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第一章
約束(1)
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「師匠。まさかアンタ、死んじまうのか……?」
夕日が差し込みオレンジ色に染まった病室――。
直人は信じられない光景を前に震えながら、今にも消えてしまいそうなほど細い声で、尋ねた。
そんな問いにベッドで横たわる榊はいつも通りの飄々とした態度で、
「ああ、そうみたいだな」
と。自分の死に関する話なのに、どこか他人事のように答える。
「笑えねぇ冗談はやめろよ……。アンタがっ。日ノ丸テレビの生きる伝説なんて呼ばれてるアンタが病気なんかで死ぬわけないだろっ!」
「おいおい、あんましデカイ声出すなって。お前が俺をどう思ってるかは知らんが、これでも一応普通の人間だぞ? まだ治療法が確立してないような大病に罹っちまったら、そりゃ簡単にお陀仏するさ」
「……自衛隊よりも過酷な業界で無敗だった男が、病気なんかに負けるって言うのかよ」
「勝ち負けで言うなら、そういうことになるな。ま、いままでが偶然無敗だったってだけで、いつか負ける日が来るとは思っちゃいたんだ。それが今日で。その相手が白血病って名前だっただけだ」
あくまでいつも通りに。
死の間際でもどこか余裕を見せながら榊は言う。
でも榊の言葉は直人には――直人だからこそ受け入れられる言葉ではなかった。
「そんな理屈……納得いかねぇよっ!!」
叫んだのと同時に必死に堪えていた大粒の涙があふれ出す。
それを見て榊は呆れたような、困ったような表情でため息をついた。
「ったく……。お前ももう高校生だろ? 簡単に泣くんじゃねぇよ。男は簡単に泣いちゃいけねぇってガキの頃から口酸っぱく教えてきただろ?」
「うるせぇ。うるせぇ……」
拭っても拭ってもあふれてくる涙と乱れ続ける呼吸。
声にならない声で改めて榊に尋ねる。
「悔しく、ないのか? やり残したことは、ないのかよ……っ」
「……そうだな。俺が抜けた途端に日ノ丸テレビがボロボロになっちまったのは悔しいし、情けねぇ連中だと思う。出来ることなら俺がもう一度、日ノ丸テレビをトップに返り咲かせてやりたいと思ってるさ」
「だったら……だったら簡単に諦めんなよっ! 俺の憧れた師匠ならあっという間に病気に勝って、また元気な姿で日ノ丸テレビに戻れるって!」
「ははっ。誰に似たのか、お前はいつも無茶苦茶なことばっかり言いやがるな。まぁ、弟子にここまで言われちまったら師匠として応えてやりたいが……」
榊は瘦せ細った拳をぐっと握りしめる。
その姿だけを見ればまだまだ元気そうで。まだまだ覇気に溢れていたのに――拳はすぐに力無く解かれた。
そして心底申し訳なさそうに榊が呟く。
「悪いな……。今回ばかりは無理みたいだ」
「――――っ」
ここに横たわる男は、もう自分の知っている師匠じゃない――。
その事実を目の前で見せつけられて、直人はもう何も言えなかった。
「情けねぇ師匠ですまんな……。でもそんな顔すんなって。たしかに悔しいとは思っちゃいるが心残りがある訳じゃないんだ。一時期とはいえ日ノ丸テレビは確かに業界視聴率一位の座を手に入れた。その事実は消えねぇ。当然記録に残るし、それを見てたお前の記憶にも残ってる。俺はそれで十分なんだよ」
「じゃあもう……、日ノ丸テレビが一位になってる姿は見なくていいのかよ……?」
意地の悪い言葉だとわかっていながら……敢えて言った。
諦めなくちゃいけないのもわかっている。
けれど、どうしても諦めきれない。
大事な人が死んでいくのを黙って見て居るのは耐えられない。
どうにかして師匠を引き留めたい。
そんな思いが、あふれ出てしまった。
それでも――。
意地の悪い質問にも、榊はやはりいつも通りに笑った。
「バーカ。見れるもんなら見てぇに決まってんだろ。けど俺にはもう出来ねぇ。こればっかりは変えられない事実なんだ。だから……そうだな。誰かがもう一度日ノ丸テレビを業界一位にしてくれるのを、天国ってところから楽しみに眺めておくさ」
そう言い放った榊の言葉が直人の耳に吸い込まれる。
正直、腹が立った。
自分の生を諦めきっていることにムカついた。
自分の夢を顔も知らない誰かに託しているのが、どうしようもなく気に入らなかった。
