馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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【後日談】杖の下に回る犬は打てない

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 強張った俺の体を撫でながら、諦めたような笑みのまま、師匠が言葉を続ける。

「兄上はもう、結婚してたし……俺は一生、父上の道具なんだと思ってたから」

 この一大任務に殉じれば家の名誉になると、父親を説き伏せてドラゴンの討伐隊に加わった。生きて戻れる見込みは端からなかったし、生きて戻りたいとも思っていなかった。

「……ただ、変な話、だとは思うけど……一緒に行く奴らが、誰も死ななければいいのに、とも思ってた」

 ギュンター・ラクレインも、レイノルド・ヴァーリも、頼まれて抱いた相手も、抱かれた相手も。名前も知らない騎士でさえ、生きて帰ってほしいと思った。誰だって生きて帰りたいだろうと思った。
 だから、必死で戦った。

「わかっては、いるんだ。ドラゴンに勝てるわけねぇし、そもそも俺一人がいくら頑張ったって、全員を守れるわけじゃねぇ」

 それでも。

「それでも、俺は、誰も死んでほしくなかったんだ……」

 炎に巻かれて、踊り狂うように焼け死んでいく騎士を見た。尻尾で薙ぎ払われて、妙な方向に折れ曲がる体を見た。鉤爪で易々と人が引き裂かれて、牙が見えれば防具ごと貫かれた肉体が血を噴き出した。
 濃厚な死の折り重なった場所で、一人でも多く生きて帰したくて、死なせたくなくて、剣を振るい続けた。

「……ラクレインが、ドラゴンに弾き飛ばされて落ちた時……息が出来なくなった、気がした」

 死んでいいと思っていた自分がまだ生きているのに、死んでほしくない人が死んでしまった。怪我もしていないのに胸が痛くて、動き続けなければ誰も彼も死んでしまう気がして、ひたすらドラゴンに向かっていった。

「……ヴァーリも、いなくなるのは、嫌だったから……たぶん、庇った、と、思う」

 ラクレイン団長が地面に落ちたのを見た後から、記憶が曖昧らしい。次に意識がはっきりしたのはベッドの上で、ラクレイン団長が傍にいるのを見て、心底ほっとしたそうだ。レイノルド・ヴァーリも生きていて、泣き崩れたラクレイン団長に代わって、事の顛末を説明してもらった。
 聞いて、そうして、どうしていいかわからなくなった。

「ほとんど……ほとんど誰も、守れなかった、のに、俺、は、英雄で」

 ドラゴンを倒したという記憶も朧げなのに、王都から討伐隊として出撃した騎士はほとんど死んでしまったのに、ただただ讃えられた。生きて帰ったこと、ドラゴンを討伐したことを称賛する声はあっても、大勢を死なせたことを非難する人は誰もいなかった。部隊を預かるような立場ではなかったから、責任を取る必要は元からなかったけど、生き残ってしまったという気持ちは強かった。結局、事前に話していた通り、自分に付加価値を付けて更なる便利な道具になっただけのような気がして、作り笑いしか出来なくなった。

「ウィルマんとこ行って、少し……楽になった、けど。遺族回って、頭下げ続けて、でも責められなくて……」

 だって、師匠は何も悪くない。ドラゴンを倒したのはやっぱりすごいことだし、生き残ったのを安堵する声はあっても、責めることなんて誰も出来ないはずだ。

 そう、思ったけど。そういう言葉が師匠のじくじくするところを治せるようには思えなくて、何も言えなくてただ師匠を撫でた。
 人間の言葉は、便利なようで不便だ。大事な思いを伝えたくても、言葉にした途端にいろんな気持ちが削ぎ落とされて、心の中をほんの少ししか乗せられない。
 もどかしく触れる俺の手に、猫みたいにすり、と頬を寄せて、師匠が口角を上げた。

「……お前は、俺の顔も名前も知らなくて、英雄って聞いても、変わらなくて」

 ドラゴンが倒されたとか何とか、自分からは遠い話として聞いたような気はするけど、生き残るのに忙しかった俺には、どうでもいいことだった。名前も知らない誰かの英雄譚なんて、俺の腹を膨らませてはくれないし、雨露がしのげるわけでもない。
 それに、俺が拾ってもらったのはクライヴ・バルトロウという人だけど、血筋とか称号とかはその人にくっついているだけの属性だ。切り離せるものでもないけど、それがなくても俺のほしい人が変わるわけじゃない。

「……お前がいると……息が、出来るんだ」

 もぞもぞと師匠が寄ってきて、俺にくっついてくる。師匠の指先が少し冷たくなっているような気がして、抱きしめて何度も口付けた。大事な人。特別な人。ずっと、ずっとほしい人。

「……何で、話してくれたの」

 今までだったら、絶対誰にも話そうとしなかった、と思う。師匠は、自分の柔らかいところをあんまり人に見せる方じゃない。外面を作ることはあっても、痛みを晒すなんてしてこなかったはずだ。それに、俺が治してあげられればいいけど、これはたぶん、誰にも治せない。
 少しだけ、勇気を出して聞いた俺に、師匠がくつくつ笑った。

「こういう話すれば、甘やかしてもらえると思ったから」
「え」

 ひび割れそうなガラス玉が、いつのまにか悪戯っぽく煌めいている宝石に変わっていて、啄むように何度もキスをくれる。

「ルイ、意地悪なのじゃなくて、優しく抱いて」
「…………ずるい……」

 腰を寄せて俺のを撫で上げてくる人に呻いて、覆い被さって綺麗な顔に掛かっている髪を払う。くすぐったそうに笑って俺を見上げている人が、俺の頬を撫でながら悪そうな顔をした。

「俺ァ、ずるい大人なんだよ」
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