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番外編(委員長SIDE):A Day
しおりを挟む「あら、英嗣。今日はデートなの?」
土曜日の12時少し前。
早めの昼食をすませ、自室でルームウェアから外出着に着替えて、玄関へと向かう途中のリビングに足を踏み入れたとたん、母が何気ない口調で僕にそう言った。
「 ――― 違うけど」
そう返事をした僕に、リビングで父のワイシャツにアイロンを当てていた母は、その手を休めると、もう一度、僕の全身を上から下まで眺めた。
「まあ、そうなの?」
「母さん、」
話しを続けたそうな母に、僕はにっこりと笑みをつくった。
あらかじめ、午後から出掛けることを母には知らせていたから、僕は完璧な笑顔のまま「いってきます」とだけ告げた。
すると母はわずかな苦笑を唇の端にのせて、言った。
「いってらっしゃい。夕食は冷蔵庫に入れておくから、温めて食べて頂戴ね」
僕はリビングをそのまま通り抜けると、飾り模様が入っているアンティーク調のリビングのドアを静かに閉めた。
高校2年生の息子が母親に向かって「デートだよ」と臆面もなく返事をするわけもないことは、母も承知の上だろう。
けれど、今のはそういう矜持で誤魔化したのでもない。
(デート、という訳ではないから)
リビングから玄関へとつづく廊下を歩いていると、今週の初めにキミが、どこどなく遠慮した趣で誘ってきた様子が自然と頭の中に浮かんできた。
―――― あのさ、いーんちょーは、今度の土曜日は、・・えーっと、なんか予定ある?
―――― ないこともないけど。
―――― あ、そ、そぅなんだ・・。
まるで地の底にとても大事なものを落としてしまったみたいな顔するから、つい、うっかりとその話題の先をつづけてしまった。
―――― 土曜日、何かあるんだ?
―――― うん! あのねっ! 博物館で、世界の時計博覧会、っていうのがあるんだ。なんか、色んな実験とかあって、おもしろそーだから、いーんちょー一緒に行かないかなーって、思って・・。
ぱぁっと明るくなった声のトーンが表情と一緒にどんどんと沈んでいく。
僕に断られること前提で話していたのを思い出したらしい。
―――― うん、でも、あの、ヒマだったら、とか思ってたから。いそがしかったら、全然、いーんだ。誰か、誘うし。
それは、決して、「誰か、誘う」という言葉に反応したわけではない。その、世界の時計博覧会、というものに単純に興味をひかれたからだ。
―――― 土曜日はたいした用事でもないんだ。
僕は咄嗟にそう言っていた。
キミからの告白を受けてから1ヶ月たったけど、冷めた物珍しい気持ちは依然としてそのままだ。
小さい頃から、自然と欲しいと思ったものはなんでも手に入ってきた。
だからなのか、むしろ、僕は何かを熱烈に欲しいと思ったことがあまりない。
玄関へと行き着くと、僕は作り付けのシューズロッカーから自分の靴を取り出した。
そして、ふと玄関先の壁に取り付けられている大きな鏡にうつった自分の姿に目をとめてみた。
そこには、休日に図書館や書店に出掛ける時の姿とそう変わらない自分がいる。
今、着ているシャツもボトムもそれほど凝ったものではないし、ましてや新品でも値の張る物でもない。
ヘアスタイルだってそうだ。
なんでもない休日の外出時に、ヘアワックスで毛先にニュアンスをつけるのも、服に合わせて学校用とは別のメガネに替えるのも、いつものことだ。
ましてや意中の相手との約束でもない。
それほど高揚した気分ではないのは、鏡の中の自分の顔を見れば一目瞭然だ。
なのに、どうして母が、僕のこの姿から「デート」というキーワードを導き出したのか、見当がつかなかった。
人が多い場所は好きじゃない。
最初、待ち合わせの場所を聞いて、つい眉をしかめてしまったけれど、目的地のことを考えれば、まあ、その場所が妥当だろうと思えたから、あの日、僕はキミの提案にうなずいた。
