B級彼女とS級彼氏

まる。

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最終章

第4話〜繰り返される悲しみ〜

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  「……? あ、ああああのっ、ちょっと待っ――」

  確認の為にと秘書が受話器を上げたその時、どうせ色よい返事など貰えないと思った私は、迷うことなくその扉に手を掛けた。

「……」

 一度来たことがあるからこの部屋のレイアウトは既にわかっている、……つもりだったが、中に入ってすぐに何かが違うと感じた。
 応接セットの向こう側。この会社のトップのみが座る事を許されるそのデスクへと一番最初に目をやれば、そこには今日私が会いに来た相手とは違う人物が腰を落ち着かせていた。
 おかしい、確かにこの部屋だったはず。大きな本棚にびっしりと並ぶ小難しそうな本に、応接セットの配置。天井から床まである大きな窓から見える外の景色もあの時と全く同じだというのに、そこに鎮座している人物の存在が私にざわざわと落ち着かない感情を生み出させた。
 
「……ん? あれ? 歩?? もう退院したの!?」
「え? 歩さん!? わぁっ、本当だ! もうお体大丈夫なんですか??」

 社長の椅子に座っていたのは彼の双子の弟、ジャッ君だった。部屋の隅にあるカフェコーナーには、ジャッ君の奥さんである叶子さんもいる。二人とも私の姿を見てかなり驚いている様子だった。
 ジャッ君に歩み寄る私の後ろを「勝手に入られては困ります!」と、秘書が血相を変えてついて来る。労わりの言葉を掛けられても、傍若無人な行動を咎められてもなんら構うことなく、私はいきなり本題に入った。

「ごめんね、お見舞い全然行けなくって――」
「小田桐と全く連絡取れないから来てみたら……。ジャッ君、これは一体どういう事なの?」

 あれ程足繁く家に通っていたのが嘘の様に、私が病院に運び込まれた日以来、ピタリとその姿を見せなくなっていた。メールは勿論、電話をかけても繋がらない。小田桐が今住んでいる家など知らなかった私は、必然的にここへ来るしかなかった。
 そして今、ここに小田桐はいないのだという現実を改めて知る。彼が座っていた場所には当たり前の様にジャッ君が座っていて、私が何も知らされていないという事に対して特に驚いている様子がない所を見ると、ジャッ君はきっと何かを知っているのだとわかった。

 ――「“前”社長のブランドン・トレスはもうここにはおりません」

 つい先ほど、秘書が言っていた話は本当だったのかと、ぐっと胸が締め付けられた。

「ジュディス」

 私の所為で興奮気味になっている秘書に向かって、下がる様にとジャッ君が命令する。渋々ではあったが秘書が退室すると、ジャッ君は重い溜息を吐いた。
 眼鏡を外し、デスクに両肘をつく。そして、組んだ掌で口許を隠した。
 顔のほぼ半分を覆い隠した事で、少しの表情の変化も見破られない様にする為だろうか、だなどと変に勘繰ってしまう。今までが今までだったが為に、トレス家に対する猜疑心をなかなか取り払う事が出来なかった。

「なんでジャッ君がそこに座ってるの? ……あ、いや、それは別にいいんだけど、そうじゃなくて、その」

 私の言い方ではまるで、ジャッ君にその椅子は不釣り合いだとでも言っている様だ。先ほどの秘書が居たらきっと凄い剣幕で怒り狂うだろう。そうなってもおかしくないほど失礼な言動をした私に、ジャッ君は怒りを露わにするどころか、逆にすまなさそうに眉尻を下げた。

「結婚を機に僕が無理言ってこっちで働きたいって、会長である父とブランドンにお願いしたんだ。その話をしたのが歩と再会する前で、既に色々動いてたからもうどうしようもなくて。……ごめんね」
「い、いや、そんな謝らないで! その辺の事情は良くわかるし、そもそも部外者の私がどうこう言える立場じゃないし」

 叶子さんまでもが、「我儘言って申し訳ありませんでした」とジャッ君の横で頭を下げる。私はクレームを言いに来たんじゃない、小田桐の居場所を知りたいだけなのだと本来の目的を伝えると、ジャッ君の表情はより一層辛そうに歪んだ。

「悪いけどそれは教えられないんだ。ブランドンから口止めされてるんだよ」
「は?」
「ただ、彼はもうここにはいない。――僕が言えるのはそれだけさ」

 眼鏡のテンプルを指先で摘まみ、両手を広げながら肩を竦めた。欧米人特有のそのポーズは、あえて言葉にしなくとも「これ以上、僕にはどうする事も出来ないんだよ」と言わんばかりだった。

