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第1部 大韓の建国

【由子の兵法の著者】

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 ある雨の夜、馬光は何やら胸騒ぎを感じて城壁へと急いだ。それは城壁に近づくに連れて大きくなった。
「何と言うプレッシャーだ。これ程までの殺気、常人ではない!」
馬光は鳥肌が立っている事に気付いて、冷や汗が出た。
城壁に行くと守備兵が数十人、声を上げることも出来ずに倒されていた。
「何者だ!?」
李王より拝刀された名剣・赤龍剣を抜いて構えた。
声を掛けられた者は、音もなく揺らめいて近づいた。
「お前だな?天下一の武勇を誇ると噂の無常鬼とやらは」
「お前は?」
「俺か?俺は、由子。お前を倒し最強となる者だ」
言うが早いか、一瞬で間合いを詰められ神速の斬撃を受けた。到底、目で見える様な代物では無かったが、その全てを受け切り、弾いた。
「へぇ、この飛燕剣で掠りもしなかったのは、お前が初めてだ」
その余りの速さに、十回振るった斬撃が一撃に見える事から、一振十殺と畏れられた剣技だ。
「ここからが本番だ」
そう言うと左手で小太刀を抜いて構えた。由子の本領は二刀流だ。片手でも厄介だったのが両手となり、神速の斬撃は2倍となって馬光を襲った。しかし、それでも身体に掠らせずに受け流し続けたのは流石であった。
 どれほど長い時間打ち合ったのか分からない、いや、僅かな時間であったのかも知れない。まるで自分達の周りだけ時間が止まっているかの様だった。
 やがて由子の剣が折れた。安堵したのか勝利を確信したのか分からないが、馬光は笑みを浮かべた。由子は左手の剣を投げ付け、馬光が弾いた瞬間を狙って懐に飛び込んで来た。折れた剣を振ったが、寸での所で剣で受け止めた。
「俺を舐めてんじゃねぇ!良いか?俺が負けたんじゃない。俺の名もなき駄剣が、貴様の名剣・赤龍剣に負けたんだ」
そう言うと、バク転をしながら後退し、バク宙で城壁に降り立った。
「次に会う時は、お前の命を貰う」
城壁から飛び降りると、水しぶきを上げて姿を消した。堀とは言え、高さは7mはある。この騒ぎを嗅ぎつけて城兵達が集まって来た。
瑛深も義兄を見つけると言った。
「遠目で少しだけだったが、見てたぜ。互角だったな。一体何者だ?」
馬光はそれには答えず、首筋に薄っすらと付けられた傷を触っていた。
「互角だと?馬鹿な。奴の剣が折れていなければ、いや、投げ付けた剣が折れた剣で、折れてない方の剣で斬り付けられていれば、俺は死んでいた…」
この恐るべき暗殺者こそ、この物語の主人公である由子だ。主人公でありながら、ここまで登場させなかったのは、由子が歴史に登場するのはこの時からであり、なるべく時系列で物語を進めたかったのと、魏朝が北遼によって滅ぼされる所から書き進める必要があった為である。
 また、魏帝国が滅んだのに、他の国が動揺していないのは、既に魏朝には各国を押さえるだけの力が無かった事を指している。皇族も皆殺しにされ後継がいない、ならば北遼を倒した者が天下を牛耳る事が出来る。その最先端にいるのが、この斉国であった。
 斉の李王は馬光から報告を受けていた。城壁の守備兵は気を失っていたが、殺されていなかった事。目的は馬光と腕比べであった事などで、斉への間者とは思えなかったと。
「誰か、由子なる者を知っておるか?」
「畏れながら、私めが存じております」
そう言って前に出たのは、この国の宰相である辛明だ。
「李王様にお伺い致します。由子の兵法なるものを聞かれた事は?」
「おぅ、当然知っておるとも。兵の心理、兵の配置から兵の動かし方まで理に叶った名書の一つであるな」