そうして、予想通りに土曜日のステーションビルの前は人通りが多かった。
ステーションビルと隣接する商業ビルの間は天井のある広場になっている。天気に関係なく待ち合わせがしやすく、かつ誰もが知っているモニュメントが設置されているからか、ここはいつも人待ち顔をしている人たちでにぎやかだ。
「あ、ごめんなさいっ」
人の多さに、少しうんざりして立ち止まっていた僕の肩にぶつかった20代くらいの女性が謝罪しながらも、目を合わせることもなく小走りに去っていった。
あまりにもな混雑ぶりに回れ右をして静かな空間へ行きたい気持ちが沸かなかったわけでもないけれど、約束をしてしまっていたからしょうがない。
僕は小さくため息をつくと、キミの姿を探して、待ち合わせしているライオンの銅像が設置されている方へ歩き始めた。
人と人との間をすり抜けながら、その銅像の方へと近づいて行くと、不意に人ごみの間から、キミの横顔が見えた。約束通りに雄ライオンの銅像の前足部分に立っていた。
キミは5月の空そのもののような、明るいブルーのパーカーを着ていた。
なのに、どことなく不安そうな横顔。目線は気持ち下向きだ。
キミだったら、きっと、こんな圧倒的な人ごみでものまれることなく、顔をまっすぐに上げ色んなことに興味津々でキョロキョロとあたりを見回しているんだろうと思っていた。
けれど想像とは違い、なんだか居心地悪そうにして、ライオンの銅像の台座に身体をくっつけるようにしている。
その心細そうな表情は学校では見ない顔だ。
1ヶ月前の4月に2年生に進級して、初めてキミと同じクラスになった。
顔は知っていたけれど、特に話したこともない同級生。
男子高校生にしては小柄なほうで、どちらかといえばカワイイという形容詞が似合う顔立ちをしている。
単純明快でいつも賑やかなキミと、出来れば煩わしいことは極力避け静かに過ごしたいと望んでいる僕とはクラスメイトになったとはいえ、そんなに接点はないだろうと思っていた―――― たとえ、キミからの視線を以前から僕が感知していたとしても。
教室という狭いハコの中では性格――― 生息地の違う人種とは相容れないことは実証済みだ。
(それなのに、いったい、どういう気まぐれだったのか、)
トモダチを通り越しての関係になるなんて。
時々、こんなふうに、自分の気持ちが見通せなくなるときがある。
もっと、大人に、いやむしろ、老人になれば、どんなことも見抜けるようになるのだろうか、と憧れる。
複雑な胸中のまま、僕は歩を進めると、キミが顔を上げた。そして、まっすぐに僕を見た。
ぱっと表情がやわらいだ。安心したような笑顔に、スッと、何かすがすがしいものが胸の中に入ってきたような気がした。
(意味が、わからない)
僕は自分の眉間に力を入れた。
キミは僕は見つけた瞬間にはもう僕のほうへと歩き出していた。
そして、人ごみの中にキミの姿が消えた。
(まったく! 待ってればいいのに)
こんな、狭い場所で迷子になられても困る。
僕は少々強引に人通りを突っ切って行った。
「いーんちょー!」
とにかく、キミがいた方へとまっすぐに進んで行くと、どうしてだか斜め後ろからキミの声がした。
ふりむくと、人が行き交う間にあざやかなブルーのパーカーが見えた。
僕は考える間もなく、その腕をつかみ自分に引き寄せた。
何人かの人に迷惑をかけてしまったけれど―――― 気がついたらそうしていた。
人ごみに紛れてその細い肩を抱き込んだ。
さらさらの髪からは、かぎなれないシャンプーの香りがした。
(いつもと、違う)
キミのことで、自分が知らない部分を発見すると、なぜか気分が少しカサついた感じになる。
「さっきの場所で待っていれば良かったのに」
キミの身体から手を離してそう言えば、
「あ、そうだったかも!」
僕の冷たい口調にも、キミが僕を見上げながら満面の笑みで返してくる。
反省の余地もない。全く分かっていない。
