馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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野良犬、迷い犬、あの手が恋しい

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「……一生を添い遂げるつもりだとでも、言いたいのか」
「はい」

 それは、躊躇いようもなく。

 聞かれたからすぐに返事をしたら、公爵の顔がさらに険しくなった。襟首を掴んでいる手にもさらに力が籠もったから、いよいよ服が破けそうな気がする。上半身の服を着てなかったら城に入れてもらえないと思うから、ちょっと困る。城どころではなく、王都を歩いているだけでも捕まるかもしれない。

「…………私は」

 公爵がぽつりと漏らした。

「私は、アドルフに幸せになってほしいんだ」

 公爵家の跡取りとして生まれたから、厳しく育てられるのも当たり前だと思っていた。学問に精を出し、貴族として必要な武芸を磨いた。父親の期待に応えたかった。
 けれど、弟が生まれて、父親のそれは期待などではないと気付いた。
 もっと暗い、父親自身が苛まれていた劣等感の、裏返し。公爵家の人間なのだから、王家の血筋が入っているのだから、個人の資質を問わず、最上級の人間であるべし。

 才能のある弟に対して父親が入れ込み始めたから、公爵はその束縛から離れることが出来た。嫉妬する気持ちがなかったわけではないけれど、全てを管理して、自身の考える一流の人間にしようとする父親の思いで雁字搦めにされている弟に、罪悪感も抱いた。自分がもっと出来る人間であれば、弟があんな目に遭うことはなかったのではないか。でも、もう二度とあの環境には戻りたくなかった。

 弟に関してはずっと、王太子に介入されても、騎士団に入った後でも、父親が頑迷に手を離そうとしなかった。完全に断ち切れたのは、東の魔女のところに預けられた時からだ。そこに送り届けられたのは、王太子や二人の騎士のおかげで、兄としては何も出来なかった。そもそも、東の魔女のいる場所は魔物も強いし森の奥深くにあるから、公爵家でも人を送り込めなかったらしい。

「……私はアドルフを、父から守れなかった。だからせめて、幸せにしてやりたいんだ」

 公爵の手が離れて、じっと俺を見下ろす。師匠に似てないけど、師匠と同じ碧の瞳だ。
 急に、これが血の繋がりなのだと、俺の知らないものを見せつけられた気がした。王妃がきちんと話をしてきなさいって言ったのは、たぶん、公爵が師匠の家族だからなんだろう。俺には、生きてるか死んでるかわからない姉しかいないし、顔もわからないけど、師匠には会おうと思えば会える家族がいる。

「……俺の幸せには、師匠が必要なので」

 でも、俺には師匠が必要だから、身を引くとか誰かに譲るとか、そういうのは考えられない。俺の特別は、一番は師匠だけだから、血の繋がった公爵が何か言ってきても、王様が邪魔してきても、諦めることだけは絶対しない。

「一緒にいて幸せになってもらえるよう、俺を全部使います」

 俺は師匠がいてくれればいいから、師匠が幸せになるために何でもする。傍にいるなって言われたらちょっと困るけど、魔物退治してこいって言われたら倒すし、誰か護衛しろって言われたらちゃんと守るし、遺跡調べろって言われたら報告書も作る。ただ、料理しろって言われたら出来ないから、勉強しておいた方がいいかもしれない。とにかく、俺を全部師匠のために使う。

「……血の一滴まで、か」

 やっぱり式典の時、公爵も広間にいたみたいだ。さっきも言った言葉だけど、あの時のことを確認するみたいに聞かれたから、ちゃんと頷いておいた。
 血が何の役に立つのか、みたいなとこはあるけど、物の例えとかいうやつだ。骨の一本までって言うより、血の一滴までって言った方が格好付く感じはするし。

「……ルイ・コネル殿」

 公爵の眉間の皺がふっと緩んだ。今まで力が籠もっていたらしい肩が下がって、厳つく見えていた体がただの背の高い人になる。やっぱりそこまで鍛えてなさそうに見えるから、さっきは感情だけで俺を持ち上げるくらいの力が出たみたいだ。人が激情に駆られて普段以上の力を出すことがあるのは知ってるけど、自分に向けられることがあるとは思わなかった。
 名前を呼ばれて何だろうと思ってたら、公爵に肩を掴まれる。

「弟のことを……よろしく頼む」
「ッ……はい!」

 家族にも頼まれたから、俺が師匠と一緒にいたっていいはずだ。
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