現在では由子の兵法など散逸してしまい、誰も知らないが、この時代では有名な書物の一冊であった様だ。
「その兵法書を書いたのが、この由子です」
それから辛明は、由子について知っている事を話し始めた。
 幼い頃、由子には二つ歳上の姉がいた。両親は幼い頃に死別し、姉が親代わりであった。とは言っても二つしか歳が変わらないのだ。どれほど苦労したのか計り知れない。姉は美しく14歳の時に偶然通りかかった城主に身染められ、近くの小屋に連れ込まれて凌辱された。中国では命よりも名誉を重んじる。辱しめを受けて、姉はその場で首を吊った。城主も身分の低い小娘など相手にはしない。侍女は奴婢だが、元は貴族の娘であったり、それなりに大きな商人の娘であったりするが、その侍女などがお手つき(抱かれる事)にでもなれば、側室になれる。散々、弄んでそのまま放置したのは、後腐れなく勝手に死んでくれるだろうと予測出来たからだ。
 由子は夕餉(晩ご飯の事)の為に魚を獲っていた。帰って来て見当たらない姉を探していると、近所の者が大変な事が起こったと報せてくれた。変わり果てた姉を見て怒り狂った由子は、そのまま飛び出して城主の屋敷に押し入ろうとしたが、まだ12歳の非力な子供である。足腰立たなくなるまで、叩きのめされて打ち捨てられた。姉に免じて命だけは助けてやると、殺されなかったが、歩くのもやっとの状態であった。悔しさと絶望に打ちのめされ、姉の元に逝こうと木に縄をかけていると、1人の坊主に会った。
「死ぬのは容易くいつでも出来る。姉の為に出来る事は後を追う事だけか?一つ死んだ気になってワシの修行を受けてみんか?」
坊主は酔狂で救ったのかは分からない。だがこれで由子は死を選ばず、復讐者の道を選んだ。得体の知れない坊主の修行は厳しかったが、姉の無念さを思うと耐えられた。元々の素質もあったのだろう、たった三年で師匠の坊主の強さを超えた。
「これからお前がする事はワシの預かり知らぬ所だ。勝手に思いを遂げるが良い。ここでお別れだ。縁があればまた会えるだろう。その時は敵か味方か分からぬがの」
そう言うと、目の前から消えた。最後まで得体の知れない坊主だったが、何者であったのか知るのはまだ先の事だ。
 奥の手は隠しておくものだ。由子は、師匠の坊主にも見せてはいない秘剣を開発していた。後に一振り十殺と畏れられる事になる飛燕剣だ。猫の様に音も無く屋敷に忍び込むと、城主を探して出会い頭に守衛を斬って回った。
 数刻後、城主の首を姉の墓に備えて敵討ちの報告をする姿があった。こうして由子はお尋ね者となり、姿を消したのだ。あれから更に三年の月日が流れ、今は18歳のはずで、恐るべきはその吸収力で、自ら書いた「由子の兵法」は、14歳で著したものだと言う。
「いやに詳しいな。何故そこまで知っている?」
「はい。あの者は、影を創設した我が祖父が育てし者。万が一、敵に回るなら必ず殺せと命じられております」
「ほぅ、あの無音が恐れし者か…。ならば命ずる。生きたまま捕らえて参れ。それほどの者であるならば我が配下に是非欲しい」
「は、はっ」
辛明は、厄介な命令を受けたと額に汗を滲ませた。
影とは、斉を強国たらしめた裏の組織で、間諜、暗殺、破壊工作、潜入捜査などを請け負い、日本の忍びにも似ている。
影には、独自で生み出された歩法があり、相手と呼吸を合わせて一体化し、瞬まばたきに合わせて瞬歩で間合いを詰める為、相手は一瞬で目の前に現れた様に感じると言う。
 影の創始者である無音は伝説的な忍びであり、超える者などいない。その祖父が自分より上だと認め、敵に回るなら何としてでも殺せと命じたのは、それほどまでにヤバい相手だと言う事だ。殺すのも難しい相手を生け捕れとは、抵抗されればどれ程の被害を出す事かと溜息をついた。
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