銃など見たのは生まれて初めてである。そんな物騒なものをいじくり回している時点で、話しかける気はなくなるだろう。
出来れば自分の部屋に閉じこもっていたいのだが、就寝と排泄と入浴以外は目の届く場所にいろ……というのがナタリーからの命令である。外出も禁止だ。食事は全て、ストックしてある保存食である。美味くもなんともない。食事というより燃料補給である。
ふたりが潜伏している家には、どんよりとした空気が漂っている。もっとも希望にしてみれば、奴隷の時よりは遥かにマシだった。
そんな重い空気を壊したのは、意外にもナタリーだった。
共同生活が始まり、三日目のことである。朝食を食べた後、一時間ほど経過した時だった。
「君にひとつ聞きたい。日本の高校生から見て、私のような人間をどう思う?」
「ど、どうって……」
いきなり話しかけられ、希望は混乱した。この女、顔は綺麗だ。しかし、目つきが怖い。醸し出している雰囲気もまた、カミソリのように鋭いものだ。その上、身長も高い。百五十センチ強の希望が見上げるほどだから、百七十センチはあるだろう。それだけで圧倒されてしまう。
もっとも、そうした感想をはっきり言ったら揉める気がした。何も言えず口ごもる。
その時、ナタリーが微笑んだ。
「難しく考える必要はない。実は、あと二ヶ月ほどしたら別の仕事が待っている。問題ある少年や少女たちを集め、山奥の村で共同生活をさせ社会復帰の一助にしようというイベントがある。私は、そこに参加することが決まった。おそらく、君と同じくらいの年齢の子たちが来るだろう。だから聞いておきたい。私は怖いか? 話しづらいか?」
「え、えーと……」
想像もしていなかった言葉が飛び出してきた。希望も、何を言えばいいかわからない。そもそも、イベントとは何なのだろう。ボランティアのような仕事だろうか。
ただひとつだけ確かなことは、この女は怖いという事実だけだが、それを言う気にはなれない……などと思っていると、ナタリーが再び口を開く。
「私は今まで、マフィアの一員として活動してきた。悪とされることなら、何でもやったと思う。だが、訳あって日本に来た。この国で、私は生き方を変えることにしたんだよ。もう、裏の世界にはかかわりたくないんだ。新しい仕事というのは、ボランティアなんだよ。様々な問題を抱えた少年たちへの手助けが主な業務だ。厳密には仕事ではないが、少額とはいえ謝礼も出るらしい。ところがだ、私のような怖い人間では、誰も心を開いてくれないかもしれないからな」
「あのう、ナタリーさんは……凄く綺麗です。笑った顔も素敵だし……だから、笑顔を絶やさないようにすれば大丈夫だと思います」
希望は、どうにか答えた。目の前にいる女は、自分など想像もつかない人生を歩んで来たのだ。そんな人間に、自分のような人間がアドバイスなど出来ない。
にもかかわらず、なんとか言葉を搾り出した。直後、こんなので大丈夫だろうかと不安を覚える。機嫌を損ねていなければいいが……。
それは杞憂だったらしい。ナタリーは、にっこり微笑んだ。
「ありがとう。参考にする」
希望は、何となく距離が縮まった気がした。
同時に、あれを聞くなら今だと思った。この女と会った直後から、ずっと気になっていたことがある。
「あのう、高村さんとナタリーさんは……その、じつは恋人同士だったり……するんですか?」
聞いた途端、ナタリーがぷっと吹き出す。
「恋人? その言葉は、恋愛関係にある者同士に使われるはずだ。私とシドは、そんな関係ではない」
「えっと、じゃあ、どういう……」
「私たちの関係にもっとも近い日本語をいうなら、戦友だと思う」
そう言うと、ナタリーは立ち上がる。
「近くのコンビニに行ってくる。走れば五分ほどで着く距離だ。何か買ってきて欲しいものはあるか?」
「えっ?」
希望は戸惑った。ついさっきまで拳銃を分解し組み立てていた女から、こんなセリフが飛び出るとは予想もしていなかった。
「ないのか? なら、適当に見繕う──」
「じゃ、じゃあ、スイーツを何種類かお願いします」
「わかった。ここを動かず、おとなしく待っていろ」
そこまでは、優しそうな表情を浮かべていた。だが、その表情はすぐに消える。
