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第一部 身の程知らずなご令嬢 ~第一章 毒花は開花する~

5. そっちがその気なら (リネア視点)

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「なによ!なんなのよ!」

 寮の一室で、クッションを投げつけながら、叫んでいる女がいる。
 彼女は、普段は庇護欲をそそる可愛らしい顔立ちをしているのだが、今は見る影も残っていない。

「リネアお嬢さま。それ以上は、クッションが傷む恐れがーー」

 近くにいた使用人が声をかけると、リネアと呼ばれた彼女はキッと睨む。

「うるさいわね!使用人のくせに、偉そうなこと言ってんじゃないわよ!出ていきなさい!」

 使用人にクッションを投げつけながらリネアが言うと、使用人は小さな声で、「……失礼します」と言って部屋を出る。

 使用人に、八つ当たりに近い怒りを向けても、リネアは収まらない。
 クッションが壊れるかもしれないなどという考えを彼方にやり、クッションを殴る。

「なにが『婚約者がいるから二人きりにはなれない』よ!今まで散々付き合ってやったのに!」

 リネアは、あの男ーーアレクシスの顔を思い浮かべる。
 あの何かに怯えているような、男らしさの欠片もない断り方をしてきたあの男の顔を思い出すと、むしゃくしゃせずにはいられない。

(せっかくの侯爵家の跡取りだったのに!)

 リネアは、貴族とはいえ、決して裕福とはいえない男爵家に生まれた。
 領地も決して大きくはなく、自然災害も多く、収入が少ないため、少なからずの借金もある。

 そんな男爵家の状況は、リネアを満足させることはできなかった。

 金の工面のために、プライドなどかなぐり捨てて頭を下げている父の姿は、一番腹が立った。
 だが、そうしなければ生きていけないのは、リネアもわかっていたので、それに文句をつけたことはない。
 
 ただ、そのせいで、同じ男爵家にすら見下されてしまうという現状が、気に入らなかった。
 リネアは、決して、豪遊したいわけではない。せめて、周りに見下されない程度の財力が欲しいだけだ。

 リネアは、最初は、その境遇に生まれてしまった自分の哀れさを嘆くだけだった。それ以外に、彼女ができることなどなかったのだ。

 そんなリネアの人生に転機が訪れたのは、リネアが社交界デビューをしたときだった。

 社交界デビューは、十歳以上という条件以外は、特に制限があるわけでもないので、リネアと同じ年に社交界デビューをした人でも、年齢層は様々だった。
 だが、中央に行くだけの資金がないリネアは、地元で行うしかなく、地方貴族しかいないため、爵位が高くないものも多く、距離が近いからか、あまり社交界という雰囲気を感じない。

 食事も、普段食べているものとなんら変わりはないため、リネアは早々につまらなく感じていた。
 だが、父から婚約相手を見つけてこいと言われていたリネアは、すぐに帰ることもできない。

 そのまま壁の花となるのか、と思っていたリネアの周りに、なぜか男性たちが集まってくる。

「リネアさま。私はロングヌス子爵家の者です。私とダンスを踊ってくれませんか」
「いえ、ぜひアイズス男爵家の私と……」
「何を言ってるんだ。私が先だ」
「えっ、あっ、えっと……」

 いきなりダンスに誘われるという自体についていけずに、混乱してしまう。

「わ、私と……ですか?」

 なんとか絞り出せた言葉は、それだけだった。

「はい。リネアさまのような美しいお方のファーストダンスの相手となりたいのです」
「だから、それは私だ」
「何を言っている」

 誰がリネアとファーストダンスを踊るのかと、リネアをそっちのけで男たちが争いを始めてしまった。

 そこで、ぽつんと残されたリネアは気づく。

(もしかして、私ってかわいいの?)

 今まで、年が近い男の人は、兄としか交流したことがなく、兄にはかわいいと言われてはいたが、身内の欲目だと思っていた。
 だが、鏡で見た自分の顔と、周りの令嬢たちを比べてみるけど、客観的に見たとしても、確かにリネアは可愛らしい顔立ちをしている。
 とびきり美しいというわけではないが、庇護欲をそそり、愛らしさを全面に押し出したような顔つきだ。

 それに気づいたリネアは、とたんに気分が高揚する。

 今まで、ブラットン男爵家は、同じ男爵家にすら見下されてしまう弱い家だった。
 それが、今はどうだろうか。
 男爵家だけではなく、子爵家にすらリネアを取り合い、男爵家の自分に頭を下げている。

