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第5章 予想もつかないことって結構あるもんですね
第2話〜調教〜
しおりを挟む改札口付近で感じた予感は的中した。大声を張り上げるなどして皆の注目を集めようとせずとも、立っているだけで自然と視線を集めてしまう小田桐。その注目の的となっている相手に声を掛けるということが、どれほど勇気がいるのかこの男はまるでわかっちゃいない。
疲れているところに余計に気を使わさせられるのが嫌で、私は小田桐の前を素通りした。
「人がせっかく迎えに来てやったっつーのに、お礼も無しかよ」
「誰も頼んでないじゃん」
振り返ることなくスタスタと家路を急ぐ私のすぐ後ろを、ジーンズのポケットに両手を突っ込んだ状態で小田桐はついて来た。
以前までは部屋の前で待ち構えていることが多かったのだが、アパートの住人の目があるからやめてくれと頼みこむと、今度は駅前で待ち伏せするようになってしまった。ただでさえ何もしなくても目立ってしまう彼の容姿のせいで、私までもが注目を浴びてしまう事になるとは当時の私はこれっぽっちも思っておらず、よく一緒に帰っていた。そして次第にすれ違う他人の目が私と小田桐を何度も見比べている事に気付き、私は自分の身の丈を知った。
「芳野。メシ食って帰ろうぜ」
「もう桑山さんと済ませてきた。……ってか、お願いだから私に話しかけないでよ」
「ああん? 何で」
「あんたと知り合いだって思われたくないから!」
一から説明するのが面倒で結構省略して言ってしまったが、後ろをついて来る小田桐は特にその事を気にしている様子は無さそうだった。
駅前に停めていた自転車の前カゴに荷物を放り投げ、施錠を外す。時間も遅い所為か人気もまばらな屋外の駐輪場は薄暗く、ポツンとひとつ外灯があるだけだった。
「そもそも、私いつも自転車だってわかってるクセにあんたは何で歩きなのさ? 疲れて帰ってきた私が何故か前であんたはさも当たり前のように後ろに跨るし!」
横に立つ小田桐に目を向けず自転車を引っ張り出す。しかし、ハンドルが両隣の自転車に引っ掛かっているせいでスムーズに出す事が出来ず、ガンガンと力任せに引っ張っていた。
「大体ねぇ! 男だったら――」
「貸せ」
自転車を出すのにもたついてる私からハンドルを奪うと、軽く持ち上げてあっさりと自転車を出す。直前のやり取りからして『有難う』なんて簡単に言える雰囲気ではなく、私はいい歳してむくれていた。
「で? “男だったら”何?」
少し勝ち誇ったような表情でハンドルを手渡される。
「っ、もういいです!」
男と女の力の差のようなものを見せ付けられたような気がし、奪い取るようにしてハンドルをもぎ取った。
「芳野」
「なによ、――んっ」
顔を上げるとすぐ目の前に小田桐の顔が近づいていて、あっさりと二人の唇が重なり合う。いやらしい感じは一切なく、そのキスは極々自然に行われた。
ゆっくりと唇が離れていく。一つになった影がまた二つになった時、ガチャンッと誰かが自転車の施錠を外す音を耳にした事で私は素に戻る事が出来た。
「……っに、やってんのよ」
「キス?」
飄々とした態度で小田桐はそう言ってのけた。確かに人気は無かったが決してゼロでは無い。誰が見てるかもわからないような状況下での突然のキスは、後になってじわじわと私の顔を熱く火照らせた。
「……しかし、どんだけ鶏好きなのかねぇ」
腹が減ったと五月蝿い小田桐の為に、常に在庫しているチキチキラーメンの袋を開封しながらポツリと呟いた。傍らでは沸点に到達した水が、やかんの注ぎ口からもわもわと白い湯気を立ちのぼらせている。
「あ? なんか言ったか?」
「いーえ、別に何も」
