馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

phyr

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狂犬、猟犬、あるいは盛りの付いた

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 忠犬。
 師匠にそう思ってもらえたら嬉しいけど。師匠の中での俺の評価はずっと駄犬のままだ。せめて飼い犬としては認めてもらいたいから、もっともっと努力しないといけない。

「……君ね、この子、人を君かそれ以外かでしか区別してないからね」
「ァア?」

 煙草を取り出してくわえようとした姿勢で、師匠が固まった。マッチを取り出した方がいいだろうか。
 どうするのかと師匠を見ていたら、碧の瞳がこちらを振り返った。陽光じゃない灯りの下で見ても、師匠の瞳は綺麗だ。

「馬鹿犬」
「何、師匠」
「お前これを知ってるか」

 これ、で示されたのは、師匠の対面に座る店主だ。これって、と渋面を作っているけど、師匠が他人を人扱いしないのなんていつものことだ。外面を作っている時はともかく、誰の目も気にしなくていいところなら、師匠は平気で路地裏のような汚い言葉を使う。今はまともな会話をしてもらえているだけ、マシだと思う。

「王都でよく師匠に頼み事してくるモンドール商会の会頭」
「名前は」
「……なまえ?」

 記憶の端にも引っ掛からなくて悩んでいたら、師匠の眉間に皴が増え、目が細くなり、口角が歪んだ。師匠の表情なら理解出来る。あれは苛立ちだ。
 ゆっくりと首を元に戻して、師匠は深々とため息をついた。

「モンドール、ガキってのは人の名前は覚えなさいって教えなきゃいけねぇもんなのか?」
「あー……そうだね、彼の場合は必要だと思うよ……」

 火も点けずに手に持ったままの煙草を師匠が投げ捨てた。もったいない。

「ああああもう面倒臭ぇな! んなとこまで駄犬かよ!」

 苛立ちのままぐしゃぐしゃと頭を掻き乱すから、せっかく朝整えた師匠の髪がぼさぼさになった。また後でセットさせてもらおう。一日に二回も師匠の髪に触っていいなんて、今日は運がいい。
 ひとまず近付いて外れかかっている髪紐を解いたら、そこに直れと言われたので床に座った。床、と呟いた店主の声は、俺も師匠も無視だ。

「いいか馬鹿犬、人間様は名前っつー固有名詞で他人を識別して、属性で態度を決める。セットで覚えろ」

 何かを覚えるのは別に苦じゃない。師匠が覚えろと言ったことはすべて覚えているし、何も言われなくても、師匠に関することは何一つ忘れないようにぎっちり記憶している。

「それ、必要なんですか」

 ただ、他人の名前にあんまり意味が見出せない。所属に関しては、師匠の役に立つこともあるから覚えているけど、個々人を区別する必要を感じたことがない。
 疑問をそのまま口に出すと、口答えは許さないけど質問は許してくれる優しい師匠は、新しい煙草を取り出して火を点けた。

「野良犬がいいなら、好きにしろ」
「会頭さん、名前教えてください」
「……今度から調教師と狂犬ちゃんって呼ぼうかな」
「師匠が嫌がりそうだからやめてほしい」
「君は本当にぶれないね……」
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