(ほらね。こういう所が、)
好きじゃない。
イラっとする。
そして、
ねじふせたくなるんだ。
「オレ、こんなに人が多いとは思わなかったよ」
僕の昏い気持ちなど知らずに、キミが驚いたように言った。
「僕は、こんなに人が多いと思っていたよ」
「へー、いーんちょー、すごい! 予想、ぴったりだね」
さっき、相当な勢いで人ごみに突っ込んだのか、キミがまだ肩で息をしながら言った。
5月半ばの週末だ。
しかも、晴天。
人出が多くないわけがないだろう、と言い掛けて、・・・・・やめた。
キミと学校以外で待ち合わせて出掛けるのは今日が初めてではないけれど、こうやって会うたびに小言めいたことを言っているからだ。
こんなふうに自分の感情が波立つのは好きじゃない。
(キミと居ると好きじゃないものばかりを見つけてしまう)
ようやく息が調ったのか、キミが大きく深呼吸をして、あらてめてのように、僕を見た。
すると、
「ぁ・・・、」
と、言葉につまったみたいにして、僕のことを不思議そうな顔で見つめてくる。
「どうかした?」
「・・・うん、あの、いーんちょー、いつもと違うメガネだなー、と思って」
はにかむような感じでキミが言った。
「それに、あの・・、」
大きな荷物を持ったご婦人方が右側から来るのが視界に入ったから、僕はキミの背中をやわらかく引き寄せるようにして左の方へずれた。
「それに、何?」
「なんか、いーんちょー、いつもとちょっと雰囲気違うから、」
「そうかな?」
制服以外で会うのは、初めてでもないのに、いつもの僕と何が違うというのだろう。
「うん、私服のときのいーんちょーって、いつも大人っぽいけど、今日は、えっと・・、なんか、いつもよりカッコイィなー、って」
正面きってそう言われ、僕はいつものごとくニッコリと笑って「ありがとう」と社交辞令を返そうとしたけれど、照れたように目をふせたキミの睫が意外と長いことに何故だか目を奪われて、うまくいかなかった。
僕は意味も無く手のひらを強く握り締めた。
「あの、お世辞とかじゃなくて、そーゆーカットソーに細身なジーパンだと、制服と違って身体にピタッとしてるから、 いーんちょー、肩幅ひろいし、脚も長いから、すごいキマッテるなー、って」
むっつりと黙り込んでしまった僕に動揺したのか、キミが慌てたように言い募る。
外見を誉められて心の底から嬉しいと思ったことは一度も無かった。それはただの僕のパッケージでしかないからだ。僕の中身も知らずにそう言われても僕には意味の無い言葉の羅列に過ぎない。
けれど、 ―――― 。
「キミは、明るい色が似合うね」
「え?」
急にそう言った僕に驚いたような顔を見せたキミに、
「行こうか」
と、僕は歩くのを促した。
「うん、いーんちょー、バス、わかる?」
歩き出しながら、横目で隣りを見れば、少しうつむきがちにしゃべるキミの耳が赤くなっていた。
それを見て、僕は少し、気持ちが落ち着いた。
キミが足を進めるたびに、ひょこひょこと前髪がゆれている。
「分かるよ。調べてきたから」
「あ、そうなんだ。あの、オ、オレも一応、調べてて・・」
そう言って、キミがやっと僕の顔を見た。
「僕、そういう青色って好きだな」
(ふぅん)
なんだ、本当に、キミ、僕にメロメロなんだ。
ただ、着ている物を誉めただけで、そんなにも嬉しがれるもんなんだ。
「・・・・・それで、えっと、博物館に行くバスは15番のAからでるみたいで、」
微妙に僕から視線を外しながらキミが言う。
まるで急激に体温が上がったみたいに熱っぽい表情になったキミがたどたどしく言葉をつむぐくちびるがおいしそうに見えて、あかくなった首もとのやわらかそうな肌にふれたくなった。
汗で湿ったそこを舌で舐め上げれば、キミがどんな声を出すのかを僕は知っている。
(きっと、僕だけが知っている)
「この時間帯だと10分毎ぐらいにはバスが来るかな?」
頭の中で、キミの服を一枚ずつはいで行きそうになるのを押しとどめて、僕はキミに尋ねた。
