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第一章
過去(2)
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両親は現れなかったが、自分を救ってくれた男とは再び会うことができた。
駄菓子を詰めたビニール袋をぶら下げてやってきた男は榊三是と名乗った。
「よう、小僧。俺のこと覚えてるか」
もちろん覚えているとも。あんなカッコいい姿を忘れるはずがない。
「小僧。名前はなんて言うんだ?」
「なおとっ!」
腹の底から答えると、榊は髭の目立つ口元を満足そうに緩めた。
「そうか、なおとってのか。そんじゃなおと。よーく聞けよ?」
病室のベッドに座る直人に目線を合わせ、一言一言がしっかり伝わるように――榊は真剣ながらも優しく、こう言った。
「孤児院に突っ込まれるか、それとも俺に付いてくるか。今ここで選んでくれ」
正直、言っている意味はわからなかった。でも、とんでもないことを言っていることだけは伝わった。
ここで榊を指さし、彼に付いていくことを選んだのは、単純にあの時の榊がカッコよかったから――。
そのとき漠然と。
もう両親とは会えないんだろうな、と思った。
後に言われた『あの時のお前は物分かりが良すぎた』とは、榊本人からの寸評である。
◇◆◇
日ノ丸テレビのナンバー3。
現在進行形で日ノ丸テレビ専務取締役を務める日下宣次《くさかせんじ》と初めて出会ったのは、榊に着いていくことを決めた少し後のことだった。
「おい、なおと。晩飯食いに行くぞー」
そう言い放った榊に肩車されて連れていかれた先は――日下が清水の舞台から飛び降りる思いで購入した――東京港区の分譲マンションの一室だった。
インターホンを鳴らしてから十秒たらずで現れた日下は二人を見るなり、
「おお! よく来たなガキんちょ。そしてよくも来やがったな榊……」
険しい表情――なんてのを通り越して親の仇にでも向けるような殺意の篭った表情が、直人が見た一番最初の日下の顔だった。この時見た表情のせいでしばらく日下を避けることになったのだが……、それはまた別の話である。
「なんだ日下。お前少し痩せたか?」
「おう。誰かさんが直人を引き取る際の面倒をぜーんぶ丸投げしやがったせいでな! 元々が太り気味だったせいか、飯を食わねぇだけでガンガン体重が減ってったぞ」
「そうかそりゃ良かった! お前の幸せ太りが気に入らなかったんだ」
「……お前なぁ」
怒っているような、呆れているような。日下はなんとも表現しにくい表情に変わった。
どうやらこの時にはもう『榊が無茶を言って日下がそれを叶える』という構図が出来上がっていたらしい。
「宣次さん。早くお客さんを中にお通しして下さいな」
日下の背後から通りの良い美声が響いてきた。
「ごめんごめん。すぐに入ってもらうよ」
「いらっしゃい榊さん。それと直人くんだったかしら。今日はご馳走をたくさん作ったから存分にゆっくりしていってね」
現れたのは三歳のガキの目から見ても美しいとわかる、絶世の美女だった。
日下美弥子。
元大人気アイドルであり、日下宣次の妻だった。
「やっぱり何度見ても慣れねぇなぁ。お前と美弥子さんじゃ何もかもが釣り合ってなさすぎだぜ。なんでお前があの宮本美弥子を嫁さんに出来たのか……ぶっちゃけ安始史最大の謎だ」
「うーむ。こればっかりは俺本人が一番驚いてるから返す言葉がねぇんだよな」
あとから知った話だが、美弥子の姓が日下に変わる前は人気絶頂のアイドルだったらしい。
キャリア絶頂期だった彼女を口説き落とした日下の存在は、いまなおファンの間で世紀の謎として語り継がれているらしい。
そして日下家にはもう一つ、小さな人影があった。
「ほーら。遥はお姉さんなんだから、直人くんに優しくしてあげないとね?」
「う、うんっ」
宣次と美弥子の一人娘――日下遥である。
美弥子の足元に隠れていた当時五歳の遥は、日下や榊に見守られながら恐る恐る直人に近寄ると、その小さな小さな手のひらで直人の頭をそっと撫でた。
その感触が気持ちよくて、思わず笑ってしまったのを今でも覚えている。
この日は――報道管理法によって家族を失った直人が、この後の人生で切っても離せないほど深く関わることになる大切な人たちと初めて出会った日となった。
◇◆◇
榊が特別報道隊の隊員だというのは、小学校四年生の時に日下から教えて貰った。
何度も活躍を聞かせて貰ったし、訓練の録画を見せて貰ったこともあった。だからというべきか、榊に憧れ続けていた直人が特別報道隊に憧れるのは自然の流れだった。
小学校から中学校へと進むにつれ直人の中で特別報道隊への憧れはどんどん大きくなっていき、高校に入った頃には進路希望に『日ノ丸テレビ・特別報道隊』と書いてしまうくらいには直人の決意は固まっていた。
「今この国で一番危険な仕事だぞ」
進路指導の際に柔らかく進路変更を諭されることもあったが――。
「そんなのはどんな職業だって同じでしょう? 他の職に比べて怪我をする可能性が高いってだけで、怪我や病気のリスクはどんな職業にだってあるじゃないですか」
そう言って担任教師を論破した。
そんな風に自分の将来像を具体的に描き「いつか師匠と肩を並べて仕事をしたい」と思春期ながらも恥ずかしげもなく思っていた時に――その不幸は起こった。
