香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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貴方のダンスが見てみたい3

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「扉から離れろ!」

バルクは王様のように命令し、その傲岸なほどの態度に敏感に反応したのはブラントだった。フェロモンに刺激され気が立ったのか日頃は穏やかな青年は、素行の良くない先輩を真正面から睨みつけた。

「どういうことか説明してください」
「いいからどけ」

まるでアルファ同士の争いの最中に置かれたように、トマスに脂汗が伝う。

互いの牽制フェロモンが漏れ出した時、トマスは青い顔をして壁を背にしてその場にずるずるとしゃがみ込んだ。

ブラントがトマスに気を取られた瞬間、蹴散らす勢いで長い足を二人の間に割り込ませたバルクは扉の向こうに消えていった。

「凄い匂いだ……」

立ち込める香りは絞った檸檬に蜂蜜をかけたような刺激的なものだった。トマスはさらにくらくらしてきた。

「君たち!」

守衛とともに今度は黒髪の青年とセラフィンが廊下の向こうからかけてきた。

セラフィンの白皙の美しい顔には殴られたようなアザがあり、喧嘩とは無縁の世界に生きているトマスは、それを見て更に気分が悪くなってしまった。

「セラフィンこれは……」

「とにかく皆さんここから離れてください。このことは他言無用にお願いします」

黒髪の青年が問に答えぬセラフィンに代わりそう言い残し、扉を開け飛び込んでいった。

「皆さん早く離れて!」

トマスを支え不祥不祥ながら、ブラントは守衛に促されセラフィンを伴い、明星生の階から退避したのである。



救護室に運ばれたトマスはベッドの上からセラフィンとブラントが言い争うさまを、どこか遠い出来事のようにぼんやりと眺めていた。
あまりに動揺してしまったため、心を落ち着かせるような薬を処方され、だんだんと眠気が勝って来たのだ。

切れ切れに聞こえる声の中にソフィアリという名前とオメガという単語が聞き取れたが二人の間にどんな会話がなされたのかはわからないままだった。そのまま眠ってしまい、朦朧とした状態で家族が迎えに来てくれたが、この日の出来事の詳細を誰にも教えてもらうことはできなかった。


トマスは体調を崩し数日学校を休んだ。薬が合わなかったらしく薬疹がでて踏んだり蹴ったりだ。その間にブラントは見舞いと称し、珍しくトマスの家を訪ねてくれたのだ。
王子様みたいに格好よいの、とブラントに憧れる2つ年下の妹がまとわりついてきたが、トマスは私室に彼を招いて妹の追走を交わしたのだった。
そして私室の寝台で再度横になるトマスの傍らの椅子に座った。

「この間、オメガのヒートに巻き込まれて、お前を医務室に運んだとき、セラフィンと話す機会があった」

「結局あれってなんだったんだ?」

「さあな。あそこの許可証もってるのはセラフィンだろうから、勝手にオメガを連れ込んで事故が起きたのかわからないが…… あれからあいつも学校を休んでるからよくわからない。それよりもいい機会だったから、俺はソフィアリが今どこにいるのか訊ねたんだ。あまりセラフィンとは親しくないし、むしろ俺たち目の敵にされていただろう?」

「まあ、あいつのブラコンは尋常じゃないからな」

トマスもソフィアリと教室にいるとき、何度も兄弟よく似た青い目で睨みつけられた。
陽気だが気の強い方じゃないトマスにとってはあまりに気分のいい思い出ではない。

「ソフィアリはオメガだったから学校を退学させられて遠い親類の家に預けられといっていた。セラフィンはそれを邪魔しようとしたから、ソフィアリの行方をきいても家族に教えてもらえないらしい」

突拍子もない話にどうせセラフィンに担がれたんだろう?とトマスは半信半疑で抱えていた青いクッションをブラントの顔に投げつけた。
ブラントは笑いながらクッションを受けて投げ返してくる。なんだか彼にしては興奮気味な様子だ。

「そんなことあり得るのか? 学年飛び越えた超えた主席の秀才だぞ? チビでもないしどっからどう見てもアルファって感じだったじゃないか」

実際男性のオメガにあったことは無いのでよくわからないが、女性のオメガは総じて華奢で美しくなんというか、惑わされるようなしなのような蠱惑的な雰囲気がある。
ソフィアリは確かに女性と見まごう美貌であるが背は低い方ではない。
悔しいがあのセラフィンだってすっかり背が伸び、憂いのある美貌を持ちつつ上背はトマスを少し越していた。兄のあの堂々たる美丈夫ぶりといい、モルス家はアルファが生まれやすい家系に違いない。

それにモルス家がそんな仕打ちを我が子にするだろうか? トマスは俄には信じられなかった。貴族院議員の中ではいつも市井の人々寄りで有名な穏健派の議員で、戦前の腐敗しきった貴族院の中でも清廉潔白を貫いてきた。
そんな人物が我が子をオメガだからという理由でどこかに追いやったりするだろうか?
とはいえソフィアリが中央から消えた事実は変わらないのだが。