「誰かが尋ねてきても無視しろ。鍵をかけ、絶対に扉を開けるな。シドと私以外の人間は、何人たりとも敵と思え。できる限り早く帰る」
家を出た直後、ナタリーは走り出した。コンビニまでは約一キロだ。自分の走力なら、五分で到着できる。
軽快なフォームで走り、計算通りの時間に着いた。だが、店内を見た瞬間に表情が強張る。
中には、六人の若者がいた。五人の男とひとりの女という構成である。服装や背格好はまちまちで、我が物顔で店内をのし歩き大きな声を出し喋っている。
今は午前十一時だ。平日のこの時間に、コンビニの店内にたむろし大声で語り合っている。その時点で、どんな人種なのかはバカでもわかるだろ。
ナタリーの頭を、買い物は中止しろ……という考えが掠めた。無論、彼女はこんなチンピラなど怖くない。だが、面倒は起こしたくなかった。警察を呼ばれたら、厄介なことになる。
一瞬迷ったが、気を取り直し店内に入る。今のナタリーは、リュックを背負ったジャージ姿である。顔は、安物のベースボールキャップを目深に被ることで見えにくくなっていた。彼らの関心を引く可能性は低いだろう。
カゴを手に取り、目についたものを放り込んでいく。呑気に選んでいる暇などない。早く終わらせ早く帰る、それが今やるべきことだ。
支払いを済ませ、店を出ようとした時だった。何者かが声をかけてきた。
「お姉さん、何してんのかなあ?」
軽薄な口調だ。見れば、店内にいたチンピラたちのひとりだった。自分をからかって楽しもうという気なのだろう。この手の男の思考は、万国共通である。
無視して進んでいくと、彼らは一斉に動いた。三人がナタリーの前に立ち、とうせんぼでもするかのように両手を広げる。その顔には、弱者をいたぶる喜びに満ちあふれていた。
ナタリーは苛立ってきた。平和で豊かな国に生まれ育ちながら、こんなことをするバカ共がいる。自分と妹は、幼い頃はスラムの街でゴミ箱を漁り残飯で飢えをしのいでいたのに……。
そもそも彼女は、幼い頃にこうした店に入った記憶がない。入ろうとすれは、金を持っていないことを見透かされ、店員から罵声とともに追い出されたのだ。
お金を持って店に行き、妹とふたりで好きな菓子を選んで買う。それが、幼い頃のナタリーの夢であった。
目の前にいる若者たちは、そんな夢などせせら笑うくらい恵まれた環境にいる。それなのに、こんなくだらんことをしているのか──
来日して以来、日本人に対し抱いていた暗い感情。それが今、心の奥底から這い出ようとしていた。
「お姉さん、そんなに冷たくしないでよ。とりあえずさ、その帽子取って顔見せてよ」
髪を金色に染めた男が、ヘラヘラ笑いながら近づいてきた。その口には、火のついたタバコを咥えている。
その時、ナタリーの右足が飛んだ──
彼女の足先は、口のタバコに直撃した。しかし、顔には当たっていない。タバコは宙を舞ったが、ナタリーは素早くキャッチする。
さらに、タバコの火のついた部分を二本の指でつまんだ。言うまでもなく熱い。常人なら一秒ももたず離してしまうはずだ。なのに、彼女の表情は変わらず、指も離れない。
チンピラたちの顔は一変する。皆、口を開けたままナタリーを見つめていた。そんな中、彼女は二本の指でタバコをもみ消していく。無論、表情は全く同じだ。
やがて吸い殻と化したタバコを、チンピラの手に握らせる。直接、口を開いた。
「警告しておく。君らは強いかもしれないが、私も意外と強いよ。かかわると損するだけだ。からかうなら他を当たれ」
低い声で言うと、ナタリーはチンピラたちの横をすり抜けていく。もし、これで止まらないなら全員殺す……そんなドス黒い気分になっていた。
幸い、彼らに追って来る気配はない。ため息を吐くと、帰宅を急ぐべく走り出した。とにかく、今はあの少年を守ることを優先しなくてはならないのだ。
彼女は気づいていなかった。スマホで、ナタリーの動きを録画している者がいたのだ。チンピラの中にいた唯一の女性である。実のところ、彼女こそがもっとも警戒すべき人間だった。
その女は、動画とともに短いメッセージを送信する。
(白土連盟を襲ったのこいつじゃないですか?)