不倒の鉄人。
マスコミ界の化け物。
日ノ丸テレビの生きる伝説。
数々の異名を欲しいがままにしてきた榊が、病魔によって倒れたのである。
駄菓子を詰めたビニール袋をぶら下げてやってきた男は榊三是と名乗った。
「よう、小僧。俺のこと覚えてるか」
もちろん覚えているとも。あんなカッコいい姿を忘れるはずがない。
「小僧。名前はなんて言うんだ?」
「なおとっ!」
腹の底から答えると、榊は髭の目立つ口元を満足そうに緩めた。
「そうか、なおとってのか。そんじゃなおと。よーく聞けよ?」
病室のベッドに座る直人に目線を合わせ、一言一言がしっかり伝わるように――榊は真剣ながらも優しく、こう言った。
「孤児院に突っ込まれるか、それとも俺に付いてくるか。今ここで選んでくれ」
正直、言っている意味はわからなかった。でも、とんでもないことを言っていることだけは伝わった。
ここで榊を指さし、彼に付いていくことを選んだのは、単純にあの時の榊がカッコよかったから――。
そのとき漠然と。
もう両親とは会えないんだろうな、と思った。
後に言われた『あの時のお前は物分かりが良すぎた』とは、榊本人からの寸評である。
◇◆◇
日ノ丸テレビのナンバー3。
現在進行形で日ノ丸テレビ専務取締役を務める日下宣次《くさかせんじ》と初めて出会ったのは、榊に着いていくことを決めた少し後のことだった。
「おい、なおと。晩飯食いに行くぞー」
そう言い放った榊に肩車されて連れていかれた先は――日下が清水の舞台から飛び降りる思いで購入した――東京港区の分譲マンションの一室だった。
インターホンを鳴らしてから十秒たらずで現れた日下は二人を見るなり、
「おお! よく来たなガキんちょ。そしてよくも来やがったな榊……」
険しい表情――なんてのを通り越して親の仇にでも向けるような殺意の篭った表情が、直人が見た一番最初の日下の顔だった。この時見た表情のせいでしばらく日下を避けることになったのだが……、それはまた別の話である。
「なんだ日下。お前少し痩せたか?」
「おう。誰かさんが直人を引き取る際の面倒をぜーんぶ丸投げしやがったせいでな! 元々が太り気味だったせいか、飯を食わねぇだけでガンガン体重が減ってったぞ」
「そうかそりゃ良かった! お前の幸せ太りが気に入らなかったんだ」
「……お前なぁ」
怒っているような、呆れているような。日下はなんとも表現しにくい表情に変わった。
どうやらこの時にはもう『榊が無茶を言って日下がそれを叶える』という構図が出来上がっていたらしい。
「宣次さん。早くお客さんを中にお通しして下さいな」
日下の背後から通りの良い美声が響いてきた。
「ごめんごめん。すぐに入ってもらうよ」
「いらっしゃい榊さん。それと直人くんだったかしら。今日はご馳走をたくさん作ったから存分にゆっくりしていってね」
現れたのは三歳のガキの目から見ても美しいとわかる、絶世の美女だった。
日下美弥子。
元大人気アイドルであり、日下宣次の妻だった。
「やっぱり何度見ても慣れねぇなぁ。お前と美弥子さんじゃ何もかもが釣り合ってなさすぎだぜ。なんでお前があの宮本美弥子を嫁さんに出来たのか……ぶっちゃけ安始史最大の謎だ」
「うーむ。こればっかりは俺本人が一番驚いてるから返す言葉がねぇんだよな」
あとから知った話だが、美弥子の姓が日下に変わる前は人気絶頂のアイドルだったらしい。
キャリア絶頂期だった彼女を口説き落とした日下の存在は、いまなおファンの間で世紀の謎として語り継がれているらしい。
そして日下家にはもう一つ、小さな人影があった。
「ほーら。遥はお姉さんなんだから、直人くんに優しくしてあげないとね?」
「う、うんっ」
宣次と美弥子の一人娘――日下遥である。
美弥子の足元に隠れていた当時五歳の遥は、日下や榊に見守られながら恐る恐る直人に近寄ると、その小さな小さな手のひらで直人の頭をそっと撫でた。
その感触が気持ちよくて、思わず笑ってしまったのを今でも覚えている。
この日は――報道管理法によって家族を失った直人が、この後の人生で切っても離せないほど深く関わることになる大切な人たちと初めて出会った日となった。
◇◆◇
榊が特別報道隊の隊員だというのは、小学校四年生の時に日下から教えて貰った。
何度も活躍を聞かせて貰ったし、訓練の録画を見せて貰ったこともあった。だからというべきか、榊に憧れ続けていた直人が特別報道隊に憧れるのは自然の流れだった。
小学校から中学校へと進むにつれ直人の中で特別報道隊への憧れはどんどん大きくなっていき、高校に入った頃には進路希望に『日ノ丸テレビ・特別報道隊』と書いてしまうくらいには直人の決意は固まっていた。
「今この国で一番危険な仕事だぞ」
進路指導の際に柔らかく進路変更を諭されることもあったが――。
「そんなのはどんな職業だって同じでしょう? 他の職に比べて怪我をする可能性が高いってだけで、怪我や病気のリスクはどんな職業にだってあるじゃないですか」
そう言って担任教師を論破した。
そんな風に自分の将来像を具体的に描き「いつか師匠と肩を並べて仕事をしたい」と思春期ながらも恥ずかしげもなく思っていた時に――その不幸は起こった。
不倒の鉄人。
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