だから覚悟を決めて――口を開く。
「だったら、俺がやる」
「――――あ?」
聞き取れなかったのか、それとも聞き取れなかったフリをしているのかわからない。
ならばと。もう一度、腹の底から叫んでやることにした。
「アンタの代わりに俺がっ! 日ノ丸テレビを一位に返り咲かせるって言ったんだよッ!」
きっと、聞こえなかったフリをしていただけなのだろう。
「……本気で言ってるのか?」
榊はあまり驚いた様子もなく、そう言った。
「お前も知っての通り、特報隊はこの国で最も危険な職業と言っていい。確かにお前には槍術の全てを教えたが、それは俺が残せるモンがそれしかなかっただけで、お前が俺と同じ道を歩む必要はまったく、これっぽっち無いんだぞ?」
「本気だ」――即答した。
「そもそも高校卒業する前には伝えるつもりだったんだ。その準備だってオッサンと一緒に始めてた。なのに師匠が死ぬなんて言うから、計画がグダグダになっちまったじゃねぇか……っ」
「は、ははっ。そうか、そりゃ悪いことしちまったな」
困った表情を浮かべながらも、榊は器用に笑った。
「もう一度。もう一度だけ言うぞ。俺がもう一回、日ノ丸テレビを業界一位にしてみせる。だから師匠、アンタは安心して……」
こみ上げてくる何かをぐっと飲みこんで――。
「安心してっ、死にやがれ……っ!」
直人の言葉は病室全体に響き渡り、そして榊の耳へと収束する。
「……はっ、ははは、ははははは―――――――――――っ!」
一拍の時間を置いて病室に響いたのは、死にかけの人間とは思えないほど豪快な笑いだった。
直人は少なからず驚かされた。だっていまこの瞬間の榊は病に蝕まれた弱い師匠じゃなくて――いつもの師匠だったから。
憧れていたカッコいい師匠が、確かに目の前に居たから。
「ったく、死にかけてる人間をこんなに笑わせるな馬鹿弟子! でもおかげで最っ高に良い気分だ。いいぜ。お前が日ノ丸テレビを一位にする姿、空の上からしっかり見守っててやろうじゃねぇか!」
笑うことを止めた榊は、直人が見たかった強い師匠の顔だった。
だから直人も、袖で強引に涙を拭ってから強い瞳で応えた。
「約束だぞクソ師匠。俺の活躍を……一秒だって見逃すんじゃねぇぞ」
「ああ、師匠と弟子。そして男同士の約束だ」
この約束だけは絶対に破らねぇよ――。
夕日が差し込みオレンジ色に染まった病室――。
直人は信じられない光景を前に震えながら、今にも消えてしまいそうなほど細い声で、尋ねた。
そんな問いにベッドで横たわる榊はいつも通りの飄々とした態度で、
「ああ、そうみたいだな」
と。自分の死に関する話なのに、どこか他人事のように答える。
「笑えねぇ冗談はやめろよ……。アンタがっ。日ノ丸テレビの生きる伝説なんて呼ばれてるアンタが病気なんかで死ぬわけないだろっ!」
「おいおい、あんましデカイ声出すなって。お前が俺をどう思ってるかは知らんが、これでも一応普通の人間だぞ? まだ治療法が確立してないような大病に罹っちまったら、そりゃ簡単にお陀仏するさ」
「……自衛隊よりも過酷な業界で無敗だった男が、病気なんかに負けるって言うのかよ」
「勝ち負けで言うなら、そういうことになるな。ま、いままでが偶然無敗だったってだけで、いつか負ける日が来るとは思っちゃいたんだ。それが今日で。その相手が白血病って名前だっただけだ」
あくまでいつも通りに。
死の間際でもどこか余裕を見せながら榊は言う。
でも榊の言葉は直人には――直人だからこそ受け入れられる言葉ではなかった。
「そんな理屈……納得いかねぇよっ!!」
叫んだのと同時に必死に堪えていた大粒の涙があふれ出す。
それを見て榊は呆れたような、困ったような表情でため息をついた。
「ったく……。お前ももう高校生だろ? 簡単に泣くんじゃねぇよ。男は簡単に泣いちゃいけねぇってガキの頃から口酸っぱく教えてきただろ?」
「うるせぇ。うるせぇ……」
拭っても拭ってもあふれてくる涙と乱れ続ける呼吸。
声にならない声で改めて榊に尋ねる。
「悔しく、ないのか? やり残したことは、ないのかよ……っ」
「……そうだな。俺が抜けた途端に日ノ丸テレビがボロボロになっちまったのは悔しいし、情けねぇ連中だと思う。出来ることなら俺がもう一度、日ノ丸テレビをトップに返り咲かせてやりたいと思ってるさ」
「だったら……だったら簡単に諦めんなよっ! 俺の憧れた師匠ならあっという間に病気に勝って、また元気な姿で日ノ丸テレビに戻れるって!」