この時、ナタリーはミスを犯していた。
マフィアの一員だった頃の彼女なら、本能の発した危険信号に従い買い物を中止していたはずだ。それ以前に、こんな時にコンビニなど行ったりはしなかっただろう。
ところが、危険信号を無視し買い物を続行した挙げ句、チンピラと揉める……悪手以外の何物でもない。
もちろん不運な偶然もある。だが、それだけではない。最大の理由は、ナタリーが平和に慣れてしまったことだろう。さらに、日本の裏社会を甘く見ていた部分もあった。自分の潜ってきた修羅場に比べれば、ヤクザや半グレなど……という驕りも心のどこかにあった。
その驕りが、立花薫に彼女の存在を知らしめる原因となってしまった。
室内には、重苦しい空気が漂っていた。
竹川希望とナタリーは、山の中の平屋にて生活している。一応は同居しているわけだ。十五歳の美しい顔を持つ少年と、年上の外国人女性が同じ家で共同生活……漫画やドラマなら、恋が始まるシチュエーションだろう。
残念ながら、このふたりの間にそんな感情が生まれることはなさそうだった。ナタリーの普段の生活は……武器の手入れをするか、トレーニングをするか、鋭い目で窓から周囲を見回すか、この三つだ。テレビすら、ほとんど見ようとはしない。必要がない限り、希望に話しかけようともしない。その上、常に張り詰めた空気を漂わせている。下手に話しかけたら、殴られそうな空気を全身から発しているのだ。
一方の希望はといえば、縮こまり気配を消していた。この女は、どう見ても堅気の人間ではない。そもそも、本物の拳銃など見たのは生まれて初めてである。そんな物騒なものをいじくり回している時点で、話しかける気はなくなるだろう。
出来れば自分の部屋に閉じこもっていたいのだが、就寝と排泄と入浴以外は目の届く場所にいろ……というのがナタリーからの命令である。外出も禁止だ。食事は全て、ストックしてある保存食である。美味くもなんともない。食事というより燃料補給である。
ふたりが潜伏している家には、どんよりとした空気が漂っている。もっとも希望にしてみれば、奴隷の時よりは遥かにマシだった。
そんな重い空気を壊したのは、意外にもナタリーだった。
共同生活が始まり、三日目のことである。朝食を食べた後、一時間ほど経過した時だった。
「君にひとつ聞きたい。日本の高校生から見て、私のような人間をどう思う?」
「ど、どうって……」
いきなり話しかけられ、希望は混乱した。この女、顔は綺麗だ。しかし、目つきが怖い。醸し出している雰囲気もまた、カミソリのように鋭いものだ。その上、身長も高い。百五十センチ強の希望が見上げるほどだから、百七十センチはあるだろう。それだけで圧倒されてしまう。
もっとも、そうした感想をはっきり言ったら揉める気がした。何も言えず口ごもる。
その時、ナタリーが微笑んだ。
「難しく考える必要はない。実は、あと二ヶ月ほどしたら別の仕事が待っている。問題ある少年や少女たちを集め、山奥の村で共同生活をさせ社会復帰の一助にしようというイベントがある。私は、そこに参加することが決まった。おそらく、君と同じくらいの年齢の子たちが来るだろう。だから聞いておきたい。私は怖いか? 話しづらいか?」
「え、えーと……」
想像もしていなかった言葉が飛び出してきた。希望も、何を言えばいいかわからない。そもそも、イベントとは何なのだろう。ボランティアのような仕事だろうか。
ただひとつだけ確かなことは、この女は怖いという事実だけだが、それを言う気にはなれない……などと思っていると、ナタリーが再び口を開く。