「え、ちょ……。――何でっ!? せめて何処にいるかだけでも教えてくれたっていいじゃない?」
「ダメなんだよ」
「そんな、……だって――!」
「ごめんね、歩。本当に僕からは何も言えないんだ」

 そう言って、一度は取った眼鏡を再びかけなおす。それは、もう話すことは何もない、という誰にでもわかる様な合図であった。

「っ!」

 小田桐が居なくなった理由。そして、私にはその理由を知られたくないのだと彼が言う。昔の私であれば、身分の差を気にするが余り自分の気持ちとは裏腹な行動をとっていたが、今は違う。結果を恐れず、何を言われようともう一度会って話しをしたい。そんな思いが、いつもここぞと言う時に限って及び腰になる私を突き動かした。

「お願い、一度でいいから小田桐に会わせて! ……もうこれ以上、自分が決めた選択をいつまでも後悔するのは……嫌、なの」
「歩……」

 つい、過去の事を思い出して涙ぐんでしまった。泣き落としで情報を得ようとするずるい女だとジャッ君に思われたくない。そう心の中では思っていても、込みあがってくるものを堰止めるのはとても難しい状態だった。

「ごめんね、歩」
「おねが……」

 しかし、ジャッ君にその心配は無用だった。そりゃそうだ、これほど大きな会社を取り仕切る人間が、涙一つでその信念を覆す様ではとっくに潰れていただろう。
 彼がそんな小さな人間ではないと安堵する。と同時に、どうやってこの強敵を倒せるのかという問題に私は直面していた。
 と、その時、

「ジャック!!」
「――うわぁっ!? は、え? 何? カナどうしたの??」

 ずっと隣で様子を見守っていた叶子さんが、大声をあげると同時にバンッとデスクを思いっきり叩いた。突然大声で呼ばれたジャッ君は驚きのあまり身を縮こまらせ、反射的に叶子さんとは反対側へと身体を避けた。

「つべこべ言ってないで、さっさとブランドンさんの居場所を教えなさいよ!」
「……いや、だからそれは出来ないってさっきから――」

 拍子抜けしたかのようにジャッ君は頬を緩めたが、当の叶子さんは納得がいかないのか、尚もジャッ君に食って掛かった。

「何で!?」
「何で、って。……カナもあの時横で聞いてただろ?」
「しっ、知らないわよ! 貴方たちって、いつも都合の悪い話をする時は、決まって英語で会話するじゃない」
「え? そうだったっけ?」

 顎に指を置き、斜め上に視線を向ける。そんなジャッ君の様子を見る限り、どうやら本人にその自覚は無いらしい。
 英語と日本語を巧みに使いこなすバイリンガルは、英語で話しかけられたら英語で、日本語で話しかけられれば日本語で受け答えするのが自然と身についている。英語で会話をしていた自覚が無い所を見ると、きっと小田桐から英語で話を持ち出されたに違いない。となると、小田桐は叶子さんに自分がいなくなる本当の理由を知られたくなかった、という事になる。
 どうしてだろう? 
 そんな疑問は、すぐに解決した。

「私だってアメリカに行くって決めてた時、頑張って勉強したんだから。……だから、ち、ちょっと位わかるんだからね! 『セーブ』とか『プロテクト』とかくらいなら私でも聞き取れるし。どうせあれでしょ? 自分が傍に居たら、歩さんと央ちゃんに危害が及ぶからーとかなんとか、恰好いい事言ってたんでしょ?」
「えーっと、カナ? 少し落ち着こうか、ね?」

 ジャッ君が両手で制すも、叶子さんの勢いは止まらない。

「だからってそんなの、――女からしてみたらありえないからっ! 何も知らされずに急にいなくなって……。貴方たちはそれでいいのかも知れないけど、残される者の身にもなってよ!」
「カナ……」

 叶子さんはまるで自分の事の様にそう言い放つと、感極まったのか両手で顔を覆い肩を震わせた。
 異変に気付いたジャッ君は、立ち上がってそっと叶子さんに寄り添い、優しくその小さな肩を抱きしめる。そして「ごめんね」と何度も叶子さんの耳元で呟いた。
 多分、この二人も私と同じような事があったのだろう。そして、小田桐はきっと同じ経験をした事のある叶子さんに、反対されるのがわかってたんだ。

「……」

 そうなるのを恐れ、彼女の理解出来ない言語で話をするほど私から離れたかったのだと、……思い知らされた。





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