「うん、すぐ乗れると思う」
キミは、ゆっくりとした口調で僕に返した。それから、よかった、とちいさくつぶやいた。
「何が、よかったんだい?」
まさか、聞こえたとは思ってなかったようで、キミは「あっ」、という顔をした。
重ねて、「何が?」と問うと、少しためらったあとキミが思い切ったように口を開いた。
「――― うん、えっと、いーんちょーが、オレが誘ったときあんまり乗り気じゃないっぽかったから、もしかしたら、オレ、無理に誘っちゃったかなー、って思ってて・・」
ああ、待ち合わせ場所の混雑振りを予想して顔をしかめていたのかもしれない。
「嫌だったら、断るよ」
「あ、うん、そーだった。いーんちょーは、そーいうトコ、はっきりしてるもんね」
そう言うと、キミは安心したような顔になって、いつもの健康的な明るさを取り戻した。
残念だな、と思った。
もう少し、僕の言葉に照れて恥ずかしがっている姿をながめていたかったな、と。
水晶の力を借りて自ら電気を帯びる純銀製のパーツが細かな動きを繰り返している。
造形も美しいヨーロッパの高級柱時計の中身が見えるように展示されているコーナーで僕は、規則正しく動きつづける歯車を時間がたつのも忘れ見入っていた。
秒針が何周しおえただろうか、ふと、僕は自分が誰とどこに居るのかを思い出した。
現在、博物館で催されている時計展は、時計の歴史からはじまり、今は機械時計の中身の解説コーナーまで来ていたんだった。
「ああ、ごめん。待たせたね。退屈だっただろう」
「ううん。楽しそうに見てるいーんちょーを見てるのが楽しかったよ」
僕たちの傍らを親子連れが通り過ぎて行く。
順路に敷き詰められているグレーの絨毯が足音を吸い取っていた。
博物館内の天井は高くて、ゆったりとした空間だ。
この時計展は、子ども向けの展示もあるせいか、いつもは大人の空気が満ちている博物館内に、時折、子どもたちの歓声が響いてくる。
驚きと発見に満ちあふれた楽しそうなその声をノイズと感じるよりも、どこか自分自身を投影した懐かしさを覚えた。
「今のすごかったねー、電気がなくても、ずーっと動いてるんだ」
ずっと見入ってた場所から歩き出した僕にくっついてくるようにしてキミが言った。
「そうだね」
どうしてだか、そっけない返事になってしまった。
僕は考えていた。
もし、僕がさっきの展示物を、まだ、ずっと見ていたいと言ってもキミは怒ることも呆れることもなく、ただ、僕の隣に立っているのだろうか、と。
「いーんちょー?」
無言で立ち止まった僕をキミが見上げてくる。
キミに何かを告げたい気がして、口を開きかけたけれど、僕は自分が何を言いたいのかわからなくなってしまった。
仕方なく視線を辺りに向けると、つられるようにキミが首をめぐらせ、そして、
「あっ、あれ!」
と、言うなり急に走り出してしまった。
キミが向かった先は、壁を背にした一角が何かのコーナーがあった。
(いやいやいや、だから、急に走り出すな、と。そもそも、館内を走るなんてマナー違反だろう)
小学生を引率する担任の気分で、僕はキミのあとを早足で追った。
またもや、小言を言いだしそうになった僕をキミが振り返って、きらきらとした瞳を僕に向けた。
「オレ、これ、してみたかったんだー。いーんちょーもしようよ!」
コの字型に置かれた3台の長机とパイプ椅子が置かれたコーナーでは、どうやら、時計の組み立てを体験できる所らしかった。
脇に置かれている立て看板には簡単な説明と平均所要時間が書かれている。
確かに、めったに出来ることではないのかもしれないけれど、僕は工作には一切の興味がなかったし、それに、どうも、小学生にまじってするのはいただけない。
所要時間は15分らしいから、もうすこし見たかったスイス時計の発展のコーナーに行くのもいいかな、と思って、「15分たったら、ここに戻ってくるよ」と言おうとしたら、いちはやく空いていた席に座ったキミが隣りのパイプ椅子を素早く引いた。
