上 下
21 / 26
第1部 大韓の建国

【由子と趙嬋①】

しおりを挟む
 由子はその頃すでに、華北全土をほぼ制圧していた。由子が率いる鈴楽隊は一糸乱れぬ統率ぶりで、兵を手足の如く用いて、敵陣の薄い箇所を突破して翻弄し、瓦解させた。向かう所、敵無しであった。
 由子本人は、無敵と言われるのを嫌がった。何故なら無敵とは、「敵無し」と言う受け身であり、いつか強敵が現れ、敗れる事になるかも知れない。そうなれば無敵では無くなる。と言うのが理由で、無敵よりも「不敗」が良いと言っていた。それは、敗け不(ず)と言う、「絶対に敗けない!」と言う信念が感じられるからだそうで、この言葉が何処かしら伝え聞いた民が、いつしか「不敗の由子」と呼ぶ様になり、由子の武勇伝の数々は詩や唄となって流行した。残念ながら、この時の詩や唄は伝わってはいない。
 由子は数名の供を連れて、遼(かつての南遼)へ向かっていた。軍勢を引き連れると、あらぬ誤解を招く恐れがあったからだ。斉との一大決戦の前に、遼とは同盟を結んでおく必要があった。すでに、紫丞相の書簡によって同盟は結ばれていたが、より確実なものとする為に、訪問する必要があった。
 この日は大吹雪で天候は荒れ、視界は数10㎝と悪く、昼間でも薄暗い上に一面の銀世界は、方向感覚を狂わせるには十分だった。せめて太陽でも出ていれば、方向を見失う事は無かったのに、と思う。しかし今は、何よりも間も無く日が暮れる。この吹雪の中で、体温を維持出来る様に、野営の準備もしなければならない。人肌で身体を温め合う方法もあるが、由子は女子であり、配下達には秘密にしている。それに、馬光の子供を生んだ身であり、人妻である。身体を温める為とは言え、他の男と裸で抱き合う訳にはいかない。
 この時期の冬は氷点下10℃を下回る日が続くが、この日は格別に寒く、体感温度はマイナス15℃にも感じられた。
「ふぅ~」
吐く息は白く、悴む手を息で温め、手を擦りながら岩陰を探し、風を凌げる場所を探し出してカマクラを作ると、近くの林で木を切ってそれを柱にした。雪の重みで屋根が潰れて下敷きにならない為だ。
 中に入ると、気温は低いはずだが、風を凌げるだけで、暖かく感じた。外は氷点下10℃以下で、この中でも氷点下5℃くらいだろう。震える手で火を起こし、暖を取った。温かい羹(スープ)が身体中を温めて染み渡る。
「暖かい」
皆んな無言であった。暖を取りながら、歯をガチガチと鳴らしている者もいた。配下は交代で薪を焚べ、横になると身体を寄せ合った。
 上将軍である由子を凍死させる訳にはいかないと、身動き出来ないほど囲まれて密着された。
 実は、ここにいる配下は全員が、由子が女子である事を知っていた。知られていないと思っているのは、本人だけである。この時、配下は手練が6人であり、欲情に負けて6人がかりで押さえ付ければ、由子を犯す事も可能だったかも知れない。しかし、そうはならなかった。皆、由子に心酔している信者ばかりであり、穢す様な真似など出来るはずも無かった。
 翌朝、目が覚めると火が消えていた。火の番をしていた者が、動かないので揺すると、すでに凍死していた。カマクラの中で地面を掘って埋葬した。
「後で必ず連れ帰り、晋で弔う」
皆の前で誓った。
 昨日の大吹雪が嘘の様に止み、晴天の陽射しが雪で反射して眩しかった。
しおりを挟む

処理中です...