「私は今まで、マフィアの一員として活動してきた。悪とされることなら、何でもやったと思う。だが、訳あって日本に来た。この国で、私は生き方を変えることにしたんだよ。もう、裏の世界にはかかわりたくないんだ。新しい仕事というのは、ボランティアなんだよ。様々な問題を抱えた少年たちへの手助けが主な業務だ。厳密には仕事ではないが、少額とはいえ謝礼も出るらしい。ところがだ、私のような怖い人間では、誰も心を開いてくれないかもしれないからな」
「あのう、ナタリーさんは……凄く綺麗です。笑った顔も素敵だし……だから、笑顔を絶やさないようにすれば大丈夫だと思います」
希望は、どうにか答えた。目の前にいる女は、自分など想像もつかない人生を歩んで来たのだ。そんな人間に、自分のような人間がアドバイスなど出来ない。
にもかかわらず、なんとか言葉を搾り出した。直後、こんなので大丈夫だろうかと不安を覚える。機嫌を損ねていなければいいが……。
それは杞憂だったらしい。ナタリーは、にっこり微笑んだ。
「ありがとう。参考にする」
希望は、何となく距離が縮まった気がした。
同時に、あれを聞くなら今だと思った。この女と会った直後から、ずっと気になっていたことがある。
「あのう、高村さんとナタリーさんは……その、じつは恋人同士だったり……するんですか?」
聞いた途端、ナタリーがぷっと吹き出す。
「恋人? その言葉は、恋愛関係にある者同士に使われるはずだ。私とシドは、そんな関係ではない」
「えっと、じゃあ、どういう……」
「私たちの関係にもっとも近い日本語をいうなら、戦友だと思う」
そう言うと、ナタリーは立ち上がる。
「近くのコンビニに行ってくる。走れば五分ほどで着く距離だ。何か買ってきて欲しいものはあるか?」
「えっ?」
希望は戸惑った。ついさっきまで拳銃を分解し組み立てていた女から、こんなセリフが飛び出るとは予想もしていなかった。
「ないのか? なら、適当に見繕う──」
「じゃ、じゃあ、スイーツを何種類かお願いします」
「わかった。ここを動かず、おとなしく待っていろ」
そこまでは、優しそうな表情を浮かべていた。だが、その表情はすぐに消える。
「誰かが尋ねてきても無視しろ。鍵をかけ、絶対に扉を開けるな。シドと私以外の人間は、何人たりとも敵と思え。できる限り早く帰る」
家を出た直後、ナタリーは走り出した。コンビニまでは約一キロだ。自分の走力なら、五分で到着できる。
軽快なフォームで走り、計算通りの時間に着いた。だが、店内を見た瞬間に表情が強張る。
中には、六人の若者がいた。五人の男とひとりの女という構成である。服装や背格好はまちまちで、我が物顔で店内をのし歩き大きな声を出し喋っている。
今は午前十一時だ。平日のこの時間に、コンビニの店内にたむろし大声で語り合っている。その時点で、どんな人種なのかはバカでもわかるだろ。
ナタリーの頭を、買い物は中止しろ……という考えが掠めた。無論、彼女はこんなチンピラなど怖くない。だが、面倒は起こしたくなかった。警察を呼ばれたら、厄介なことになる。
一瞬迷ったが、気を取り直し店内に入る。今のナタリーは、リュックを背負ったジャージ姿である。顔は、安物のベースボールキャップを目深に被ることで見えにくくなっていた。彼らの関心を引く可能性は低いだろう。
カゴを手に取り、目についたものを放り込んでいく。呑気に選んでいる暇などない。早く終わらせ早く帰る、それが今やるべきことだ。
支払いを済ませ、店を出ようとした時だった。何者かが声をかけてきた。