「いや、バース性で成績を決めつけるのは失礼だろう? 現にお前だって、ベータかもしれないが科目によっては俺より成績がいい。体格も負けてないし、運動神経だって悪くないだろ?」

それはトマスにとって喜んでいいのか悪いのか複雑な評価だ。だからバース性を知るのも知られるのも嫌なのだ。なんとなく会話の裏を勘ぐりたくなってしまう。

それにしてもブランドの様子はどこかおかしい。普段は一部の隙もないように整った真面目そうな顔つきが、今日はどこかうっとりし夢見がちな要素が注ぎ足されやたら甘くみえた。婚約者がいるくせに運命の番の存在を夢見ていて、ロマンチストを気取るタレ目のコーデルみたいな顔つきだ。
高等教育学校の数少ない女子や、近隣の女子校の学生からも熱い視線を送られているくせに浮いた噂に乏しいブラントが、まるで初恋を得た少年のように見えた。

「俺、思い出したんだ。こないだ談話室の前で感じたあれが、本物のオメガのフェロモンならば、以前ソフィアリから香っていたものも、きっとそれなんじゃないかと」

「いつ? 」 

それは、やはりアルファだから感じ取れたのか。トマスは少しだけ悔しかった。
ブラントは語ったのは春に学校の庭で行ったダンスの練習会の思い出だった。
確かにその場にトマスもいたから思い出すことができた。

男女のペアになって踊るダンスは、貴族の子女のための学校だった頃の習いに従い、学校には未だにあるクラシカルな教科だった。
女生徒が少ない高等教育学校において、ダンスの練習がどうしても男同士のペアができてしまう。昔は女子校の生徒と、わざわざこの為に交流授業を設けていたらしいが、いまはそこまではしない。
ソフィアリは背もすらっと高く、ダンスがとても巧みな上、ひとつ年下で可愛いと女の子達はみんなソフィアリとダンスしたがった。

淀みないステップは教師も絶賛した名手ぶりで初めは年配の女性教師と踊り、みなの見本となって絶賛を浴びていた。
背筋を伸ばしてくるくると。白いスカートの制服の少女たちを蝶々のように舞わせ、美しくリードしてあげるソフィアリのダンスは踊りやすいと評判だった。流石に女の子にまで意地悪できない弟のセラフィンは兄が他のものと踊ることに不服そうだったが。

ただ立っているだけならば文句の一つのも出ない立派な体躯をした貴公子のブラントだが、実はダンスが苦手だった。踊れるには踊れるが、普段の何をやらせても及第点の彼の評価にはおよそ至らない。

それを知っている昔からの同級生はあえてからかったりしないものの、日頃何ひとつ敵わぬ彼が女の子に誘われ断れず、無様なさまを晒すのを今か今かと待ち構えていた。

「俺と踊ろうよ! ブラント! みんなに見本を見せてやろう!」

その様子をしっかりと伺っていたソフィアリは冗談めかしてそう言い放ち助け舟を出した。
青空の下暖かな日差しの中、ソフィアリは颯爽とブラントの手をとり皆の中央へまさしく躍り出たのだ。
初めはソフィアリがリードの位置にいて、女の子たちは口々に二人の姿を褒めそやし、周りは美男二人の少し倒錯的なダンスに見惚れて黄色い歓声があがった。
そのうち良い教師のリードにコツを掴んできたブラントは、男性側の位置に変わる。ソフィアリは大きな瞳を見張って彼の上達に満足げな笑顔を浮かべて相手をし続けた。

咲き乱れる薔薇の芳香が漂う春の庭。
腕の中にいたソフィアリから、抱えた大きな花束のような麗しい芳香が漂い、ブラントの鼻先をくすぐっていった。
ブラントはその香りに酔い、運命の恋人にむけるような真剣な熱い眼差しをして、今度はソフィアリの豊かな黒髪を乱しながら周りを圧倒するように踊った。
嫉妬に狂った彼の弟に強引に止められるまで。

「この間まで、あれは周りの薔薇の花の香りだと思っていた。あまりに芳しくてフェロモンとは思わなかったんだ。この間本物のΩフェロモンを嗅いで、あんなにも駆り立てられるような心地になったのは、あのとき以来だった。それでわかった。ソフィアリはきっとオメガだったんだ。俺はソフィアリを探したい。突然オメガだなんていわれて、きっと戸惑って混乱していると思う。それならば俺が、俺の番にしてあげたいんだ」

だからソフィアリを探す協力してほしい。
つまりはそれを言いたくてトマスのところに来たわけだ。トマスはそれでやっと悟った。誰でもなく自分のところにブラントがきたのは、トマスがアルファでなくベータだったからだ。トマスは複雑な思いに駆られながら情熱的に語る友人の顔を見返した。


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