「ははっ。誰に似たのか、お前はいつも無茶苦茶なことばっかり言いやがるな。まぁ、弟子にここまで言われちまったら師匠として応えてやりたいが……」
榊は瘦せ細った拳をぐっと握りしめる。
その姿だけを見ればまだまだ元気そうで。まだまだ覇気に溢れていたのに――拳はすぐに力無く解かれた。
そして心底申し訳なさそうに榊が呟く。
「悪いな……。今回ばかりは無理みたいだ」
「――――っ」
ここに横たわる男は、もう自分の知っている師匠じゃない――。
その事実を目の前で見せつけられて、直人はもう何も言えなかった。
「情けねぇ師匠ですまんな……。でもそんな顔すんなって。たしかに悔しいとは思っちゃいるが心残りがある訳じゃないんだ。一時期とはいえ日ノ丸テレビは確かに業界視聴率一位の座を手に入れた。その事実は消えねぇ。当然記録に残るし、それを見てたお前の記憶にも残ってる。俺はそれで十分なんだよ」
「じゃあもう……、日ノ丸テレビが一位になってる姿は見なくていいのかよ……?」
意地の悪い言葉だとわかっていながら……敢えて言った。
諦めなくちゃいけないのもわかっている。
けれど、どうしても諦めきれない。
大事な人が死んでいくのを黙って見て居るのは耐えられない。
どうにかして師匠を引き留めたい。
そんな思いが、あふれ出てしまった。
それでも――。
意地の悪い質問にも、榊はやはりいつも通りに笑った。
「バーカ。見れるもんなら見てぇに決まってんだろ。けど俺にはもう出来ねぇ。こればっかりは変えられない事実なんだ。だから……そうだな。誰かがもう一度日ノ丸テレビを業界一位にしてくれるのを、天国ってところから楽しみに眺めておくさ」
そう言い放った榊の言葉が直人の耳に吸い込まれる。
正直、腹が立った。
自分の生を諦めきっていることにムカついた。
自分の夢を顔も知らない誰かに託しているのが、どうしようもなく気に入らなかった。
だから覚悟を決めて――口を開く。
「だったら、俺がやる」
「――――あ?」
聞き取れなかったのか、それとも聞き取れなかったフリをしているのかわからない。
ならばと。もう一度、腹の底から叫んでやることにした。
「アンタの代わりに俺がっ! 日ノ丸テレビを一位に返り咲かせるって言ったんだよッ!」
きっと、聞こえなかったフリをしていただけなのだろう。
「……本気で言ってるのか?」
榊はあまり驚いた様子もなく、そう言った。
「お前も知っての通り、特報隊はこの国で最も危険な職業と言っていい。確かにお前には槍術の全てを教えたが、それは俺が残せるモンがそれしかなかっただけで、お前が俺と同じ道を歩む必要はまったく、これっぽっち無いんだぞ?」
「本気だ」――即答した。
「そもそも高校卒業する前には伝えるつもりだったんだ。その準備だってオッサンと一緒に始めてた。なのに師匠が死ぬなんて言うから、計画がグダグダになっちまったじゃねぇか……っ」
「は、ははっ。そうか、そりゃ悪いことしちまったな」
困った表情を浮かべながらも、榊は器用に笑った。
「もう一度。もう一度だけ言うぞ。俺がもう一回、日ノ丸テレビを業界一位にしてみせる。だから師匠、アンタは安心して……」
こみ上げてくる何かをぐっと飲みこんで――。
「安心してっ、死にやがれ……っ!」
直人の言葉は病室全体に響き渡り、そして榊の耳へと収束する。
「……はっ、ははは、ははははは―――――――――――っ!」
一拍の時間を置いて病室に響いたのは、死にかけの人間とは思えないほど豪快な笑いだった。
直人は少なからず驚かされた。だっていまこの瞬間の榊は病に蝕まれた弱い師匠じゃなくて――いつもの師匠だったから。
憧れていたカッコいい師匠が、確かに目の前に居たから。
「ったく、死にかけてる人間をこんなに笑わせるな馬鹿弟子! でもおかげで最っ高に良い気分だ。いいぜ。お前が日ノ丸テレビを一位にする姿、空の上からしっかり見守っててやろうじゃねぇか!」
笑うことを止めた榊は、直人が見たかった強い師匠の顔だった。
だから直人も、袖で強引に涙を拭ってから強い瞳で応えた。
「約束だぞクソ師匠。俺の活躍を……一秒だって見逃すんじゃねぇぞ」
「ああ、師匠と弟子。そして男同士の約束だ」
この約束だけは絶対に破らねぇよ――。
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