B級彼女とS級彼氏

まる。

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最終章

第5話〜最後の手段〜

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 私を刺した犯人は顔が完全に割れていた所為か、程なくして無事捕まった。もう央を狙う脅威はなくなったとはいうものの、やはり女二人だけの暮らしは常に心配が付きまとう。桑山さんから一緒に住もうと打診はあったが、桑山さんの私に対する感情を知ってしまった今、その申し出をすんなりと受け入れる事など当然出来なかった。
 結局、私たち親子はジャッ君が用意してくれたマンションに引っ越した。セキュリティーも最新式、大抵の施設が徒歩圏内の場所にある。ここはジャッ君が手配したマンションだと言っていたが、多分きっと小田桐が用意したものだろう。と言うのも、これほど高級なマンションだと言うのに食洗器は勿論、IH調理器具も衣類乾燥機もないからだ。私がそれらを嫌っているのを知る者が間に入ったからこそ、何一つ文句のつけ所の無い家を用意する事が出来たのだと、この家を見て最初にそう感じた。
 そうやって、本人は傍に居ないと言うのに、事あるごとに小田桐の足跡を見つける。彼の事を思い出す度、それは刺された傷の痛みよりも、何倍もダメージが大きいものであった。

「歩ちゃん」
「……? どうしたの央?」

 央に話しかけられて初めて、洗い物をする手が止まっていた事に気付いた。

「ん? 何それ?」

 私に見せる様にして細長い包みを胸元に上げる。出しっぱなしになっていた水を止め、タオルで手を拭く私に「アメリカ行のチケット」だと央は言った。

「へ、……へぇー。央、旅行でも行くの?」
「違う、私じゃない」
「違うの? ふーん。あ、そうだ、今日見たい番組あったんだ」
「歩ちゃん!」

 央の横を通り過ぎ、炬燵の中に潜り込んでテレビをつける。そんな私の後を央はすぐに追って来て、隣に座って私の前に先ほどのチケットを置いた。
 私はテーブルの上に置かれた封筒をチラリとだけ見て、すぐに視線を画面に移す。

「……行かないよ?」

 チャンネルのボタンを順番に押していきながらそう言うと、央の声がまた大きくなった。

「ダメ! 行った方がいい! 絶対二人とも間違ってる! 行ってちゃんと話し合って来て!!」
「あー……のさ? 央にはわからないと思うけど、色々と大人の事情ってもんがあるのよ」

 リモコンを操作する手がいつまでも止まらない。別段見たい番組などあったわけでもなく、あの場を切り抜ける為に言った嘘は動揺している様を露呈する事となった。

「そうやって!」
「あ」

 とうとう、央にリモコンを取り上げられ、ついでにテレビの電源も切られてしまった。これじゃあどっちが子供だかわかりゃしない。取り戻そうと手を伸ばすと、リモコンは更に遠い場所に追いやられた。

「いつもは『もう子供じゃないんだから』とか言うくせに、こんな時に限って『子供だから』って、私にはまるで関係ないみたいに突き放されるのはいや。もっと色々話して欲しいし、頼って欲しい。歩ちゃんっていつも一人で頑張り過ぎなんだよ」
「そんなこと――」