 これだ、と思った。

 お金が欲しいなら、父のように、プライドを捨ててへこへことへりくだるのではなく、金持ちの妻になればいいだけだ。

 まだ、地方貴族には、金持ちといえるような貴族は少ないが、数年後に通う学園には、きっとリネアの満足する金持ちがいることだろう。

 今まで、十年近く耐えてきた。もう数年くらいなら耐えられる。
 それまでは、言い寄ってくる男たちを利用すればいい。

 そのために、リネアは演技力を磨き、自在に涙を流したり、自然に笑えるように特訓を繰り返した。

 家族だって、自分の振る舞いに頭を抱えるような素振りは見せても、きちんとお金を持ってきているのだから、止めはしなかった。

 だから、学園でも同じように振る舞って、それは、途中までうまくいっていた。だというのに……

「マリエンヌ……!あの女、今さらなんなのよ……!」

 マリエンヌ・リューク公爵令嬢。

 王子の婚約者であるその名前は、学園に入る前から知っていた。

 この国で三つしかない公爵家の令嬢で、教養もあり、勉学も優秀、慈悲深く、それでいて美人といった、完璧としか言い表せない存在。

 その噂は、決して誇張されたものではなかったというのは、学園に入ってすぐに知ることができた。

 なんでも持っているマリエンヌに、嫉妬しなかったとはいわない。でも、自分の目的を邪魔しないのなら、どうでもいい存在だった。

 それが目障りに感じたのは、アレクシスとの交流を注意されてからだ。

 最近は、婚約者とかいう伯爵令嬢の偉そうな態度にも辟易としていたくらいなのに、単純に知らなかったのか、見て見ぬふりしていたのかは知らないが、今さらそんな風に口出しされても、苛立ちしかなかった。

 だが、その慈悲深いという性格に偽りなく、リネアが謝罪する素振りを見せれば、それ以上追求するようなことはなかった。

 その一件で、リネアの中でのマリエンヌは、馬鹿な女というイメージが固まった。

 だが、そこから狂い始めた。

 いつものようにアレクシスとの交流を深めようとしたが、アレクシスは、それ以降は自分を拒否してきた。

 そして、自分の代わりのように、婚約者といっていたあの伯爵令嬢を側に置くようになっていた。

 そのせいか、あの伯爵令嬢が自分に話しかけてくることはなくなり、機嫌がよくなっている。

 リネアは、訳がわからなかった。

 一体、何がアレクシスをあそこまで変えたのか。

 アレクシスの今までの言動を思い返しているなかで、よく考えればおかしなことがあったことに気づく。

 アレクシスは、あの婚約者には強気に出て、自分のことを友人だと庇っていたのに、マリエンヌには、最初から弱気だったと。

 単純に、自分よりも身分が上の公爵令嬢だからかもしれないが、少し気になる。

(いったい、あの女に何があるって言うの……)

 リネアがきゅっと唇を噛み締めていると、おそるおそるという風に、コン、コンと小さくノックする音が部屋に響く。

「何よ」

 リネアが不機嫌を隠しもせずに聞くと、ドアの向こうで、震える声が聞こえる。

「さ、先ほど、ライオネルさまからお手紙が届きまして……」
「……入って渡しなさい」

 リネアがそう言うと、ドアが開き、先ほど追い出した使用人が入ってくる。

 手紙をリネアに渡すと、使用人はすぐに距離を取った。

 そんな使用人を横目に、リネアは、ペーパーナイフで封を切り、中身を確認する。
 しばらく読み進めて、ある文面を見たとき、リネアはぐしゃりと紙を握りつぶした。

「あの女……ライオネルにまで……!」

 そこには、ライオネルとマリエンヌの間にあったトラブルがつらつらと書き連ねてあった。
 そこには、逆恨みにしか見えないが、マリエンヌの恨み辛みもある。

 そして最後には、マリエンヌを何とかするから、しばらく会えないと書いてあった。
 アレクシスと違うのは、二度と会わないというものではなく、しばらく距離を置きたいというだけだったが……

 それでも、リネアのプライドを傷つけるのには充分だった。

(マリエンヌ……。面倒ね)

 今さらになって、自分の邪魔ばかりするマリエンヌを、このまま見過ごすわけにはいかない。
 なんとしてでも、黙らせなければならない。

(いいわ。そっちがその気なら……)

 リネアは、ニヤリと笑い、紙とペンを取り、つらつらと書いていき、使用人に渡した。

「ライオネルさまにお返事を渡してきてちょうだい」
「……かしこまりました」

 使用人は、リネアが機嫌がいいことに動揺しながらも、命令通りに部屋を出ていった。
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