B級彼女とS級彼氏

まる。

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第5章 予想もつかないことって結構あるもんですね

第1話〜心の成長〜

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「NGOですか?」
「ああ。井戸を掘ったり道路を作ったりもしたぞ」

 なんだかんだと私は仕事を辞めることが出来ず、不毛だとは感じながらもアシスタントの仕事を続けている。三ヶ月も経てばそれなりではあるが仕事にも慣れ、エロ関係も以前と比べれば比較的冷静に対処する事が出来るようになった。ただし、それはモデルさんが女性の場合だけであって、男性との絡みが入る場合は桑山さん単独で撮影に出かけるといった具合で、私は別の仕事を任されていた。本当はモデルさんが増員される分人手が必要になってくるのだが、流石に男性の裸を直視出来る自信までは持ち合わせていない。私からその事を申告せずとも桑山さんは自然とそれを察し、そういう仕事が入る時は私には何も言わずに別の仕事を用意してくれていたのだった。
 今日は女性モデル一人だけの撮影と言う事もあり、一緒に現場に向かっていた。そして何気なく始まった思い出話に花を咲かせ、電車に揺られながら桑山さんの以前の仕事の話に耳を傾けていた。

「カメラの仕事で行ったんじゃないんですか?」
「いや、勿論カメラの仕事がメインだぞ? 募金を募る為の資料用の写真にボランティア団体の機関紙。フェアトレード用の写真とかな。まぁ、そうは言ってもすぐにやる事がなくなってな。テレビも何も無いから時間を潰そうにも潰す術も限られてるし、ある程度いいのが撮れたらそういうことも手伝ったりもするんだ」
「へー」
「それでな、……、――、――」

 桑山さんはずっとこの仕事をしていたわけではなく、ある程度資金を貯めては途上国に渡航していたらしい。カメラマンって言ってもそういう仕事の仕方もあるんだなぁと桑山さんの話に聞き入っていたのだが、色々聞いているうちにふとある事に気が付いた。

「あの、もしかして又行く予定ってあったりします?」
「ん? ……あ! 大丈夫、大丈夫! しばらくは日本で大人しくしてるから、歩が仕事にあぶれる事はないぞ? それに、もし俺がまた行くって事になれば、他にあてがあるからちゃんとそこに話を通すし」
「あ、それならいいんですが」

 じゃあ、今すぐその他の仕事を紹介して下さい。なんてこと口が裂けても言えず、どこかホッとしたような、がっかりしたような。そんな気分だった。そもそもこの人の紹介だとどうせまた同じ様な仕事になるに違いない。もっとえぐい内容の仕事だったら困る。もし、桑山さんがまた行く事になった時の事を考えて、慎吾さんとの交流を断たないようにしとかないと、と心の中で思っていた。

「歩は最近髪をあげてるんだな」

 横並びに座っている桑山さんが、頭を後ろに反らし私の後頭部を覗き込んだ。頭を後ろに下げすぎて、窓にゴツンと後頭部がぶつかる鈍い音が聞こえた。

「へ? あ、はい。この方が邪魔にならないですし。……変ですか?」
「あー、いや。良く似合ってるよ」

 桑山さんは自分の頭を擦りながら、私の後頭部をまた覗き込んだ。

「――ん? うなじにあざがあるぞ? こんなとこ何処でぶつけたんだ?」
「え?」

 左手を首の後ろに回し、桑山さんの視線の先辺りを撫でた。痣があると言われたがぶつけた記憶など無く、指で押してみても痛いところは無い。

「大きいですか?」
「いや、割とちっさ……、――ああ、そういうことか」
「?」
「ああ、なんも無い。――お、次で降りるぞ」
「あ、はい」

 急に桑山さんの顔が全てを理解したような表情に変わった。何故そんな表情をしたのか理由を聞くことは出来なかったがその事は特に気にも留めず、網棚の上の荷物を下ろすために立ち上がった。


 ◇◆◇

「うっし、次、衣装チェンジしよっか。歩、よろしく」
「はい」

 今日は女子高生をテーマにした撮影だった。普段着バージョンを取った後、お次はセーラー服に着替えてもらう。

「わぁ! 嬉しい! 私、中学、高校とブレザーだったからセーラー服って憧れてたんだぁ」
「そうなんだ。よく似合ってるよ」

 余程嬉しいのか、モデルさんはスカートを両手で持ち上げ鏡の前でくるくると回っている。私も最終チェックをする為に、色んな方向からおかしなところは無いか確認する。今、巷では妹系が流行っているらしく、髪型をツインテールにセットしてメイクもそれにあわせナチュラルにし、自分流でそれっぽく仕上げてみた。
 人生って本当にわかんないもんだなってつくづく思う。数ヶ月前までは他人にヘアセットやメイクをするだなんて思いも寄らなかった。自分の事ですら全く興味が無くほったらかしだったのに、今では仕事で必要だからと雑誌を買い込みそれなりに勉強した。そのお陰か私自身、化粧や髪型のセットを毎朝キチンとするようになり少しは女らしくなったと思う。

「私、芳野さんのメイクって好き!」
「え?」

 鏡越しに今日のモデルのリョウコちゃんがそんな事を言い出した。

「だって、他のとこでやってもらうと厚塗りでケバくなるんだもん。でも、芳野さんのは全然ケバくない!」
「ほんと?」
「うん。毎回芳野さんが担当してくれたらいいのになぁ」
「あはは。メイク専門とかじゃないから、よそのスタジオにまで押しかけるのは無理だよ」
「ふーん。大人の事情ってやつ?」
「まぁ、そうかな」