「いーんちょー、ここ、ここっ!」
公衆の面前で明るく呼びかけられて、無下に断れなかった。
僕は仕方なしにキミのとなりに座り、内心、ため息をついた。
「あれ、、おかしいなー、これ」
「それ、そっちじゃなくて、手前の緑のパーツの次じゃないかな」
「え、うそ ――― あ、ホントだ。えーっと、でも、じゃあ、これは・・・。あ! さっきのの下に組み込んどかなきゃなのかも」
「そうみたいだね」
「あー、やりなおしだー」
「まだネジを締めてないから簡単に外せるよ。ほら、こっちから分解していけばいいみたいだよ」
ちいさな腕時計を拡大鏡越しに、キミと顔をくっつけるようにしてのぞきこみながら、僕は針金ぐらいの細さのドライバーで肝心な場所を示した。
結局、推定所要時間の倍もかかっていた。
けれど、
「おっもしろかったー」
キミの言葉と僕の感情がピタリと重なっていた。
普通だったら、興味の無いことで待たされて手を煩わされて、内心、苛々しているはずなのに。
意外にも、キミとした時計の組み立ては夢中になっていた。
体験コーナーをあとにした僕たちは次の展示物へ向かうべく、順路にしたがって歩いていた。
「オレ、時計職人になろうかな」
うーん、と伸びをしながらキミが言った。
まるで寝起きの猫が気持ち良さそうに伸びをしているみたいだった。
「あ、いーんちょー、わらった!」
そう言って、僕の表情の意味を読み違えたキミがすこし、頬をふくらませた。
「そんなの、絶対、無理って顔してるし」
「してないよ」
「ううん、してるから。どーせ、オレ、全部、ひとりで出来なかったし、いーんちょーに手伝ってもらったし」
「確かに順序だては上手く出来てなかったけど、そういうのは慣れていくものだよ。それに、キミは手先が器用だよね。あんなにちいさなドライバーを使うのが上手だった」
「ホント?」
ぱあっとキミの顔が綻ぶ。
「うん、上手だった」
重ねて言えば、キミが照れたようにわらった。
「へへ、じゃあ、やっぱ、オレ、将来は時計職人だー」
それから、一通り館内を巡ると、もう、午後3時近くになっていた。
思っていたより時間が過ぎるのが早かった。
「どっかで、なんか、食べる?」
博物館の出入り口の石階段を降りながらキミが言った。
外の清々しい空気が気持ちよかった。
お堀を要する広大な公園内に博物館はあって、少し歩けば、縁日のような出店が並んでいる場所がある。
天気もいいし、公園のベンチに座って、お堀を優雅に泳いでいる鴨たちを眺めならが、ホットドックでも食べるのも悪くはないと思ったけれど。
僕は小さく咳払いをした。
そして、
「家に頂き物のお菓子があるんだ。良かったら、食べに来ないかな。家族は皆、出掛けてるから遠慮しなくてもいいよ」
とキミを誘った。
そうだ。本当に、家には頂き物のマドレーヌなんかがあったし、両親も兄も夜まで出掛けているから、紅茶を淹れてお菓子を出して、博物館のパンフレットでも見ながら、ふたりで行ってきたばかりの時計展の話しをするのもいいな、と本気で思っていた。けれど、―――― キミを僕の部屋に招きいれた途端、僕はキミにキスをしていた。
「ゃ、・・」
湿ったキスをほどいて、キミが着ているパーカーのジッパーを下げると、キミが抵抗するそぶりを見せた。
「どうかした?」
「い、いーんちょー、なんか、おこってる・・」
胸元で服をかきあわせて、キミが一歩ずつ下がり始める。
「―――― 怒ってないよ」
間合いを詰めて、壁際まで追い込んだ。
キミがキョロキョロと左右に視線をめぐらせる。
(逃げるつもり? 逃げられやしないのにね)
「で、でも、なんだか、」
「何?」
「いーんちょー、なんか、いつもと、ちがう気がする・・」
ドキリ、とした。
余裕がないことを見透かされた。
僕は、壁にぴったりと背中をつけているキミの身体の両脇に手をついて、囲い込んだ。
いつも?
