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第1部 大韓の建国

【越南国と劉信】

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 水姫は楚国から河を降って秦国を抜け、そこから越南国に入った。かつては大理国があった土地で、現在の雲南省のやや南に位置する国だ。田舎だが、長閑で落ち着いていて民の雰囲気も悪くない。収めている領主が良いのだろう。
 羅略にたくさんお金を貰ったので、不自由は無い。歩いても良かったが、何かしらの時の為に体力を残しておこうと考え、お金を払って馬車に乗った。男物の服を着て、髪を結い、腰に剣を差しているので、何処かの若様だと思われている。馬車に揺られながら、考え事をしていた。
(そう言えば出奔した兄上は、韓が滅んだ事をどう思っているのだろうか?きっと私と同じで、韓の再興を目指すに違いない。無事であれば良いが…)
「お武家様、着きましたよ」
城門は関所の様になっており、通行手形が無ければ入る事が許されない。通行手形は身分証明書の様にもなっている。これは間者を簡単に、入国させない工夫でもあったし、他国の犯罪者や、自国の犯罪者が他国に逃亡するのを防ぐ為でもあった。
 水姫が持っているのは、羅略が自分の為に作ってくれた通行手形だ。簡単に通る事が出来た。着くとすぐに客桟(宿屋)を探した。客桟は宿泊も出来るが、ほとんどの客はお酒と食事が目的で来る。客桟に泊まるのは旅人くらいだ。真っ先に客桟を目指したのは、基本的に何処の国でも夜間は外出禁止令が出されており、客桟が埋まって泊まれない事態になるのを防ぎたいからだ。取り敢えず、3日ほど泊まると伝えて前払いで支払った。
 ちょうど良い具合に二軒目に入った客桟が空いていたので、ようやく身体を休める。階下に降りると、お酒とお粥を頼んだ。お粥にはお漬物が付いて来るのが普通だ。それから羊の肉を二切れ頼んだ。中国人は肉であれば何でも食べる。皆んなお肉は大好物だ。
「若様、羊は置いてなくて申し訳ない。北から来られたんですかぃ?南は羊が少なくて、出せても値段が張りますんでさぁ」
「鶏か牛はどうですか?」
「牛は農耕に使うので貴重だぁ。鶏もなくて、豚か狗ならあるんですがねぇ」
「では狗肉をくれ」
日本人の感覚なら狗肉ではなく、豚肉を選択する所だ。しかし、この時代の、特に高貴な人ほど豚肉は絶対に口にはしない。何故なら豚は、人糞を処理する為にトイレで飼われているからだ。不浄な物と思われているので、それを口にするのは、他の肉が手に入らない身分の低い人間だけだ。豚肉に対する価値観が上がるのは、この時代から800年以上先の事であるから仕方がない。
 お茶は高級嗜好品で客桟なんかで注文すれば、金持ちだと思われて襲われる事になる。それに値段もふっかけられるので、飲みたいなら別の所に行く。
 中国人はお酒を、女も子供も水の様に飲む。水姫はまだ16歳だが、この時代では15歳で成人する。日本では、お酒は二十歳からなので、絶対に真似をして飲んではいけない。お腹を満たすと、心にも余裕が出来て来た。
「明日の事は明日考えよう」
湯船に浸かってサッパリすると、少し早いが眠りについた。
 翌朝、軽めの朝餉(朝食)を頂くと、客桟を出た。何をすると言う訳でもない。城下を歩き、民の暮らしぶりを見て、頷うなずいた。民に不満が見えない。ここの城主はよほど慕われているのだろう、と思った。暫く歩くと人だかりが見えた。
「すまない。何をやってるんですか?」
「あぁ、何でも孟孫様のお題を答える事が出来たら、お役人に登用されるんだとよ」
「有難う」
水姫は、民に慕われる城主に興味が湧いていた。自分も列に並び、順番を待った。
「入ったらまず名を名乗れ」
そう言われて中に入った。
「姓は紫、名は水蘭と申します」
「ふむ、それでは…」
孟孫から出題された書物を全て誦じて見せた。それから孟孫と問答を交わした。
「何と凄いお方だ。これほどの人物が我国に仕官して頂けるのか?」
「仕えさせて頂けるのであれば、忠誠を尽くします」
「これは善は急げだ!今からすぐに我が主に会って頂きたい」
孟孫は興奮気味に紫水蘭を馬車に乗せると、城主の元へと急がせた。越南王・劉信に拝謁した。穏やかに話す君主だった。二言三言だけ言葉を交わすと、その場で尚書令に任命された。事実上の宰相である。まさかそんな高位に登用されるとは思わず、平伏して言った。
「君主を欺あざむくつもりは御座いませんでした。私の素性を知って頂きたいのです」
と、自分は亡国の韓の公主である事を告白した。
 劉信は少し驚いた表情をしたが、「あの高名な韓の水姫でしたか、私も孟孫の目にも狂いはなくて寧むしろ鼻が高い」と笑いながら言って、女性である事を気にもしなかった。この時代の女性は確かに、武将として活躍する者も少なくは無かったが、女性は基本的に男の子(後継)さえ生めば良いと言う扱いを受けており、女性が政治に介入する事を嫌う風潮もあったので、これは極めて異例である。
「私は運が良い。聖君にお仕えする事が出来た」
韓の方角を見ながら天を仰ぎ見た。
 劉信は隠したりせず、韓の公主・水姫を尚書令に封じたと天下に公表した。女性ですら高位に就けると噂を聞きつけて、天下から人材が集まり始めた。辺境の地である為、まともには人材が集まらなかっただろうから、広告塔にされたのもある。しかし、この時代において水姫の智謀に敵う者などいなかったので、彼女が越南国に来て国の命運は大きく変わる事になる。
 劉信は穏やかで、質素倹約に努め、民に重税を課したりせず、返って施しを行っていた為、民からの人気は絶大であった。水姫は、「彼らが兵士となれば、君主の為に命も投げ出すだろう」と思った。それは大きな力であり、各国が苦心する所をすでにクリアしているのだ。来きたるべき時に有利に事を進められる。来きたるべきとは、水姫は韓の復興と復讐を目指している為、北伐が目的だ。だが北に行くには、秦があり、東には大国楚が立ち塞がる。秦を併合して三国時代の西蜀の地を得る必要がある。そこから北上して、長安を攻める。何にせよ秦を攻めるには口実が要る。地の利も人の和も越南にはある。ただ天の時だけが足りなかった。
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