 地道にやって来たことが初めて他人に認められた瞬間だった。
 とりあえずこの仕事を続けてきたものの、やる気は依然下降気味。この際、桑山さんがまた海外に行く事にでもなってくれればすっぱり割り切れるのに……、なんて思っていた矢先だった。
 コンビニでも仕事の成果を認められる事があるにはあったが、“私でないと”と言うような褒め言葉は初めてだ。私と言う人間を認めてもらい、私と言う人間を必要としてくれている。 
 その言葉に、私の心は大きく揺れ動いた。

「――、……っ、は、はい。オーケーだよ」
「はぁい、有難うございまぁす。あ、芳野さんって今度の撮影は来る?」
「今度、……は」

 彼女との次の仕事は確か男性モデルとの絡みがある撮影だったはず。きっと桑山さんはまた私に別の仕事を準備してくれるのだろう。

「えーっと、今度のは」
「芳野さん、たまに居ない日あるよね? 芳野さん居ない日は外してもらえるように事務所に言うから、もし出られなかったらあとで教えて? んじゃ、行って来まーす」
「え? や、あの」

 リョウコちゃんに向けて伸ばした私の手は、真剣に彼女を呼び止めようとしていない事に自分でも気が付いていた。私のせいでモデルさんが来なくなるかも知れないという責任を感じるよりも、自分が求められているという事実を知り本当に嬉しかった。




「はい、じゃあ今日はこれで終り! お疲れさん!」
「お疲れ様でしたぁ。じゃあ着替えてきまーす」

 全ての撮影を終え、私と桑山さんは後片付けを始める。カメラをケースの中に入れている桑山さんの背後でベッドの乱れを整えながら声を掛けた。

「あの、次回のリョウコちゃんの撮影なんですが」
「ん? えーっと確かその日は……。ああ、歩には出版社にお使いに行ってもらおうと――」
「私も同行します」
「は?」
「出版社にお使いも行きますし、撮影も同行させて下さい。お願いします」

 振り返った桑山さんに向かって私は頭を下げた。自分の足先が近くに見え、あんなに嫌がっていたエロの仕事だというのに、何故頭を下げてまで同行したいと思えるようになったのかなんて深く考えずともわかる。単純な人間なのだ、私は。小田桐の事もそうだが、今まで生きてきた中で人に必要とされた事など一度も無かった。だから私は今きっといい気になっているだけ。その内、掌を返すように捨てられるかもしれないのに、今のこの気持ちに嘘を吐きたくは無かった。
 やらずに後悔するよりもやって後悔した方がまだましだ。B級だと言われていたあの時代の自分を思うと、こんな風に前向きに考えられる様になったのが本当に信じられなかった。

「よし、わかった。ただし、弱音を吐くなよ?」
「はいっ」

 頭を上げると桑山さんは顎の無精髭を撫でながらうんうんと頷き、優しげな笑みを浮かべていた。

「じゃあ、また次もお願いしまぁす。お疲れ様でしたぁ」
「お疲れさん!」
「お疲れ様……あ、リョウコちゃんなんか忘れてるよ?」

 私の声が届かなかったのか、リョウコちゃんは扉の外へと出て行ってしまった。

「ちょっと行ってきます」
「あいよ」

 手帳のようなものを拾い上げるとリョウコちゃんの後を追う。エレベーター待ちしているリョウコちゃんを見つけ、彼女がエレベーターに乗り込んでしまう前にと名前を呼ぶと、気付いたリョウコちゃんがきょとんとした顔で近づいて来た。

「リョウコちゃん、これ、忘れてるよ」
「? ――あっ!」

 はい、と手渡した時に初めてその忘れ物の正体がわかった。――ついでにリョウコちゃんの正体も……。

「え? 何コレ? 生徒手帳? S女学院、3年Ⅱ組 樽崎ならざき涼子……。――リョ!? リョウコちゃんってまだ高校生だったの!?」
「えへ。ばれちゃった」

 ペロッと可愛らしく舌を出したリョウコちゃんは悪びれる様子も無く、顔の前で両手を合わせて片目を瞑った。

「お願い芳野さん! このこと誰にも言わないで? ね?」
「えぇっ……」

 ポンッとエレベーターが到着する音が聞こえると、リョウコちゃんは慌てて踵を返した。

「じゃあね芳野さん、また今度ー。お先でぇーす」
「は、はぁ」

 エレベーターの中に入るまで何度も振り返っては手を振るあどけない仕草に、私は閉口しつつも力なく手を振り返していた。


 ◇◆◇

 酒の匂いをプンプンさせ、赤い顔をした人たちと一緒に電車に揺られて帰路に就く。電車通勤など生まれてこの方したことがなかったが、電車の揺れというものは疲れきっている私をなんなく眠りの世界に誘う。目が覚めたときには終点の駅だった。――なんて事を一度経験してからは電車の中で絶対眠っては駄目だといつも自分に言い聞かせ、私は落ちてくる瞼と戦っていた。
 改札を出た時、そこにいる人々の視線の先が同じところを向いているといった事が何度かあった。最初のうちは路上パフォーマーが何かやっているのかなと思っていたが、最近そうでは無い事に気がついた。今日も改札を出ると、そこで待ち合わせをしているらしき人も、今から改札の中へと入ろうとしている人も、男性だろうが女性だろうがかなりの人が同じ場所をチラチラと見ている。

「またか。……ふぁー、ぁふっ」

 ポツリとひとりごちながらあくびをする。そして、その視線の集まる方向へと足を進めた。

「この町内で一、二を争うほど不細工な顔だったぞ」
「……良かった。区内じゃなくて」

 ズボンのポケットに両手を突っ込み、壁にもたれ掛かっている小田桐の姿を見つけた。






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