いつも自分がどうしていたのかなんて、どうでもよかった。
ただ、目の前に居るキミが欲しいだけだ。
僕はことさら、やさしげに、耳元に言葉を吹き込む。
「キスして、って言ってみて」
「え・・?」
「言ってみて」
戸惑うキミに、さらに甘くささやいた。
そして、くちびるにふぅっと息をふきかけて、その瞳をのぞきこめば、キミは少しのためらいの後、僕が望む言葉をちいさくつぶやいた。
しっとりと重ねあわせれば、舌でうながす前に、キミが閉じていたくちびるをゆるく開いた。
今の今まで僕から遠ざかろうとしていたキミが唯々諾々と僕に従う姿に溜飲が下がる。
そう、「僕、そういう青色って好きだな」とキミに言ったときに、うるんだ瞳で僕のことを見上げたときからこうしたかったのかもしれない。
いや、その前の待ち合わせ場所で、不安そうに一人で立っている姿を見たときから――――。
もしかすると、遠慮がちに博物館へ一緒に行こうと誘ってきたときから・・・――。
(やめた)
理路整然と考えようとしても、分からなくなってしまうことが、あるんだ。
無防備になった両手の隙をついて、着ているパーカーを肩から落とした。上着は薄手のTシャツ一枚になったキミとくちびるを合わせながら、指の腹で胸元をそっとふれてみれば、キミが身体をびくっとさせた。
服の上からすぐに見つけたところを、ゆっくりとさすっているとすぐに硬くなってきた。
「いや?」
コリコリといじるたびに、身体を揺らすキミに、キスを耳元にうつして尋ねてみた。
「・・ヤ、じゃない、けど、」
キミの手が僕の服を、まるですがりつくみたいにして握る。
「けど、何だい?」
キミが目をふせて首をふる。
「・・なんか、むずむず、する」
んっ、という甘い声を隠そうとしているけれど、うまくいっていないよ、と教えたくなった。
「くすぐったい?」
「そんな感じだけど、そんな感じだけじゃなくて、なんか、あの・・・」
いやらしい気分になるんだね。
そう耳に落とせば、キミがさらに顔を赤らめた。
「い、いーんちょーの、ぃぢわるっ」
うるんだ瞳でにらまれて、凶暴な気持ちが目覚めていく。
押さえつけて、
ねじ伏せて、
泣いて許しを請わせてみたい。
そんな昏い欲望を僕が抱いているなんてキミは思いもしないだろう。
服を全部脱いだのはベッドに入る前だったのか後だったのかはもう覚えていない。
性急に身体を繋げて、キミのイイところを探し当てはじめた。
だから、
「そ、そこ、ぃヤ・・、」
そんなふうにねだられると期待に応えたくなる。
「あっ、・・・だめ、だめ」
「噛まれるのが好きだよね」
口にふくんだまましゃべれば、キミの身体が敏感に揺れる。
「・・・ちがうし」
「でも、ほら、ここ、こんなに濡れてきてるよ」
硬く立ち上がってるところを手のひらでつつんで先端を親指の腹でこすればぬるりとした感触がある。
「ちが・・ぅ、から」
そんなだから、「して」って言うまでいじめたくなるんだよ。
たまらない高揚感がさらに僕の熱を上げていく。
欲望のままに迪挿を早めていくと、
せつない声をキミが上げつづける。
終わりが見えてきて、
逃げをうつ身体をさらにおさえこんで、熱をうちつけた。
(壊れてしまえばいいのに)
僕にきつくしがみついてきて果てたキミの身体からゆるりと力が抜けたけれど、僕のを受け入れているところがぴくぴくぴくっといやらしく痙攣している。
そのたびに、ため息のようにこぼれる声にあおられて、僕はさらにキミに深く入り込む。
この凶暴な熱をキミに受け止めさせたい。
僕のすべてを。
キミの身体におおいかぶさって、熱を出し切った後の心地よさに何も考えられないまま激しく息をしていると、やわらかな指先が、僕の汗で濡れた背中をなでていく。
それから、肩口にくちびるの湿った感触がした。
そして、
すき、というかすかな声が聞こえてきた。
いつもだと熱が引いていけば、汗や他のものでベタついている身体が気になって、シャワーをあびに行くけれど、今日はどうしてか、密着している湿った身体とその体温から離れ難かった。