 そんな風に思ってたんだ。子供に心配させてしまうなんて、ダメな親だな。

「とにかく! 私が貯めたお金でやっと買えたんだから、絶対行ってよね。もしこれ無駄にしたら、もう一生口きかないから! じゃあね、お休み!」

 央は言いたい事だけ一方的に話すと、頬をぷくりと膨らませながら自室に閉じこもってしまった。
 テーブルに顎を置き、目の前に置かれたチケットを手に取る。

「はぁー。……一体誰に似たんでしょーね?」

 棒読みでひとりごちると、自然と笑みが零れた。小田桐を想って暗くなっていた気持ちが、央のお陰で僅かばかりではあったが明るい気持ちになれた。


 ◇◆◇

 冷たい風が首元を通り抜け、思わずぶるっと肩が震える。確かに、十二月にしては薄着ではあるが、それはこの辺の地域は冬でもそう寒くないと知っての事だった。

「おい、この辺は寒くないはずじゃないのか? 今にも雪が降りそうな雰囲気だぞ」

 丁度車から降りて来た秘書に向かって、まるで彼女を非難するように叫んだ。

「何言ってるのブランドン。この辺りは寒暖差が激しいから、昼間はTシャツでも夜はコートを着る事もあるって、アメリカ人なら常識じゃない。日本ボケしてんじゃないの?」

 車の中から厚めのコートを取り出したカレンは、満足そうにその袖に腕を通した。

「マジかよ。こんな事ならコートを持って来るんだった」

 その場しのぎではあるが、ポケットに両手を突っ込んで温もりを探す。寒いとは言えオフィスはもうすぐそこ。一時の寒さを我慢するのは、そう難しいものではなかった。

「なんなら、私が暖めてあげてもいいのよ? ほら、丁度良さげなホテルもこの辺ならそこら中にある事だし」

 キツイ香水の匂いが鼻につくと同時に、カレンがその豊満な身体を俺に摺り寄せてきた。紅く長い爪で引っ掻く様にして俺の胸元を辿り、鼻にかかった猫なで声で男を誘う。何歳になろうが男を惑わすその癖は未だ健在。一体、今まで何人の男をたぶらかしてきたのかと、一度、彼女の武勇伝を聞いてみたくなった。

「悪いが、俺はもうそういった類の誘いには乗らん。他を当たれ」
「えー? もう使い物にならなくなったの? ちょっと早くない?」
「馬鹿。そんなんじゃない」
「じゃあ、いいじゃない。今日はもうオフィスに戻るだけだし、久しぶりに楽しみましょうよ」
「あのな、いい加減――」

 しなだれかかるカレンを振り解こうとしたその時だった。

「小田桐!」

 俺が唯一抱きたいと思える女の顔を思い浮かべた時、まさにその女が俺の名前を大声で呼んだ気がした。

 ――なんだ? 俺、疲れてるのか?
 そのまま聞こえない振りをしていると、俺の右腕にしがみついていたカレンが、なんとも間の抜けた声を上げた。

「あれま」
「? ……っ!」

 それにつられて俺も後ろを振り返る。と、信じられない事に、寒さで鼻の頭を真っ赤にした芳野が、鋭い目つきで俺たちを睨み付けていた。

「え、おま、……なんで??」

 願望からなる幻聴だとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。本物の芳野が俺と同じくして気候のチェックを怠ったのか、コートも着ずに薄着で立っていた。
 ズカズカズカとこっちの方へ向かってくると、俺に向けていた鋭い視線は流れる様にカレンへと向けられる。更に鋭くカレンを睨み付けると、俺の方を指さした。

「ヒーズ マイン!!」
「え? ……あ、ちょっと何よ!?」

 芳野はそう言って啖呵を切ると、カレンの腕に掴みかかり俺から引き離そうとする。当然の様に、カレンは鳩が豆鉄砲食らったような顔になってるし、俺としてもどう対処していいかわからない。芳野がここにいる事にも驚きだが、「この男は自分のものだ」だなんて、恥ずかしげもなくそんなセリフを“あの芳野が”言い放った事にも驚いた。

「……」
「小田桐に近寄らないで! 向こうへ行って!」
「なっ、何なのよ、いきなり。ちょっと、ブランドン! ボーっとしてないで、この女どうにかしなさいよ」
 
 しばし、麻痺状態にあった俺の脳が、カレンの叫びによりやっと覚醒する。早くこの事態を収束させねばと心を落ち着かせる事に徹し、大きく息を吐いてから芳野を見据えた。
 
「向こうへ行くのはお前の方だ、芳野」
「――っ!」
 
 カレンを掴んでいた手が力なく解かれる。先ほどまでいきり立っていたのがウソの様に、芳野は一気に大人しくなった。
 
「なっ、んで……」
「見たらわかるだろ? 俺たちは今仕事中で、これからオフィスに戻るところなんだ。邪魔しないでくれ」
「仕事、中?」
「ああ。……これは秘書だ」
 
 俺は少し言い難そうにそう言うと、少し乱れていた胸元を慌てて正した。
 先ほどまでのやりとりを考えると、とても秘書と言える様な間柄には見えないだろう。差し詰め、社長とその愛人。そんなところか。
 どっちにしろ、今更芳野にどう思われ様が構わない。俺はもう芳野達とは関わらない、そう固く心に決めたのだから。
 
「じ、じゃあ、仕事終わるまで待ってる。話があるの」
 
 俺の決意とは相反し、どうやら芳野はこれ位では引き下がる気は無い様だ。そりゃ、遠路はるばる遠いアメリカまで来たんだ。ああ、そうですか、だなんてあっさり帰るわけには行かないだろう。
 ここは、はっきり告げた方がいい。そう思った俺は、冷たい男になる事に徹した。
 
