二人静

幻夜

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二十六、

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 「斎藤」
 襖を開けると同時に呼びかけるように斎藤の名を言い、沖田がふらりと帰ってきた。

 「・・・」
 なにをいきなり名前を呼んできたのか、斎藤がその次の言葉を待てど、沖田はそれ以上続けず。
 「・・何だ」
 斎藤のほうが、間を持てずに続きを促すように問うた。
 沖田は斎藤の座る部屋の中央まで歩むなり、目の前に、答えぬまま無言で腰を下ろし。
 向きなおるべく手にしていた本を閉じて傍らに置いた斎藤の横、沖田はごろりと畳に仰向けに伸びた。

 「・・・。」
 斎藤は久しぶりに目にしたその沖田の常の姿に、胸奥がくすぐられるような感覚をおぼえながらも、
 このあいかわらず掴めない友を少し当惑した面持ちで見下ろした。
 今もきちりと正座をしているそんな斎藤のすぐ横では、沖田がぶわっと欠伸をし、寝転んだままに斎藤を見上げ。
 「こうしていると昔に戻ったみたいだ。」
 などと言い。

 ・・・斎藤が江戸に発つ前の事を言っているのだろう。
 昔といっても一月程度の間だ。だが帰京を待ちに待った斎藤がこの一月を長かったと思うように、沖田もまた同じように感じていたということなのだろうか。
 「おまえが帰ってきたんだと、実感する」
 正座をしたままに見下ろす斎藤へ、沖田はそんな言葉を継ぎ足した。

 「今までどこの部屋に寝泊りしてた」
 斎藤は問いを変えて、隣ですっかり寛いでいる沖田を見返した。
 「引っ越す前の部屋だよ」
 こともなげに沖田が答え。斎藤は、やはり、と溜息をついていた。
 「一月もあの黴臭い部屋に居たのか」
 「そんなに黴臭いかね」
 気にし過ぎだ、と沖田は云わんばかりに笑い。
 「・・・もう二度とあの部屋を使うな」
 斎藤は取り合わず、かねてからのその願いを今一度口にした。
 「日が当たらぬ部屋はあんたには合わない」
 「・・・」
 斎藤の言葉に少し目を見開いた沖田が、やがて小さく微笑ったのを斎藤の目が捉えた時。
 不意に沖田が身を起こし、斎藤の前に座りなおした。
 「沖田、」
 と、彼が座りなおしたわけを悟るように斎藤は、促してやるつもりで囁いていた。
 「何を、言おうとしてる」

 先程の出迎えの時も、
 今部屋に入ってくる時も、
 何を言おうとして躊躇しているのか。
 「はっきり言ってくれていい」
 斎藤は今も己の肩に感じたままの、あの時の彼の握り締めてきた力のわけを、知りたいと。沖田をまっすぐに見つめた。
 その見つめた先で、あいかわらずの闇のように何も伝えてはこない眼の奥に、
 一筋の鋭い光が一瞬に走って、揺れた。
 「悪かった」
 脈絡もなく突然、沖田の低く堕ちるような声が謝りの辞をのせて吐かれ。
 「俺の勝手な我侭で、今回おまえには苦労かけた」
 「・・・」
 何を言い出すのかと思いきや、そんなことを言い出した沖田に、斎藤は呆然と息を呑んだ。
 「おまえ少し痩せたよ」
 苦労させたんだな、とそんな斎藤に沖田は心底申し訳なさげに言い添えた。

 伊東の側に四六時中居るのは苦痛だと、そんなふうに斎藤にすれば見え透いた誤魔化しを言って沖田は、真の理由も伝えぬまま。かわりに姉に会ってくればいいと当たり障り無い理由だけを伝えて斎藤に東下を押し付けた。その曖昧さを今更謝っているつもりなのだろうか。
 斎藤は些か釈然としない想いで。返事に窮した。
 
   あの日、土方さんを頼む、と。
 出発の前日、そう言った当の沖田は、同じ口で「伊東が今何か事を起こすことはない」と断言していた。
 確かに、そう何も起こらなかった。元々、出発の前日のあの頼みは、土方の生命を守るなどという深い意味では無かったのかもしれない。
 だが斎藤は深い意味に受け取っていた。受け取って、道中覚悟を決めて土方を守ろうとした。
 斎藤が大事と受け取ったのは当然で。
 もっと以前のあの夜の稽古で、幻のように聞いた沖田の言葉が、ずっと斎藤の内に留まり続けていたからだ。託せるのはおまえしかいないと確かに耳にしたその言葉が、沖田の真の意図であることには違いなく。
 
 (今こそ・・)
 沖田の真意を聞きだそうと。
 斎藤は心を決め沖田の目を見据えた。
 
 伊東が道中何も事を起こさないと予測しておきながら、幾度も斎藤を稽古づけた沖田の。
 東下を押し付けてきた真意も。

 そして斎藤に「託す」と、
 吐いたその言葉の、意味することも。全て、聞き質したい。
 
 「なにを言おうとしている。俺が、帰ってきたら言おうと思っていた事とは何だ」
 「おまえに今回の東下を任せた真の理由だ。」

 間髪いれずに返された言葉に、斎藤ははっと目を瞬いた。
 やはり、
 (真の・・と言ったか)
 「それは、つまり漸く認めるのか。自分じゃ伊東を手にかけかねないから俺に任せた、というのは口実だったと」
 「それも本音には変わりないさ」
 沖田は斎藤の緊張を流すように肩を竦めてみせた。
 「俺が同行してたら、今頃伊東はどっかの道中の土の下だろう」
 「それは嘘だな」
 「・・・。」
 あくまで、沖田が感情に翻弄される事などあるはずがないと、今までの沖田の伊東への接し方を見てきた斎藤は信じて疑わない。
 苦笑したまま暫し黙す沖田を、斎藤は再度促すように見据えた。
 「まあいい・・あんたの言う真の理由とやらを聞こう」
 改めて問うた斎藤の言葉に、
 沖田は頷いた。
 「おまえが、」
 沖田の眼の奥で。再び鋭い光が奔り、斎藤を、捉え。
 「どれだけ、有能で信頼に足るかを土方さんに、…伊東にも、認識させ刻ませる為の積もりだった。わけは、」
 俺が労咳だからだ。



 (――――え?)


 前触れもなく不意に零れたその言葉を斎藤が意味として受け取るまでに、
 刹那の間が落ちた。
                  
    




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