そうして、何も言わずにキミを抱きしめていると、
「いーんちょー・・・?」
キミが戸惑ったような声で口を開いた。
「うん」
「あの、シャワーは?」
「キミが先に使う?」
「え、ううん、オレはアトでいいけど・・」
いつもと違って、僕がすぐにシャワーへ行かないのを不思議に思っているみたいだった。
それがどうしてか、だなんて、僕にも分からない。
ただ、もう少し、こうしていたいな、という気持ちがあるだけだ。
今こうしてキミとくっついていると興奮するのとは違う、穏やかな熱が身体を浸してゆく。
鼻先を耳の後ろにすりつけながら、深く呼吸をすれば、キミがくすぐったそうに肩をすくめる。
「時計展のあとは大英博物館展だったね」
来期の案内が博物館の案内所に掲示されていたのを思い出して僕は言った。
「えーっと、大英博物館って、イギリスの博物館だっけ?」
「そう、きっと、ミイラの展示があるんじゃないのかな」
そういうのをキミは好きだろうかと思い、言ってみた。
もし、そうだったら、一緒に行くのも悪くはないかなと思って。
「え! それって、本物・・?」
おそるおそる、というふうにキミが言った。
「うん、豪華な棺に入った本物のミイラが来ると思うよ、確か。僕、小学生の頃に親と観に行ったことがある」
「え、そ、そんなの見たら、夜、眠れなくなっちゃうよ」
「ホラー映画じゃないんだから、そんなに恐ろしいものじゃないよ。宝石で装飾されている棺はきれいだし、ミイラも」
「ホラー映画はウソだからいいけど、本物はやだ。もう、その話しはナシ!」
キミが僕に身体をすりよせてきて、僕の腕をつかんだ。
本気で怖がってる表情が、申し訳ないけれど楽しかった。
「こわがりだなあ」
「ちっがうし、今、ちょっと、寒くなってきただけだから」
そして、そうやって、すぐに負けん気を発するところが、面白いんだ。
どうしようもなく、泣かせてみたくなる。
「そう? じゃあ、シャワー浴びておいでよ ―――― 大丈夫だよ、ドアの向こうにミイラが居たりしないから」
表情を強張らせたキミが、僕をうらみがましく睨みつける。
ふ、と笑いがカラダの中から沸き起こったけれど、僕はそれを優しげに見える笑みに変換させて、
「キミがいかないんだったら、僕が、」
身体を起こすそぶりを見せれば、キミが僕の身体にぎゅうっと抱きついてきた。
「え、やだ! ―――― えっと、あの、・・・も、ちょっとだけ、こうしてたい」
慌てたようにキミが言った。
「 ―――― 」
「いーんちょー・・・?」
無言になった僕にキミが声をかけてきた。
必死にしがみつかれて、気持ちの奥に甘さが生まれたような気がした。
ちいさくてやわらかなものを壊さないように大事にしたいという想いに似た何かが・・・。
それが何なのかをはっきりさせるのに、何故かためらいを感じてしまった。
(――― まぁ、いいか。きっと、たいしたことじゃない)
僕はもう一度、キミのあたたかな身体を抱きしめた。
そうして、
「そうだね。もう少し、こうしていよう」
穏やかな声でキミにそう言って、ゆっくりと目を閉じた。
( おわり )
創作BLのwebサイトをやっていた時、2012年7月21日から一ヶ月間、「どのお話が好きですか?」と題してアンケートをしました。
その結果、多くの票を頂きましたのが、委員長視点の「この胸のときめきを」でした。
それを記念しまして、と、いいますか。
あらためて、自分で「この胸のときめきを」を読み返して、もう少し、想いが通じ合う前の委員長視点でお話が書いてみたいなーと、思って、ぽちぽちと書いてました。
アンケートをきっかけに、この小説が生まれました。^^
アンケートに参加してくださった皆様、そして、この小説を最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
応援ありがとうございます!
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