「何時に終わるの?」

 俺の様子を窺っているのか、物言いがたどたどしい。今だとばかりに俺が大袈裟に溜息を吐くと、僅かに芳野の眉が顰められた。

「芳野、いい加減にしてくれ。何を思ってこんなところまでやってきたのかは知らないが、俺はお前たち親子と仲良く家族ごっこなどやっていく気は毛頭ない。無論、生活費云々などはこれからもバックアップしていく。だが、それだけだ。……俺たちは所詮、金だけの繋がりだと思ってくれ」
 
 借金が原因で両親が自殺した過去を持つ芳野は、昔から金絡みの話をすると一気に嫌悪の表情を見せる。こう言えば、こいつも夢から覚めるだろう。そう思ってわざとそんな風に言ったのだった。
 
「わかったらさっさと――」
「っ! 馬鹿!!」
「痛ッ!」

 
 思った通り、顔をぐしゃぐしゃに歪めた芳野は、今正した俺の胸元めがけて何かを思いっきり押し付けてきた。それがなんなのかはわからないまま、とりあえず落ちない様にそれを両手で受け止めている隙に、芳野は逃げる様にしてバタバタと走り去った。

「よっ――、……」

 俺はその背中を追いかける事が出来ず、あいつの姿が見えなくなるまでただ、じっと見つめていた。
 本当は追いかけて腕の中に閉じ込めたい。体はもう大丈夫なのか、新しい家は問題ないか、央はどうしてるんだとか、色々聞きたい事が山ほどある。しかし、俺が芳野に関わると昔からろくなことが起きないのだと、芳野が刺されてしまった事で痛感した俺は、自分の欲よりもあいつの安全を優先するしかなかった。
 きっと、時間が経てばまたすぐに忘れる。
 自分に言い聞かせる様に、その台詞を頭の中で何度も呟いた。
 
「はぁー、もうなんなの? あの女。感じ悪い」
 
 邪魔者はいなくなったとばかりに、カレンはまた俺にすり寄ってくる。俺が彼女の名前を呼ぶと、「やっぱりホテルに行く気になった?」と性懲りもなくまた誘って来た。
 
「芳野の事を“あの女”呼ばわりするな」
 
 途端、ムッとした表情になり、俺から少し距離を置く。お前は一体どっちの味方なんだと訝しんでいるのがわかった。
 
「……? あ、ねぇ、それってなんなの?」
「ん? ああ、これは」
 
 芳野に渡されたもの。それは随分前に俺が央に貸していたミステリー小説だった。
 
「さっきの……って、あれよね? ブランドンが昔付き合ってた子でしょ? 私、覚えてるわ。日本人ってほんっと何年経っても変わんないのね、やんなる」
「心配するな、お前も全然変わってないよ」
「ほんと?」
「ああ」
 
 ――男好きなところがな。
 俺がどう思っているのかも知らず、カレンは満足そうにしていた。
 
「……? なんだこれ?」
 
 きっと、しおり代わりにでもしていたのだろう、本の間に小さな封筒が挟まれていたことに気づく。封のされていないそれを何気に覗いてみると、中に入っていたのは指先程のサイズに何重にも折りたたまれた紙屑だった。
 ただのゴミだろうか。そう思いながらも固く折りたたまれたその紙に引き寄せられるように、ゆっくりと慎重に開いていく。徐々にその姿が露わになっていくに従い、紙を捲るスピードが速まって行った。
 
「――、……っ」
「え? なぁにぃー? ……わぉ! ブランドン、これって」
 
 幾重にも折り皺がついた紙には、ずっと俺の心の中で迷い続け、結局決断できないままだった“あること”が記されていた。

 ――まさか、嘘だろ? あいつがこれを?
 半信半疑になりながらも、とりあえず失くしてしまわない様、もう一度封筒の中に入れた。それを内ポケットの中へと仕舞い込んだ時、固く揺らがない筈の決心は、脆くも崩れようとしていた。
 
「カレン」
「ん?」
「急激に体調が悪くなったから、今日は早退するって皆に言っておいてくれ」

 本をカレンに手渡し、既に走り出そうとしている俺を見てカレンは頭を抱えている。

「あー、はいはい。いっそインフルエンザにかかったって言っとくから、一週間位戻ってこなくていいわよ」
 
 背中越しに秘書の了承を得る事が出来た俺は、芳野が立ち去った方角へと急いで向かった。




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