「お姉さん、何してんのかなあ?」
軽薄な口調だ。見れば、店内にいたチンピラたちのひとりだった。自分をからかって楽しもうという気なのだろう。この手の男の思考は、万国共通である。
無視して進んでいくと、彼らは一斉に動いた。三人がナタリーの前に立ち、とうせんぼでもするかのように両手を広げる。その顔には、弱者をいたぶる喜びに満ちあふれていた。
ナタリーは苛立ってきた。平和で豊かな国に生まれ育ちながら、こんなことをするバカ共がいる。自分と妹は、幼い頃はスラムの街でゴミ箱を漁り残飯で飢えをしのいでいたのに……。
そもそも彼女は、幼い頃にこうした店に入った記憶がない。入ろうとすれは、金を持っていないことを見透かされ、店員から罵声とともに追い出されたのだ。
お金を持って店に行き、妹とふたりで好きな菓子を選んで買う。それが、幼い頃のナタリーの夢であった。
目の前にいる若者たちは、そんな夢などせせら笑うくらい恵まれた環境にいる。それなのに、こんなくだらんことをしているのか──
来日して以来、日本人に対し抱いていた暗い感情。それが今、心の奥底から這い出ようとしていた。
「お姉さん、そんなに冷たくしないでよ。とりあえずさ、その帽子取って顔見せてよ」
髪を金色に染めた男が、ヘラヘラ笑いながら近づいてきた。その口には、火のついたタバコを咥えている。
その時、ナタリーの右足が飛んだ──
彼女の足先は、口のタバコに直撃した。しかし、顔には当たっていない。タバコは宙を舞ったが、ナタリーは素早くキャッチする。
さらに、タバコの火のついた部分を二本の指でつまんだ。言うまでもなく熱い。常人なら一秒ももたず離してしまうはずだ。なのに、彼女の表情は変わらず、指も離れない。
チンピラたちの顔は一変する。皆、口を開けたままナタリーを見つめていた。そんな中、彼女は二本の指でタバコをもみ消していく。無論、表情は全く同じだ。
やがて吸い殻と化したタバコを、チンピラの手に握らせる。直接、口を開いた。
「警告しておく。君らは強いかもしれないが、私も意外と強いよ。かかわると損するだけだ。からかうなら他を当たれ」
低い声で言うと、ナタリーはチンピラたちの横をすり抜けていく。もし、これで止まらないなら全員殺す……そんなドス黒い気分になっていた。
幸い、彼らに追って来る気配はない。ため息を吐くと、帰宅を急ぐべく走り出した。とにかく、今はあの少年を守ることを優先しなくてはならないのだ。
彼女は気づいていなかった。スマホで、ナタリーの動きを録画している者がいたのだ。チンピラの中にいた唯一の女性である。実のところ、彼女こそがもっとも警戒すべき人間だった。
その女は、動画とともに短いメッセージを送信する。
(白土連盟を襲ったのこいつじゃないですか?)
この時、ナタリーはミスを犯していた。
マフィアの一員だった頃の彼女なら、本能の発した危険信号に従い買い物を中止していたはずだ。それ以前に、こんな時にコンビニなど行ったりはしなかっただろう。
ところが、危険信号を無視し買い物を続行した挙げ句、チンピラと揉める……悪手以外の何物でもない。
もちろん不運な偶然もある。だが、それだけではない。最大の理由は、ナタリーが平和に慣れてしまったことだろう。さらに、日本の裏社会を甘く見ていた部分もあった。自分の潜ってきた修羅場に比べれば、ヤクザや半グレなど……という驕りも心のどこかにあった。
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