私の呟きが聞こえたのか、小田桐がキッチンへとやって来た。ガスコンロの火を止め丼にお湯を注ぎ始めようとした時、腹部に小田桐の腕が巻きついてきた。
「ちょっ、こら! やめっ!」
「お前にメシ作ってもらえんのってかなり久し振りだな」
「は、はぁっ!?」
自慢じゃないが、私は料理が出来ない。いつもコンビニの廃棄弁当やらインスタントラーメンやらでどうにか生き延びてきたような、それはそれは二十五歳の女とは思えぬ酷い暮らしぶりだった。今の時点で料理が出来ないと自覚しているのだから、過去を振り返っても小田桐に手料理を振舞った記憶など勿論ない。――そう言えば、コンビニで久々の再会を果たした時も私の手料理がどーたらこーたらと小田桐はのたまっていた。あの時は、単に私を辱める為に言った作り話だと思っていたが、先程の言い方からするとあの台詞は冗談ではなかったと言う事だろうか。
その事を問いただそうにも背中を抱きしめられ、首元に顔を埋められては冷静に話をすることなど到底出来そうにもなかった。
「あ、危ないって! お湯! お湯っ!」
「芳野、――俺、もう我慢できそうにない」
髪をアップにしているせいで首元で喋られると直に息が吹きかかる。ピクリと身体が小さく反応し思わず息を吸い込むと、首筋をペロリと生暖かいものが這う感触がした。その生暖かいものはチュッチュッと卑猥な音を立てながら首筋を伝い、耳朶へと到達する。湿り気を帯びた生暖かい場所に耳朶が包まれるのがわかると、あっけなくやかんは再びガスコンロの上へと下ろされた。
「……も、――き、昨日もシたじゃん」
徐々に迫り来る快楽に流されないように必死で煩悩を掻き消そうとしても、こうも次々に刺激を与えられてはどんどん正気から遠ざかっていく。やや乱れた呼吸音が耳元に聞こえてしまえば、感情を抑制するのも難しくなった。
「早く。――歩」
「……っ」
小田桐は卑怯だ。普段は絶対名前で呼ばないのに、こういう時だけ名前で呼ぶ。しかも、耳元でねっとりと絡みつくように。最初は拒否していても、そうやって艶っぽく名前を呼ばれると私の身体の力が一気にふにゃふにゃと脱力してしまう。
そうなる事を彼は既に心得ているのか、そんな私の様子を見ると決まって口の端を上げるのであった。
「早くしろよ。……のびるだろ?」
「……、――え?」
腹部に回されていた手がぬっとガスコンロに伸びたと思えば、その手はおもむろにやかんを握り締めた。トポトポと熱いお湯を丼に注ぎいれると、背中に感じる身体の熱がパッと消え、身体を離した小田桐は零さないようにそっと両手で丼を持ち上げた。
先程の雰囲気は一変し、しばらく無言で猫背になっている小田桐をじっと見詰める。私が固まっている事に気付くと眉を顰めながら私を見返した。
「お前何勘違いしてんの? エッロ」
「――、……っ! ば、……あんたってほんっと最低!」
まんまと小田桐にしてやられ、あまりの恥ずかしさにこのまま消えてなくなりたいと思った。
騙されたとは言え、少なくともどこかで淡い期待を抱いている自分が居た。初めはあんなに嫌だったのに、今では嫌だといいつつもなんだかんだと受け入れてしまっている。
嫌よ嫌よもなんとかとはよく言ったもので、自分も気付けば小田桐に手なづけられていたのだと自覚した瞬間だった。
「芳野」
「な、なに!?」
丼を運び終えた小田桐が再びキッチンへと顔をのぞかせた。
「ちゃんと後で可愛がってやるから。心配すんな」
「――っ!! う、うるさいっ!」
意味深な笑みをニヤリと浮かべている小田桐に向かって投げつけた布巾はここぞとばかりにノーコンを発揮して、すぐ横の壁に当たりズルズルと床に落ちた。
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